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2012年11月30日金曜日

ブラウニング 【ショパン:練習曲集・作品10&25】



 今回はジョン・ブラウニングが1968年に録音したショパンの練習曲集を取り上げます。ブラウニングはバーバーのピアノ作品の演奏で有名な奏者ですが、この録音も「快速テンポによるショパン・練習曲」として一部で有名(らしい)です。

では、今回も急速系の曲を中心に数曲ピックアップして見て行きたいと思います。

【作品10-1】
 一曲目からかなりの快速テンポで弾いていますが、この演奏で快速テンポの他に特徴的な事は二つ。
 まず一つ目ですが、曲全体を通して強弱変化が余りありません。大抵の場合、中間部のアタマ=この辺りで弱く弾いて変化を付けたり、中間部の後半にある反復進行の箇所=この辺りでクレッシェンド(徐々に強く)させて盛り上げたり、コーダ=この辺りから再び弱く弾いて収束を表現したりしますが、ブラウニングは冒頭から最後まであまり変化なく進んでいきます。
 二つ目は、テンポの揺れが殆ど見られない事で、再現部直前の箇所=この1:09辺りにかけての箇所や、曲の最後ですら必要最小限のテンポ変化しかさせていません。

 右手のアルペジオは快速テンポにも関わらずかなり正確ですが、どちらかと言えば、指の回る奏者がササッと軽く弾いてみたと言う感じが強いです。

【作品10-2】
 この曲もかなり速めのテンポを採用していますが、冒頭から下に添付した楽譜の赤丸で囲っている右手の1指(親指)と2指(人差し指)で打鍵する和音のコントロールが出来ておらず、
あろう事か、曲中のあちこちで右手・内声の音抜けが見られます。特に分かり易い所(音抜けが酷い所)は中間部直前の0:22~0:26辺り=この辺り~0:33の箇所で、内声の和音がほとんど打鍵されずにスルーされています。
 速めのテンポを採用したために指がもつれて所々不明瞭になったのであればまだ分からなくはないですが(この曲では通常テンポでもそう言った事がよくありますし)、これだけアカラサマに音が抜けている(抜いている)のは初めからちゃんとした演奏する気が無かった証拠としか考えられません。
もしブラウニングが平気でこの演奏を世に出したとしたら、ピアニストとしての誠実さが全く感じられないふざけた行為と指弾されてもしょうがない程の仕上がりです(もしかしたら、レコード会社が全集として発売するために奏者の意向を無視して強引に収録したとも考えられますけど)。
 なお、ピアノが共振しているのか、それとも録音時の何らかのミスなのかは分かりませんが、所々で「キ~ン…」と言う耳障りな倍音(ノイズ?)が耳につきます。

【作品10-4】
 例に漏れず「かなりの快速テンポ」「控えめな強弱表現」「必要最小限のルバート・テンポの揺れ」と言う特徴を兼ね備えた演奏ですが(強弱表現は10-1よりは付けていますけど)、全体的にペダルの使用はかなり抑制気味にしながら軽めの打鍵で演奏しているため、細部までスッキリと見通しのよい仕上がりになっており、不明瞭になりやすい箇所、例えば0:07~0:09辺り=この0:07~0:10辺りの左手のフレーズ(下に添付した楽譜参照)もハッキリと表現されています。
この事はかなり残響が少ない録音のお陰もあるとは思いますが、元々の指回りが覚束なければここまでハッキリとは演奏できません。
 ただ、所々で明らかな指のもつれと思われる箇所が見られます。分かりやすい所では0:38~0:40辺り=この辺りから0:44辺りのフレーズ、右手パートもかなり危なっかしいですが、左手パートはヤッツケと言われても仕方のない出来と言えます(ここは他の奏者でも不明瞭になる場合が少なくない箇所ではありますが)。


 この様に、明らかに録り直せば良かったのにと思うミス(と思われる箇所)や危なっかしい箇所がそのまま残されているのは10-4に限った事ではなく、この録音全体の特徴と言えるかもので、全体的なノリとしては10-1の所で述べました様に「指の回る奏者が細かい事は考えずにササッと一発録りした」傾向の全集と言え、ポリーニのDG盤に代表されるような「微細なミスタッチや音抜けを徹底的に排除しようと推敲を重ねた」傾向の録音とは正反対のスタンスと言えるかもしれません。

 また、「かなりの快速テンポ」「控えめな強弱表現」「必要最小限のルバート・テンポの揺れ」それから「ペダルを余り踏み込まない」「軽めの打鍵」と言う演奏傾向も全ての曲に多かれ少なかれ共通する特徴と言えます。
快速テンポと言う点では10-9などが特徴的で、ガヴリーロフ盤に匹敵するかそれ以上に速いテンポで弾いており(ブラウニングの方がインテンポ気味なのでより速く感じます)、さすがに「そんなに速く弾いてどうするの?」と思わなくもありません。
浅いペダリングと軽めの打鍵は25-2によく出ていて、冒頭から続いてく左手パートの「タ・タ・タ、タ・タ・タ、タ・タ・タ~・・・」と言うフレーズの音形が明瞭に見えてきます。


『他の曲も基本的には上記の傾向による演奏です。終わり』で十分だと思うんですが、少し記事が短いので、あと1曲だけ取り上げたいと思います。

【作品25-6】
 冒頭からしつこい位に「快速テンポ」について言及していますが、その傾向が最も顕著に現れているのがこの曲でしょう。この練習曲集の中で10-2と並んで最難曲として挙げられる事の多いこの曲で驚異的なテンポを採用しており、弾き始めから最後の和音を弾くまで(和音を弾いた瞬間であり、余韻は度外視です)が何と1:40を切っています(参考までに言いますと、ポリーニのDG盤は1:53。意外と速くないんですよね)。
 ただ、テンポの速さに指の動きがついていっておらず、所々で重音の音抜けが見られたり、他の曲では余り見られなかったテンポの揺れも目立っています。冒頭の重音トリルからかなり危なっかしいですし、一番分かりやすい所では、最もボロが出やすい0:14辺りからと0:18辺りからの二回連続の順次下降のフレーズ=この辺りからと、直後の0:23からの箇所で、最初はインテンポで突っ込んで行きますが途中で指がもつれてテンポを落ちた上に結局は不明瞭な演奏になっていますし(テンポが落ちても明瞭に弾き切ってくれたら良かったんですけど)、二度目は少し丁寧に弾こうとしてはいるものの丁寧さとテンポの速さの折り合いがつかなかったようで、ここでも中途半端な演奏になっています。
しかし不思議な事に、この曲中で最も長い順次下降のフレーズ=この辺りでは上記の箇所と打って変わってインテンポでかなり正確な演奏を聴かせています。あくまで個人的な予想ですが、もしかすると、録音なのでバレない事を良い事にこんな風に両手で処理したのかも知れません。



  以上、駆け足で見てきましたが、この録音は一聴すると「強弱の幅が少ない」「インテンポ志向」と言う事でポリーニ・DG盤タイプに分けられるかもしれませんが、メカニックの観点から見た場合、ポリーニ・DG盤の登場以前の録音に限定して比較しても、ポリーニ・1960年盤(発売されたのは最近ですが…)の方が瑕疵の無さや安定感ともに上回っています。そうかと言って、「全体的に快速テンポ」である事以外は「インパクト」「アピール力」がもう一つ弱く、例のシフラ盤のような強烈な個性を持っている訳でもありません。

前述しました様に10-110-425-8木枯らしを聴いてもブラウニングのポテンシャルの高さは感じられますが、要所要所で弾きこぼしやミスが見られるのが欠点です。彼ならば録り直しさえすればもっと完成度が上がるであろう事は十分に予想がつきます。
しかし、録音した1968年当時ならばこの出来で普通、もしくは上出来だったのかもしれませんが、瑕疵の無い演奏が主流になった現在においては(それ自体が良いか悪いかは別にして)、この録音は突き抜けた長所・個性がいまひとつ感じられない中途半端な出来と言わざるを得ないと言うのが正直なところです。




【採点】
◆技巧=88~0
◆個性、アクの強さ=40
◆「とりあえず、この10-2は無いわ」度=100

2012年4月12日木曜日

ペライア 【ショパン:練習曲集・作品10&25】




収録曲
ショパン:練習曲集・作品10&25


 今回はペライアのショパン・練習曲集を取り上げます。ちなみに、練習曲集に加えてショパン・即興曲集も併録した盤もあって実は私の手持ちもソレなんですが、諸般の事情により練習曲集のみを取り上げます(未確認ですが、上に添付したAmazonのリンク先は恐らく即興曲集を併録したものだと思います)。

では、いつもの様に急速系の曲を中心に数曲をピックアップして少し詳しく見て行きます。


作品・10-1
 単音パッセージの鮮やかな弾きこなしはペライアの最も得意とするモノの一つですが、この曲ではそれが遺憾なく発揮されており、アルペジオが明晰かつ滑らかに表現されています。しかし、それ以上に目(耳?)を引くのはパワフルな左手パートで、この力感溢れる左手パートと右手の精妙なアルペジオで冒頭からグイグイと曲を引っ張って行きます。そして、0:21から【この箇所~】の箇所では定石通りにペダルを抑制気味にしつつ、特に左手パートを中心にグッと音量を落とします(右手はそれほど弱めていません)。この急激な変化が場面転換を明確に演出していていますが、聴く人によっては演出過多と感じるかもしれません。
少し先、中間部の最後にある反復進行の箇所・0:55~【この箇所~】の箇所における強弱表現も聴き手が確実に認識できる位にシッカリとつけていますし、コーダ=1:32~【この箇所~】も微妙な強弱表現を忘れずにつけており、曲の最後は消え入るような弱音で締めくくられます。
強弱の幅が広いダイナミックさとメカニカルな要素が相まったこの演奏は冒頭から強烈なインパクトを与えると思います。

ちなみに、理由はよく分りませんが、下に添付した楽譜で示している箇所【この箇所~】の左手パートの音符が何故か抜けています。

【作品・10-2】
 一番上の半音階的な動きや左手パートのスタッカートの表現はそれほど悪くは無いんですが、下に添付した楽譜の赤で囲った右手パートの内声、2指(人差し指)で担当する音が曲全体を通して基本的に弱く、所によって不自然に強くなったり弱くなったりしてイビツな仕上がりです。
 あと、中間部の終盤近く=0:41~【この箇所~】の所々やコーダのなどが分り易いですが、半音階の動きが僅かながら危なっかしくなる箇所が散見されますが、極めて高難度な上に音符の数が中途半端に少なくアラがとても目立ちやすいこの曲では許容範囲内だと思います。
それよりも気になるのが強弱表現に対する消極性で、棒弾きとまでは言いませんが余りに淡白な表現に始終しています。

全体的に見ると可もなく不可もなくと言った感じでしょうか。

【作品・10-4】
 ペライアお得意の急速な単音パッセージが所狭しと並ぶ曲ですが、冒頭からの右手のパッセージの鮮やかさは特筆すべき点と言えます。左手に急速なパッセージが移った箇所も中々の出来栄えですが、下に添付した楽譜の赤で囲った部分の音程の広いフレーズ=0:08~【この箇所~】では極めて不明瞭な表現になっていて、ハッキリ言って何を弾いてるのかよく聴き取れません(ここまでの右手パートが鮮やかさが逆に災いして、この部分の不明瞭さを余計に目立たせてしまっています)。
その少し後、右手でのアルペジオから即座に左手の速いパッセージに移行する箇所=0:15~【この箇所~】ですが、右手アルペジオのうねる様な表現や、左手のクレッシェンド(次第に強く)のかなりアクの強い表現はヴィルトゥオーゾ的なものと言えると思います。
これ以降もかなり手堅くまとめていますが、コーダ=1:39から【この箇所~】の見通しが良く安定感もある演奏は流石の出来です。

【作品・10-7】
 ペライアは基本的に細かい箇所への配慮を怠らない奏者の筈ですが、この曲では右手パート・下の声部の処理が冒頭からとても雑で、ポリーニ・DG盤よりも不明瞭な表現になっています。


【作品・10-8】
 先に取り上げた「10-1」と同じく、精巧で安定感のある右手のアルペジオもさることながら、力強く躍動する左手パートが冒頭から強いインパクトを与えます。
ただ、中間部=0:38~【この箇所~】へ移行するかなり前から音量を落として演奏してそのまま中間部へ突っ込んでいく為に場面転換がいまいちハッキリと表現できていませんし、中間部へ突入して以降や再現部=1:23~【この箇所~】へ移行する際にも表情の変化がイマイチ乏しく、人によってはメリハリに欠けると感じるかもしれません。そして左手が最も活躍する箇所と言えるコーダ=1:44~【この箇所~】においても冒頭のような元気の良い左手の表現はなぜか影を潜めています。

全体としては技巧的な精度自体に問題はないんですが、冒頭だけ元気が良くてアトは尻すぼみに近い形になっていく構成が魅力を削ぐ結果となっていると言えます。

【作品・10-10】
 冒頭からの8小節間=0:00~0:13【この音源で0:00~0:16】においては主に右手パート上側・6度の和音にシッカリとアクセントをつけ、0:13~【この箇所~】からの8小節間では右手パートの下側(親指で弾くパート)をかなり強調(と言っても極端に強奏する訳ではなく、上側をグッと弱めに弾く事によって下側を目立たせています)する事によってセクションごとのコントラストをシッカリつけています。なお、0:19~【この箇所~】のスタッカートの指示は少し甘めですがとりあえずこなしています。
これ以降も上記の様なセクションごとの弾き分けをシッカリと行って一本調子な演奏にならないようにしていますが、人によってはそれらを大袈裟すぎる表現と感じるかもしれません。

【作品・10-11】
 横の流れを丁寧に表現した演奏で内声の動きも聴き取り易いんですが、ソレが災いして中間部の終盤=0:54~【この箇所~】で数箇所の内声の弾き間違いを目立たせる結果となてしまっています(これはミスタッチと言うよりも譜読みの間違いの様な感じがします)。

【作品・25-5】
 全体的に良い出来ですが、特に中間部=0:43~【この箇所~】でペライアの良さが発揮されています。往々にしてガチャガチャとした表現になりがちな右手パートは軽やかで安定した表現をしていますし、先にも触れた雄弁な左手で内声の主旋律を繊細かつ大らかに表現しています(内声の旋律は所々で右手も絡みますけど)。

【作品・25-6】
 全体的にフレーズの開始の仕方にバラつきがあり、曲の冒頭や、左手が参加してくる箇所=0:03【この箇所~】や0:10【この箇所~】などのように探り探りテンポをアップしていく箇所もあれば、0:58【この箇所~】や1:04【この箇所~】などのようにほぼインテンポで開始する箇所もあるなどの差がかなりあって統一感の希薄さが気になるほか、最初に登場する順次下降の部分=0:16~【この箇所~】と0:19~【この箇所~】などが顕著ですが、強弱表現が殆どスルーされている箇所も散見されます。
ソコまで悪い演奏ではないと思いますが、積極的に評価できるものでもありません。

【作品・25-7】
 ショパン・練習曲集の中でも地味な部類に属するこの曲ですが、この曲集を録音する様なテクニシャン達からすると難易度が低すぎるせいか、往々にして手持ち無沙汰な演奏になってしまいがちな曲でもあります(ポリーニ・DG盤の事とは言ってません)。で、肝心のペライアの演奏はと言うと非常に素晴らしい出来で、バスの旋律と上声部の旋律、ソレらに挿まれた和音のバランスのとり方・コントロールがの上手さが抜群です。

ただ、左手パートの速いパッセージで曲が最高潮の盛り上がりを見せる箇所=1:52~【この箇所~】などが顕著ですが、表現が少し情感過多と言うか、言い方がアレですが、ドコとなく演歌っぽい表現・歌い回しではあるので好みが分かれるかもしれません。

【作品・25-8】
 「25-6」と同様に重音の練習曲ですが、この曲では25-6の時とは違って遅めのテンポを採用して丁寧な演奏を心がけているようで、少々タッチが重い気がするものの、重音の分離の良さは特筆に価するレヴェルだと思います。

【作品・25-10】
 冒頭からの徐々に強くなっていくダブル・オクターブが迫力満点なのは良いんですが、迫力がありすぎて(?)途中から登場する内声=0:07~【この箇所~】が少し聴き取りづらいのが難点です。
それと、中間部=0:53~【この箇所~】では25-7の様な情感たっぷりな演奏を聴かせると思いきや、意外にも速めのテンポでかなり素っ気無く弾いています。

【作品・25-11】
 派手な右手パートに耳が行きがちですが、左手パートが曲を牽引するこの「木枯らし」でも今までたびたび言及してきた右手パートの精巧さと左手の雄弁さ・パワフルさが存分に発揮されていています。特に圧巻なのは、中間部=1:47~【この箇所~】以降の表現で、左右の両パートが変幻自在、時には自由過ぎるほどに強弱を変化させながら鍵盤の隅々まで駆け巡っており、どちらかと言うと始終攻めの姿勢重視で突っ走るポリーニ・DG盤の演奏と違い、その「これ見よがし」とさえ言える振幅の大きい表現はガヴリーロフなどの旧ソ連のヴィルトゥオーゾ系奏者を思い起こさせるほどです。
強奏の直前に見せる一瞬のタメや、所々で見せるフレーズとフレーズの間の一瞬の間が気になる人もいるかもしれませんが、この演奏を聴いて「下手だ」と感じる人はまずいないはずです。


 以上、主要な曲をザッと見てきましたが(いつも通り、後半はかなり駆け足になりましたが…)、モーツァルト弾きとして有名なペライアから連想される「優雅」「軽やかさ」もしっかりと見受けられますが、それよりも急速系の曲で見せる「豪快さ」「ヴィルトゥオーゾ的な表現」がかなり印象に残るCDではないでしょうか。

出来不出来の差が結構あったり(ショパン練習曲集では全く珍しい事ではないですけど)、小さな瑕疵が散見されはするものの聴いて損は無い演奏だと思います。


なお、本文では触れませんでしたが、色んな所で指摘されている「10-6」のせっかちとも言えるテンポ設定や「25-2」の叙情的で軽やか表現も見逃せない点だと思います。




【採点】
◆技巧=90~79
◆個性、アクの強さ=87
◆相も変らぬCDジャケットのセンス=-100

2012年3月4日日曜日

横山幸雄 【ショパン:練習曲集】




 さて、皆さんも一度や二度は見聞きにした事があると思いますが、演奏に対する批評において時折この様なお約束フレーズを見かけます。曰く
確かに上手いが、技巧ばっかりで中身が無い
指が速く正確に動けば良いってものじゃない

さらに、上記の様な意見から派生して、技巧的な演奏が好きなリスナーに対して次の様なツッコミ、疑問が投げかけられる事もあるようです。

そんなに正確な演奏が好きなら、打ち込みによる演奏を聴いていれば良いんじゃないの?

言いたい事は分らなくも無いです。 し か し 、です。

 例えば、人間がどれだけ速く走っても時速40㎞程度しか出せず、スピードに乗った中古の原付にすら追いつけないと言う事実は誰もが知っています。しかし、原付の走る姿をガッツリ見る人は余りいないと思いますが、オリンピックの100m走は多くの人々が固唾を呑んで見守ります。
 この様に、人類の持つ能力の限界への挑戦は多くの人々の興味をかき立てる事であります。この事はスポーツに限らず音楽の世界でも同じで、例えば、昔から「世界一の技巧を持つピアニストは誰か?」と言う議論が一部からの「世界一がドウコウって、お前は小学生かよ」と言った真っ当な意見を物ともせずに世間の耳目を集めながら今もされ続けている事もその証左と言えるでしょう。

 そんな中でポリーニが颯爽と登場してDGから「ペトルーシュカ」や「ショパン・練習曲全集」などの録音で圧倒的なインパクトを与え、後のピアニストの高い壁となって立ちはだかったまま現在に至っています。これらの曲の録音を聴く際に、特に技巧面においてポリーニ盤より優れているかどうかが一つの聴き所になっている方も多いのではないでしょうか?(ココで言う”技巧”とは、楽譜に書かれている音符を正確に発音させると言う意味です)
しかし、色々な録音を聴けば聴くほどポリーニDG盤の凄さを再認識させるだけの結果となる場合が多い事は、多くの方達が経験されていると思います。



 前置きが長くなりましたが、「楽譜に書かれた音をどれだけ正確かつ明瞭に発音させているか」と言う点で、明らかにポリーニDG盤を上回る録音がこの録音です。









                          以上




【採点】
◆技巧=お察し下さい
◆個性、アクの強さ=色んな意味で100
◆「”指さえ回れば良い”そんな風に考えてた時期が俺にも…」度=400

2012年1月27日金曜日

ベレゾフスキー 【ショパン:練習曲、作品10&25】



 1990年のチャイコフスキー・コンクールの覇者であるベレゾフスキーが、その翌年の1991年に録音したショパンの練習曲集です(『3つの新しい練習曲』を含む)。

では、急速系の曲を中心に少し見て行きたいと思います。

◆10-1
 楽譜に書かれた音を発音させると言う意味では悪くない出来ですが、曲中やフレーズの中での強弱の変化が余り無い事が耳につきます。冒頭からしばらくの間ほぼ強弱の変化が無い状態が続き、0:37【この0:35~】で少し弱めに弾いてから徐々に元に戻して行って、0:54【この0:52~】で今度はかなり極端な弱音で演奏してから再び「cresc.」して行って1:11【この箇所~】の再現部へ突入する訳ですが、再現部以降は目立った強弱の変化は無く、曲の最終盤ですらほぼ強弱変化の無い状態で終了します。一般的には、例えば、コーダが始まる箇所1:38(先程の音源で1:39)の周辺から少し音量を落として弾きますがベレゾフスキーはほぼ一定の強さで演奏しています。大雑把に言うとポリーニ系の演奏ではあるんですが、ポリーニのようなインテンポ感や突出したメカニック(任意の鍵盤を正確にヒットする打鍵能力)は感じられません。特にテンポ・リズムに関してはかなり癖がある部類の演奏と言えると思います。
あと、曲が進むにつれ左手の打鍵が少々乱暴になって行くのも気になります。

◆10-2
 手抜きと言われても仕方ないくらいの演奏です。半音階をレガートに弾く為にペダルを多用した結果、2小節目から早くも左手パートのスタッカートの指示を守れていない上に、
右手の内声の和音や左手パートのコントロールも覚束ない状態になっています。一番目立つパートの半音階のメロディを滑らかに弾く為のやむを得ない措置とは言え、余りにお粗末な演奏と言えます(しかも、その半音階すら確実にコントロールしているとは言い難いんですが)。

◆10-4
 かなり遅いテンポで演奏されます。言うまでもありませんが、ただ単にテンポが速ければ良いってものでもありませんし、たとえテンポが遅くても、グールドやプレトニョフのように細部への異常な拘り等、テンポの遅さを補って余りあるだけの何かがあれば良いんですが、この演奏にはその遅さに見合った何かを聴く事はできません。
 どうやらテンポの遅さに合わせて打鍵自体のスピードも遅くしているようで、この曲のキモとも言える速い単音のフレーズにキレが殆ど感じられず、ノッペリとして鈍重な表現になってます。

◆10-8
 冒頭は左手が多少乱暴であるものの、それほど悪い出来ではありません(これまでが悪かったのでそう感じられるのかも)。最初のセクションの反復と言える0:19~【この箇所~】からはそれまでよりもかなり極端に弱めの演奏をして変化をつけています。が、中間部・0:39~【この箇所~】が突然の意味不明な強打で始まり、その後もしばらくはかなり大味な演奏(アルペジオの精度も含め)が続いて行きます。
 全体的には強弱の差が激しいものの、それらの必然性や根拠がいまいち感じられず、たんに奇を衒った演奏をしているだけのように感じます。

◆25-6
 この曲は10-4ほど遅いテンポは採用していません(テンポの揺れは激しいです)が、とにかくペダルが過剰な箇所が多く、それ故に曲全体の響きが鈍重になっています。特に順次下降の部分【この箇所や0:23~など】になると常にペダルが過剰になる上にテンポも目に見えて?遅くなり、特にこの曲で最も長い順次下降の箇所=1:29~【この箇所~】ではいかにも「ルバートをかけています」と言いたげな感じでテンポを遅くしてお茶を濁しています。
私は「何が何でもインテンポを死守すべき」と言うスタンスではないんですが(例えばアムランの様に「インテンポだけど細部が雑」では意味が無いですし)、この演奏はどう聴いても、まともに弾けないのでテンポを揺らして誤魔化している様にしか聴こえません。

 全体的に見ても明らかに指がもつれている箇所が散見され(先程の動画の【この箇所】など)、ハッキリ言ってプロの演奏とは思えない出来です。

◆25-11
 25-6と同様に、とてもプロとは思えない演奏です。このブログでは「どこが良くてどこが悪いか、具体的な箇所を誰にでも分かるように明示する」と言う事をモットー(と言うほど大した事ではありませんけど)にしているんですが、この演奏は

「マトモに弾けてるといえるのは序奏くらいで、後はとにかく駄目」

としか言い様のない出来です。
右手につられて左手が疎かになったり(その逆も)、3:08【この箇所~。リンク先もかなり怪しいですけど】に代表されるように明らかに指がもつれてしまっている箇所もあります。



 さて、かなり駆け足で見てきましたが、このCDを全体的に見ると、10-1や25-12の様にそれなりに見るべき点のある演奏があって長所が皆無と言う訳ではありませんが、とにかく欠点(メカニックの点や曲全体の構成を含む)が極めて多いものである事は紛れも無い事実です。
ここでは取り上げませんでしたが、緩徐系の曲も癖のある演奏ばかりで「とにかく何か個性を出してやろう」という姿勢しか見えてこないものばかりです(それでもメカニックが優れていれば多少の救いにもなるんですが、それも無いのがつらい所)。


色んな意味で珍しい演奏がお好きな方を除き、絶対にお勧めできません。






【採点】
◆技巧=80~45(平均は贔屓目に見ても70くらい)
◆個性、アクの強さ=100
◆「よくコレを世に出したなぁ」度=300

2012年1月12日木曜日

ポリーニ 【ショパン:練習曲、作品10&25(1960年盤)】



【収録曲】
ショパン:練習曲、作品10&25


 今回取り上げるCDは、あの有名なDG盤(今回取り上げる物は「旧盤」と呼ぶ事にします)から遡る事12年前の1960年に録音されたものの、本人の意向により発売が見送られていたらしい曰くつき(?)の録音です。

 録音状態ですが、基本的には中域が強くて少しホコリっぽい感じがする所謂「古い時代の音質」ではありますが普通に聴くのには支障の無いレヴェルと言うか、年代のわりに良い状態だと思います(スレテオです)。
特筆すべきは、DG盤より明らかに残響の少ないデッドな録音である事で、それにより細部が聴き取り易くなっています。


 さて、ポリーニファンならずとも最も気になるのがDG盤との相違点だと思いますが、旧盤はDG盤と比較すると全般的な傾向として、以下の特徴が挙げられます。

・ペダル操作に対する意識がより感じられ、より頻繁に踏み替えをしている。
・上記の事に関連して、DG盤で聴かれた過剰な響きが抑制されている(録音も関係してます)
・パートごとの弾き分け(内声の処理)への配慮がある
・DG盤より普通なテンポ感・ルバートの感覚が聴ける
・DG盤の様に鍵盤をブッ叩く事が少ない

つまり、DG盤で聴かれたようなバランスの悪さがかなり緩和されている訳ですが、逆に、以下の様な点はDG盤に分があります。

・楽譜に書かれた音符を引っ掛けたりミスタッチする事無く順番どおりにハッキリと発音させる
・機械的なインテンポ感


では、これから双方の比較を交えながら急速系の曲を中心に少し詳しく見て行きたいと思います。


10-1
明晰な発音と言う点ではDG盤に軍配が上がりますが(打鍵時の雑音がコツコツとうるさいですけど)、旧盤もかなり高レヴェルな仕上がりです。強弱表現は旧盤の方が自然で、例えば中間部の終わりの頻繁な反復進行の部分、DG盤・0:59~、旧盤・0:57【この箇所~】における「cresc.(徐々に強く)」は、旧盤の方がこの少し前の箇所からしっかりとバランスを考慮して演奏して的確に表現できています(少し不器用ではありますが)。
ちなみに、この直後にあるDG盤・1:08で音抜けしていた部分ですが、旧盤ではかなり危なっかしいながらも何とかクリアしています(1:07。先程の音源で言うと1:10)。この様に、上行アルペジオに比べて下降アルペジオが苦手そうなのはどちらの盤でもそう大した差はありません。

10-2
この曲はどちらも一長一短と言う感じです。音価の表現で言うと、序盤【この冒頭~0:33】ではDG盤の方が的確にこなしていますし、中間部【この0:33~1:02】は旧盤が上、終盤【この1:02~】はまたDG盤の方が出来が良いと言う風な具合です。
テンポは旧盤の方が速めで、DG盤とは違ってフレーズの開始時や序盤から中盤へ移行する時のようなセクションの変わり目などに一瞬タメが入ったりしてより自然な感じを受けます。DG盤はあえて遅めのテンポでインテンポの演奏を意図的に行ったと思われ、この不自然なインテンポ感を基準にこの曲を聴かれる方には旧盤に少し違和感を覚えるかもしれません。
あと、右手の1指(親指)と2指(人差し指)による内声の和音は、
DG盤の方が全般的にしっかりと発音されています。しかし、一番目立つ半音階の動きを発音させる時に生じる雑音は旧盤の方が遥かに少なくなっています(これも録音の違いによる影響も少なくないと思われますが)。
最後に、楽譜の音をツツガナク並べると言う点ではDG盤に多少の分があるものの、どちらも非常に良い出来であり、特に旧盤を録音した1960年当時ではこの録音が最も完成度が高かった(発音と言う点のみですが)ものではないでしょうか。

◆10-3
旧盤にはDG盤の様な強奏時の悲惨な音割れ・響きの飽和は見られず非常にスッキリしていますが、逆にルバートと言うかテンポの揺れがかなりあって、丁寧に歌い上げようと言う気持ちは何となく伝わるんですが、いまいち不器用な表現に感じられると言うか、気持ちが見事に空回りしている感があります(これは好みの問題ではあると思いますが)。

10-4
DG盤では響きが弛緩して細部を見え辛いですが、それに比べて旧盤はすっきりと纏まっています。例えば、旧盤・0:17、DG盤・0:18【この箇所~】の箇所では
DG盤は各パートの音量に余り差が無い上に全てが同じ様に変化していく為、非常に喧しい印象を受けるほか、却ってそれぞれの動きが見えづらくなる結果となっています。オーケストラに例えると、全ての楽器が「俺が!俺が!」と言う風に前へ出てきて同じ様な音量で同じ様に変化していくような感じと言えば良いでしょうか。
翻って旧盤は、それぞれのパートを取捨選択する事によって(いい加減に弾くと言う意味ではなく)、強調する部分とそうでない部分とのコントラストが明確になり、結果として全体的に見るとスッキリした響きな上に立体的な感じに仕上がっています。左手の4音一まとまりの速くて細かいフレーズもDG盤より12年も前の録音水準と言うハンデがありながら、かなりハッキリしたアーティキュレーションを聴き取る事が出来ます(これはペダルによる細かな処理も要因と言えそうです)。
実はこの点こそがDG盤と旧盤の決定的な違いと言え、旧盤は基本的に「どのパートにピントを合わせるか」がハッキリした演奏であり、DG盤は全てにピントを合わせてしまった為に、逆に肝心な所が目立たなくなった感じと言えます(意図的にそうしたんでしょうけど)。
ただ、ミスタッチや引っ掛け気味な打鍵の少なさと言う点ではやはりDG盤に分があります。

10-7
歌い回しの素っ気無さと言う点では似ていますが、やはりこの曲でも違いが出ています。DG盤では見え辛かった冒頭からの2声(3声とも解釈できますが)の動きが見え易くなっているほか、
DG盤・0:23~、旧盤・0:22【この箇所~】からの中間部の左手パートでは、DG盤はいつもの様に(?)緩慢なペダル操作(と、残響大目の録音)のせいで締りの無い表現になっていますが、
旧盤では明瞭な表現をしています(ここに限らず全般的にそう言えますが)。
なお、中間部の終わりの左手によるメロディ(先程の音源で0:43~)はどちらの録音もサラッと通り過ぎて行くように演奏しています。

◆10-12
この曲でも冒頭から違いが見られます。具体的には、DG盤、旧盤、共に0:08【この箇所~】から始まる両手・ユニゾンフレーズ
のアーティキュレーションの明確さです。DG盤では曲の開始から0:14【この箇所~】のハ短調「」の和音のアルペジオまでの間、殆ど抑揚のない一本調子な演奏が続き、まるで句読点の存在しない文章のような印象すら受けます(DG盤が基準になってる方は違和感を覚えないかもしれませんけど…)が、旧盤ではよりハッキリとしたアーティキュレーションと強弱表現、それらに伴なううねる様な表現が感じられます。この傾向は冒頭以降も続いて行きます。
ただ、和音の強奏時に「ガツン!ガツン!」と弾いてしまうのは旧盤でも余り変わっていません。

◆25-1
以前、DG盤の回でも指摘した箇所ですが、DG盤・0:31~、旧盤・0:34【この箇所~】からの一番上の声部から内声へリレーのように旋律を受け渡す箇所(下に添付した楽譜には書かれていませんが、パデレフスキ版には重要な内声の音符が四分音符になっています)でハッキリとした違いがあり、
DG盤では見え(聴き)づらかった内声の流れが旧盤では表現自体は少しタドタドしくはあるものの、かなり明瞭に聴き取れます(ただし、録音の古さの影響で全体的な響きはかなり混濁しており、録音の古さが演奏を聴き取るのに影響した曲の一つと言えますが、言い換えると「そんな状況でも内声が聴こえるようなコントロールをしている」という事も可能です)。
実際にはDG盤でも発音自体はなされているんですが、10-7でも指摘しましたように、全ての音(横の流れ)が殆ど同じ様に推移していく為、肝心な箇所が埋もれてしまっています。

◆25-2
この曲では双方のレガート奏法の違いが分りやすく表れています。DG盤は主にペダルの力を主体に(と言うか、ペダルに頼って)レガートしているのに対し、旧盤はあくまで打鍵と離鍵(押えた鍵盤を上げて音を止める)のタイミングをコントロールする事を基本にしている模様で、旧盤の方が所々甘くなる箇所があるもののより明瞭で粒の揃った打鍵を聴く事が出来ます。

◆25-6
25-2でも触れたレガートの処理法の違いがより如実に表れている曲です。
冒頭、DG盤は残響が多めの録音に加えてかなりペダルを踏み込んでいるため霞んだ様な響きになっているのに対し、旧盤は殆どペダルを踏まずに演奏しているようです。ちなみにこの冒頭部分、旧盤の収録に用いたマイクの周波数特性のせいなのか分りませんが、実際にはそれほど強く弾いてなさそうなのに、かなり音が強めと言うか前に出て来ている様に聴こえます。
少し進んで、DG盤・0:25~、旧盤・0:24【この0:27~】の箇所ですが、
ここは右手のフレーズ(拍)とポジション移動のタイミングが微妙にずれているので、ポジション移動時に不必要なアクセントがついてしまったり(先程の動画とか)、あまりアクセントをつけずに演奏していたり(DG盤とか)するんですが、旧盤では明らかに拍を意識して演奏しています。旧盤では添付した楽譜の1小節目では指示通りのタイミングでペダルを上げ、2小節目ではおそらくペダルを踏んでいないか、踏んでいても非常に薄く踏んでいると思われます。これによりフレーズがダラ~っと流れにくくなりますが、少しゴツゴツした印象を受ける方も居るかと思います。
もう少し先、DG盤・0:38~、旧盤・0:37【この箇所~】の箇所でもペダルをガッツリと踏んで演奏する奏者が多いんですが(例えば、添付音源やDG盤とかがそうですね。白鍵ばっかりで弾きにくいらしいです)、旧盤ではペダルを拍に合わせてコントロールしつつ、踏む深さも出来るだけ最小限にとどめて演奏していて、その結果、演奏の確実性や滑らかさが若干犠牲になっている感もあるもののアーティキュレーションや一音一音の明瞭さは向上しています。
つまり、DG盤に比べて旧盤の方が細かい部分への配慮がなされている訳で、ここ以外にも例えば、DG盤・0:53~、旧盤・0:52【この箇所~】からの八声が半音階下降する箇所(減七の半音階的連用とか言う物ですね)でも同じ事が言えます。が、旧盤でも録音の古さなどもあってさすがに明瞭とは言い難いです。

 ただ、この曲でも「ミスなく全ての音を発音させる」と言う観点ではDG盤に軍配が上がります。
例えば、【この箇所~】からの急速な三度重音の順次下降などで音抜けがあったり危なっかしい箇所も見受けられます(ペダルが少なくデッドな録音なので余計にミスが判り易いんです)。

◆25-11
この曲も端的に言えば「やたらとゴージャスな響きの(悪く言えば、喧しい)DG盤」と「比較的スッキリした旧盤」とに分けられます。
で、比較を始める前に、まずこの曲を少し大雑把ですが整理してみたいと思います。左手パートに注目して聴いてみて下さい。

★序奏(この曲の主要なメロディ)=【この箇所~0:19】
☆序奏と同じメロディ=【この箇所~0:27】
●応答・その一=【この箇所~0:35】
☆序奏と同じメロディ=【0:36~0:44】
●応答・その二=【この箇所~0:56】
☆序奏と同じメロディ=【この箇所~1:06】
●応答・その一(少し変形)=【この箇所~1:15】
☆序奏と同じメロディ=【この1:15~1:23】
●応答・その二(少し変形)=【この箇所~1:35】

以上で前半終了です。
この様に(?)、この曲の練習曲としての主な目的は右手の強化である事は明白ですが、音楽的な主体は左手パートであると考えられます。
この事を踏まえてDG盤を聴いてみると、左手パートも一応聴こえては来ますが、右手の鮮やか過ぎる速いパッセージと喧嘩していまいち浮かび上がってきません。
これに対して旧盤はDG盤よりも各々の役割に応じてバランス良く演奏しています(ちょっと不器用な表現ですが)。

◆25-12
まず冒頭6小節の楽譜を添付します。
この曲は保続低音の箇所が多いので、丁寧に任意の音の強調や和声の推移を表現しないとただのアルペジオの羅列になってしまいます。
これまで何度も指摘しましたが、DG盤は全ての音をとりあえず良く鳴らしているものの「強調すべき音」と「そうでない音」の区別が判別しにくい演奏です。せっかくショパンがアクセント記号まで付けてくれるんですからそれを強調しない手は無いと思いますし、ポリーニも実際に強調しようとしてはいるんですが、全ての音がお互いに邪魔しあって中々浮かび上がってきません。そればかりか過剰なペダリング(と、残響多めの録音)によって響きが飽和して和声の推移の表現も弱くなっています(良い様に言えば「ゴージャスな響き」と言えるかもしれませんが)。

で、旧盤はと言うと、「con fuoco(烈しく)」の指示のあるこの曲にしては少し大人しい感じがするのも確かですし、ぎこちない箇所も散見されますがかなり手堅く纏めています。



 さて、駆け足でザッと見てきましたが、冒頭でも述べましたし途中でも何度も何度も言及しましたとおり、次の点は誰がどう聴いてもDG盤の方が優れていると判断すると思います。

・楽譜に書かれた音符を引っ掛けたりミスタッチする事無く順番どおりにハッキリと発音させる
・機械的なインテンポ感

しかし、これも何度も言及してきましたが、パート・声部ごとの弾き分けやそれぞれの音量配分、それに伴なう響きのコントロール、ペダルの丁寧な操作、強弱表現、細かなアーティキュレーション表現などは旧盤が勝っている場合が多く(10-9等の様に双方とも余り変わりのない表現の曲もありますし、25-8の様にペダルを抑制したお陰でゴツゴツしすぎている曲もありますが)、DG盤に比べると全般的にはとてもバランスの良い演奏です。

個人的な意見を述べますと、旧盤が勝っている点はポリーニが72年にDG盤を録音するまでに捨て去った要素であり、それらの要素を捨て去る事によってDG盤の様な一点集中型の極めて特異で珍妙ですらある演奏を成し得たのだと思います。


DG盤を愛聴されている方は是非とも「DG盤至上主義的な聴き方」をせずに聴いて頂きたいですし、
DG盤に違和感を持たれた方にも一度聴いて頂きたい録音です。



なお、旧盤は「DG盤よりミスタッチ等が散見される」と言うだけであり、60年当時に録音されていた物の中ではDG盤至上主義的な視点から見ても最も高い完成度が物だと思いますし(全ての録音を聴いた訳では無いので断言は出来ませんが…)、21世紀になった現在の水準から見ても高水準である事は確かです。

表現は少し不器用な感じがしなくも無いですけど。


【採点】
◆技巧=90.5
◆個性、アクの強さ=78
◆マトモなショパン演奏度(DG盤比)=95

2011年12月19日月曜日

ガヴリーロフ 【ショパン:練習曲、作品10&25】



この演奏を収録したCDは色々なヴァージョンがあるらしく、上に添付したCD以外にもバラードを併録している物や、BOXの中の一枚としてコッソリと紛れ込んでいる物があったりするらしいので、購入される際はお好きな物をお選び下さい。


【収録曲】
ショパン:練習曲(エチュード)・作品10&25


 ここの収録されている演奏の傾向を端的に言えば、「急速調の技巧的な曲は自身の限界に挑むかのように速く」 「緩徐系はナイーブかつ丁寧に」と言う事に尽きるんですが、曲集の中から急速系と緩徐系それぞれ数曲を取り上げて少し詳しく見て行こうと思います。


先に急速系および技巧的な曲を数曲を見ていきます。

 まずは冒頭の「10-1」ですが、何のひねりもない言い方ですけど、とにかく速いです。しかも元々のテンポが速い上に、上昇アルペジオの際にはさらにaccel.(次第に速く)するのでリズムが綺麗に「1、2、3、4」と感じられず3.8くらいのところで下降アルペジオへ移行する感じになり、拍節感が少し弱い印象を受ける箇所が少なからずあります。それと、テンポが速い為に和声の推移の表現がおざなりになり勝ちと言うか一本調子になっていますが、0:20【この箇所~】の中間部への移行の表現や、1:32【この箇所~】のコーダ部分への移行の表現はしっかりと行っています。
ちなみに、技術的な癖(?)なのか、上昇時よりも下降時のアルペジオの方が鮮明に弾けていて、これはポリーニとは真逆の傾向と言えます(ポリーニは上昇時に比べて下降時は若干不鮮明になることが多く、ポリーニ盤の回でも指摘したように1:08辺りでは音抜けすらあります)。

 続く「10-2」もかなり急速なテンポで、おおよそ四分音符≒165くらいのテンポで弾き切っています(ちなみに、ポリーニはおおよそ四分音符≒144くらいで、パデレフスキ版に記載されているテンポと同じくらい)。このテンポではさすがに若干苦しそうな箇所が散見されたり、コーダ部分の0:59【この1:14辺り~】では明らかな右手・内声の音抜けが見られますが、
この曲は並みの奏者なら通常のテンポで演奏した場合でも指のもつれや内声の音抜けが避けがたい難曲なので、ある意味ではこのテンポでよくここまで纏めたと言えます(もう少し落ち着いたテンポで弾いて完成度をあげるべきと考える人も居るかもしれませんけど)。

 次は「10-4」を取り上げます。この曲は彼の得意な曲なのか、多少弾き慣れすぎている印象も受けるものの凄まじい出来です。まずガヴリーロフが採用したテンポがメチャクチャ速く(あまりテンポの速さばかり強調するのもバカっぽいですが…)、四分音符≒195くらいで演奏しています。例えばYoutubeにあるリヒテルの例の有名な演奏は四分音符≒208くらいですが、あれは極めて雑でいい加減な弾き飛ばし演奏なのでガブリーロフの演奏の比較対象になりえません。つまり、ガヴリーロフは速い上に正確で余裕すら感じられる訳です。具体的には下の画像をクリックして御覧頂きたいんですが、これだけ速いテンポにもかかわらず冒頭から声部の弾き分けやアクセントをかなりしっかりと表現しています。
他の箇所でも、例えば中間部の0:51【この0:54辺り~】の強弱指示も確実に表現しています。

 次は「10-8」を取り上げます。この曲ではこれまでの様な突拍子もないほどの速いテンポを採用していませんが、左手の対旋律の動きを冒頭からかなり強調する表現していて(下に添付した左側の楽譜参照)、左手パートがより重要度を増してくるコーダ・1:37【この箇所~】のにおいても堅実にそれらを表現してます(右側の楽譜)。


 
 次いては、この曲集で最難曲の一つと言われる「25-6」を見て行こうと思うんですが、実を言うとこの演奏、ガヴリーロフにしては平凡すぎる演奏です。確かに他の奏者よりも多少はテンポも速めですし、右手の三度の重音も強弱表現を含めてかなり堅実にこなしていますし、左手・バス(最低音)の流れもかなりしっかり表現してます。
ただ、フレーズ開始時にやや遅めのテンポから徐々に速めていく場面が多く(それほど大袈裟ではありませんが)、良いように言えばアゴーギク(自然なテンポの伸縮)の表現と言えるかも知れませんが、個人的にはどちらかと言うと安全運転の為のやむを得ない措置と言う印象を受けます。


 続きましては「25-11(木枯らし)」を取り上げます。この曲は恐らく「10-4」と同じくガヴリーロフの得意な曲と思われ、先程の「25-6」とは打って変って物凄い事になっています。
冒頭の序奏を「Lento」これでもかと言うほど遅く弾いたあと、「二分音符≒73」くらいの猛烈な速さで主部・0:28【この0:23辺り~】が始まりますが、
各パートの弾き分け(音量配分など)も驚くほど正確になされており、直後の左手・三連符の箇所が所々不明瞭になるものの(と言っても、普通のテンポで弾いている人でもこの三連符がガヴリーロフの演奏より不明瞭な人はゴマンといるわけで)、
このテンポでよくここまで纏められたものだと感心します。
また中間部においても、副Ⅴを挿んで頻繁に反復進行する箇所・1:51~1:54【この箇所~2:12】における連続する左手・10度音程の和音は、
大抵の場合、添付した参考音源の様な締りの無いダラ~ッっとした演奏になりがちですが、ガヴリーロフは高速なテンポでありながら極めてキレの良い決然とした表現をしています。



 続いては緩徐系の曲を取り上げますが、急速系の部分が長くなり過ぎたので2~3曲のみにします。
 まずは「10-6」からですが、非常に遅いテンポが採用され、急速系の曲での演奏からは想像が付かないほど丁寧で湿っぽく、非常にクドい表現が聴けます(良い様に言えば”叙情的な表現”と言えましょうか)。この急速系と緩徐系との落差はこのCDに限らず、ガヴリーロフ、と言うより、ロシアの奏者にありがちな傾向ですが、平均的なそれよりも落差が更に極端と言えます。

 次は「10-11」を見て行きますが、この曲は比較的速いテンポで演奏され、タッチはやや強めながらも丁寧な内声の処理が聴けます。下に添付した楽譜は中間部の一部分・0:56【この箇所~】です。ちなみに、リンク先の音源のページには「Op.25-11」と記載されていますが間違い無く「Op.10-11 」です。



 長くなりすぎたのでここで終わりにしようと思いますが、全体の傾向として基本的には

◆急速系=超特急
◆緩徐系=丁寧

と言う傾向です。
ただ、「始めは穏やかで途中で激しい」と言う特徴を持つ「10-3(別れの曲)」の中間部の例の激しい箇所では意外とセーブして演奏していたり、逆に、「始めと終わりは激しく中間部は穏やか」な曲調の「25-10」では、激しいところはかなり激しく、穏やかな所はとても穏やかに弾いていて、曲ごとに多少温度差はあれども全体的には緩急のコントラストが激しい録音である事は確かです。

 さて、これまでに取り上げた曲以外にも、変に優雅な演奏が少なくない「10-9」を楽譜の指示通り「Allegro molto agitato(速く、非常にせき込んで)」な表現をしていたり、冗談のように速いテンポの「10-5(黒鍵)」などの興味深い演奏もあれば、とにかくアルペジオを速く処理する事だけが目的のような「25-12(大洋)」などの様に疑問を抱かざるを得ない変な演奏もあり、出来不出来の差が存在することも事実です。


 結局、これらの演奏はガヴリーロフが自身の持てる能力の限界に挑戦したかのような側面が前面に出た演奏であり(急速系の曲の所でやたらとテンポの速さに言及したのはその為でもあります)、恐らく良識のある方達の中にはこの演奏を聴いて
「そんなに無茶なテンポで弾かずに、もっと落ち着いて弾いたらもっと精密で穏当な演奏が出来たのに・・・」
とか
「自身の技巧を見せびらかす為にショパンの練習曲を利用するなんて言語道断!」
と言う印象を受ける方も居るかもしれません。

 しかし、「ショパン・練習曲」の全曲録音を世に出す行為には、ピアニストが自身のトータル的な技巧や能力の誇示をすると言う要素が多かれ少なかれ含まれている事は紛れもない事実でしょう(特にポリーニ盤の登場以降は)。


 この録音は良くも悪くもその辺の有象無象の録音と一味もふた味も違う特別な物である事は疑いようのない事実であり、一つの金字塔として末永く愛聴されるものではないでしょうか。






【採点】
◆技巧=91~75
◆個性、アクの強さ=98
◆唯一無二度=150