2011年9月24日土曜日

ロルティ 【ショパン:スケルツォ全4曲&ノクターン&ピアノソナタ第2番】

今回はカナダのピアニスト、ルイ・ロルティのショパン作品集(Chandos・CHAN10588)です。ロルティと言えばラヴェル作品集やショパン・練習曲の録音が一部で高い評価を得ている事でも有名で、それらものちのち取り上げようと思いますが、今回は現時点でのショパン作品の最新録音を取り上げます。



収録曲
ノクターン第19番 ホ短調Op.72-1
スケルツォ第1番 ロ短調Op.20
ノクターン第16番 変ホ長調Op.55-2
スケルツォ第2番 変ロ短調Op.31
ノクターン第18番 ホ長調Op.62-2
スケルツォ第3番 嬰ハ短調Op.39
ノクターン第17番 ロ長調Op.62-1
スケルツォ第4番 ホ長調Op.54
ピアノソナタ第2番 変ロ短調Op.35『葬送』


 まずはルイ・ロルティについてですが、大まかに言ってアンスネスと似たタイプの奏者で、極めて精緻なピアニズムが特徴です。その演奏の特徴を列記しますと

■ペダル操作が極めて緻密
■軽やかで俊敏な指回り
■非常に緻密なポリフォニックの表現
■緩徐系の曲での大胆なルバートとそれに伴う濃厚な歌い回し
■急速系の曲におけるロシアの奏者とは全く違ったタイプのスポーティな表現

以上の様なもので、特にペダル操作の緻密さ・精度は凄まじいレヴェルであり、その事が曲の細部を正確に表現する上で重要なポイントとなっています。


 冒頭のノクターン第19番から早速ロルティの特徴であるポリフォニックな表現の緻密さと大胆なルバートが見られます。ちなみに、「ポリフォニックな表現」とは何かと言いますと、簡単に言えば「異なるパート、もしくは旋律を弾き分ける行為」と言えます。例えば、「最低音(バス)」「中間部の和音」「メロディ」と言う要素によって曲が成り立っている場合に、それぞれを「どんなバランスで」「どの程度明確に弾き分けていくか」などに関する話です。
 ショパンのノクターンの場合、初期の作品は基本的に「左手=伴奏」「右手=単旋律(一つのメロディ)」で出来ているんですが、後期の作品になると右手パートでも2つ以上の旋律が登場してくる為に(実は左手も絡んできますが)それらをどんな風に同時に処理するかが重要になります。ここでいい加減な処理をしてしまうと複数の旋律が混濁して何を弾いてるか判らなくなってしまうか、ぶつ切りになった音が何の脈絡も無い状態で点在しているかような印象を与えます。特にノクターンは左手の伴奏が音程差のあるアルペジオに基づいたものなのでペダル無しには成立しないため、下手なペダリングではすぐに響きが濁ってしまい、例えば、2つのメロディがある箇所にもかかわらず2つのメロディが聴こえない(聴き取りづらい)状況になってしまうわけです。
 ここに収録されている曲では第17番【この曲】が最も判り易いと思いますが、
奏者によっては上の方のパート(早い話、一番目立つパート)のみが突出したり、それぞれのメロディがスムーズに流れなかったり、全てを同じ様な音量で弾いたり(グールドのように意図的にそんな弾き方をする奏者も居ます)しますが、ロルティの場合はそれぞれのメロディを別々に多重録音をしたかのように弾き分けつつ微妙に調和させながらさり気なく弾いていきます。
かなり残響大目の録音でここまで細部を描き出せるのはロルティならではと言えます。


長くなりましたので、次はスケルツォを重点的に。
 スケルツォは基本的に「急速部分→緩徐部分→急速部分→最も激しい最後の箇所」で成立していて、急速部分と緩徐部分の対比の表現がポイントになると言えるほか、急速部分や最終盤の箇所における速いアルペジオ等のパッセージの処理も聴き所です。
 ロルティは全ての曲において急速部分は快速・軽快な演奏を、緩徐部分は叙情的・ドラマティックな表現をしていますが、急速部分では「快速・軽快」ではあっても「豪快」ではないのでその部分において若干不満を持たれる方も居ると思います。これは演奏が安定しすぎている事とフォルテに対する消極性が演奏に出てしまった結果で、ロルティの様なタイプの奏者にありがちな傾向と言えます。特にスケルツォ第3番の最後の追い込みの箇所6:02~【この6:28~】は、安全運転の極みのような演奏で、いくら精緻な演奏とは言えさすがに疑問を感じます。
それと、スケルツォは同じフレーズや似たフレーズが繰り返し登場するのもポイントで、それらが再び登場する際には以前と少し違うパートを強調したりして変化をつけるのが普通ですが(カツァリスのように変化をつけまくる奏者も居ますが)、ロルティの変化の付け方は巧みではありますがかなり控えめなのでここも評価の分かれるところだと思います。


 最後のソナタ第2番ですが、この演奏では第一楽章の提示部の繰り返しの際に序奏(曲の一番最初)まで戻るパターンを採用しており、その事に違和感を覚える人も居るかもしれません。今までの演奏・録音で主流だったのは【この演奏の2:15辺り】の様に第一主題の冒頭【この0:13の箇所】へ戻るパターンでしたが、最近は曲のアタマまで戻るパターンが増えてきました。
このパターンはエキエル版(2005年度のショパン・コンクールから推奨楽譜として指定されている版)の普及によって今後広まっていくものと思われ、例えばポリーニも旧録においては以下の楽譜の指示のように今まで普通に行われていたパターンの繰り返しを行っていましたが(そのCDでは2:14)、新録では現在流行(?)のパターンを採用しているようです。


 話が横道に逸れたので本題であるロルティの演奏に戻りますが…、序奏は拍子抜けするほどの軽やかさで開始されます。提示部における第一主題0:13~と第二主題0:50~【この0:53~】の対比のさせ方が非常に巧みですが、繰り返し時に余り変化をつけ無い点は多少評価が分かれるかもしれません。
 展開部4:17~【この4:13~】の表現はロルティにしては珍しい程の熱の篭った演奏で、特に5:02~【この4:57~】の「ff」を含む表現も板に付いており説得力があります。出来ればこのような表現をスケルツォでもやってくれればと思うんですが。
ちなみに、再現部5:47~【この5:36~】は比較的コンパクトな表現にとどめています。
ちょっと長くなり過ぎましたのでここからは駆け足で、

 第二楽章&第三楽章はロルティらしい手堅い演奏と言え、緩徐部分における歌い回しの上手さや美しい弱音が印象的です。

 素早いパッセージが駆け巡る第4楽章での指回り・精緻さはロルティならではで、残響大目の録音であるにもかかわらず(ロルティのCDは全般的にそうですが)、非常に見通しのよい演奏です。



 これ見よがしな技巧の誇示をしない奏者なので第一印象がパッとしなかったり少し地味な感じもある演奏かもしれませんが、聴けば聴くほどその精密ぶりに驚かされる演奏です。


採点
◆技巧=90.5
◆個性、アクの強さ=78
◆美音度=98