2011年12月19日月曜日

ガヴリーロフ 【ショパン:練習曲、作品10&25】



この演奏を収録したCDは色々なヴァージョンがあるらしく、上に添付したCD以外にもバラードを併録している物や、BOXの中の一枚としてコッソリと紛れ込んでいる物があったりするらしいので、購入される際はお好きな物をお選び下さい。


【収録曲】
ショパン:練習曲(エチュード)・作品10&25


 ここの収録されている演奏の傾向を端的に言えば、「急速調の技巧的な曲は自身の限界に挑むかのように速く」 「緩徐系はナイーブかつ丁寧に」と言う事に尽きるんですが、曲集の中から急速系と緩徐系それぞれ数曲を取り上げて少し詳しく見て行こうと思います。


先に急速系および技巧的な曲を数曲を見ていきます。

 まずは冒頭の「10-1」ですが、何のひねりもない言い方ですけど、とにかく速いです。しかも元々のテンポが速い上に、上昇アルペジオの際にはさらにaccel.(次第に速く)するのでリズムが綺麗に「1、2、3、4」と感じられず3.8くらいのところで下降アルペジオへ移行する感じになり、拍節感が少し弱い印象を受ける箇所が少なからずあります。それと、テンポが速い為に和声の推移の表現がおざなりになり勝ちと言うか一本調子になっていますが、0:20【この箇所~】の中間部への移行の表現や、1:32【この箇所~】のコーダ部分への移行の表現はしっかりと行っています。
ちなみに、技術的な癖(?)なのか、上昇時よりも下降時のアルペジオの方が鮮明に弾けていて、これはポリーニとは真逆の傾向と言えます(ポリーニは上昇時に比べて下降時は若干不鮮明になることが多く、ポリーニ盤の回でも指摘したように1:08辺りでは音抜けすらあります)。

 続く「10-2」もかなり急速なテンポで、おおよそ四分音符≒165くらいのテンポで弾き切っています(ちなみに、ポリーニはおおよそ四分音符≒144くらいで、パデレフスキ版に記載されているテンポと同じくらい)。このテンポではさすがに若干苦しそうな箇所が散見されたり、コーダ部分の0:59【この1:14辺り~】では明らかな右手・内声の音抜けが見られますが、
この曲は並みの奏者なら通常のテンポで演奏した場合でも指のもつれや内声の音抜けが避けがたい難曲なので、ある意味ではこのテンポでよくここまで纏めたと言えます(もう少し落ち着いたテンポで弾いて完成度をあげるべきと考える人も居るかもしれませんけど)。

 次は「10-4」を取り上げます。この曲は彼の得意な曲なのか、多少弾き慣れすぎている印象も受けるものの凄まじい出来です。まずガヴリーロフが採用したテンポがメチャクチャ速く(あまりテンポの速さばかり強調するのもバカっぽいですが…)、四分音符≒195くらいで演奏しています。例えばYoutubeにあるリヒテルの例の有名な演奏は四分音符≒208くらいですが、あれは極めて雑でいい加減な弾き飛ばし演奏なのでガブリーロフの演奏の比較対象になりえません。つまり、ガヴリーロフは速い上に正確で余裕すら感じられる訳です。具体的には下の画像をクリックして御覧頂きたいんですが、これだけ速いテンポにもかかわらず冒頭から声部の弾き分けやアクセントをかなりしっかりと表現しています。
他の箇所でも、例えば中間部の0:51【この0:54辺り~】の強弱指示も確実に表現しています。

 次は「10-8」を取り上げます。この曲ではこれまでの様な突拍子もないほどの速いテンポを採用していませんが、左手の対旋律の動きを冒頭からかなり強調する表現していて(下に添付した左側の楽譜参照)、左手パートがより重要度を増してくるコーダ・1:37【この箇所~】のにおいても堅実にそれらを表現してます(右側の楽譜)。


 
 次いては、この曲集で最難曲の一つと言われる「25-6」を見て行こうと思うんですが、実を言うとこの演奏、ガヴリーロフにしては平凡すぎる演奏です。確かに他の奏者よりも多少はテンポも速めですし、右手の三度の重音も強弱表現を含めてかなり堅実にこなしていますし、左手・バス(最低音)の流れもかなりしっかり表現してます。
ただ、フレーズ開始時にやや遅めのテンポから徐々に速めていく場面が多く(それほど大袈裟ではありませんが)、良いように言えばアゴーギク(自然なテンポの伸縮)の表現と言えるかも知れませんが、個人的にはどちらかと言うと安全運転の為のやむを得ない措置と言う印象を受けます。


 続きましては「25-11(木枯らし)」を取り上げます。この曲は恐らく「10-4」と同じくガヴリーロフの得意な曲と思われ、先程の「25-6」とは打って変って物凄い事になっています。
冒頭の序奏を「Lento」これでもかと言うほど遅く弾いたあと、「二分音符≒73」くらいの猛烈な速さで主部・0:28【この0:23辺り~】が始まりますが、
各パートの弾き分け(音量配分など)も驚くほど正確になされており、直後の左手・三連符の箇所が所々不明瞭になるものの(と言っても、普通のテンポで弾いている人でもこの三連符がガヴリーロフの演奏より不明瞭な人はゴマンといるわけで)、
このテンポでよくここまで纏められたものだと感心します。
また中間部においても、副Ⅴを挿んで頻繁に反復進行する箇所・1:51~1:54【この箇所~2:12】における連続する左手・10度音程の和音は、
大抵の場合、添付した参考音源の様な締りの無いダラ~ッっとした演奏になりがちですが、ガヴリーロフは高速なテンポでありながら極めてキレの良い決然とした表現をしています。



 続いては緩徐系の曲を取り上げますが、急速系の部分が長くなり過ぎたので2~3曲のみにします。
 まずは「10-6」からですが、非常に遅いテンポが採用され、急速系の曲での演奏からは想像が付かないほど丁寧で湿っぽく、非常にクドい表現が聴けます(良い様に言えば”叙情的な表現”と言えましょうか)。この急速系と緩徐系との落差はこのCDに限らず、ガヴリーロフ、と言うより、ロシアの奏者にありがちな傾向ですが、平均的なそれよりも落差が更に極端と言えます。

 次は「10-11」を見て行きますが、この曲は比較的速いテンポで演奏され、タッチはやや強めながらも丁寧な内声の処理が聴けます。下に添付した楽譜は中間部の一部分・0:56【この箇所~】です。ちなみに、リンク先の音源のページには「Op.25-11」と記載されていますが間違い無く「Op.10-11 」です。



 長くなりすぎたのでここで終わりにしようと思いますが、全体の傾向として基本的には

◆急速系=超特急
◆緩徐系=丁寧

と言う傾向です。
ただ、「始めは穏やかで途中で激しい」と言う特徴を持つ「10-3(別れの曲)」の中間部の例の激しい箇所では意外とセーブして演奏していたり、逆に、「始めと終わりは激しく中間部は穏やか」な曲調の「25-10」では、激しいところはかなり激しく、穏やかな所はとても穏やかに弾いていて、曲ごとに多少温度差はあれども全体的には緩急のコントラストが激しい録音である事は確かです。

 さて、これまでに取り上げた曲以外にも、変に優雅な演奏が少なくない「10-9」を楽譜の指示通り「Allegro molto agitato(速く、非常にせき込んで)」な表現をしていたり、冗談のように速いテンポの「10-5(黒鍵)」などの興味深い演奏もあれば、とにかくアルペジオを速く処理する事だけが目的のような「25-12(大洋)」などの様に疑問を抱かざるを得ない変な演奏もあり、出来不出来の差が存在することも事実です。


 結局、これらの演奏はガヴリーロフが自身の持てる能力の限界に挑戦したかのような側面が前面に出た演奏であり(急速系の曲の所でやたらとテンポの速さに言及したのはその為でもあります)、恐らく良識のある方達の中にはこの演奏を聴いて
「そんなに無茶なテンポで弾かずに、もっと落ち着いて弾いたらもっと精密で穏当な演奏が出来たのに・・・」
とか
「自身の技巧を見せびらかす為にショパンの練習曲を利用するなんて言語道断!」
と言う印象を受ける方も居るかもしれません。

 しかし、「ショパン・練習曲」の全曲録音を世に出す行為には、ピアニストが自身のトータル的な技巧や能力の誇示をすると言う要素が多かれ少なかれ含まれている事は紛れもない事実でしょう(特にポリーニ盤の登場以降は)。


 この録音は良くも悪くもその辺の有象無象の録音と一味もふた味も違う特別な物である事は疑いようのない事実であり、一つの金字塔として末永く愛聴されるものではないでしょうか。






【採点】
◆技巧=91~75
◆個性、アクの強さ=98
◆唯一無二度=150

2011年12月7日水曜日

プレトニョフ 【ベートーヴェン:ピアノソナタ集】



【収録曲】
ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番「月光」
ベートーヴェン:ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」
ベートーヴェン:ピアノソナタ第23番「熱情」

 今回は色んな意味で変態的なプレトニョフが録音した極めてオーソドックスな選曲のベートーヴェン・ピアノソナタ集を取り上げます。


◆ピアノソナタ第14番「月光」

 第一楽章は比較的オーソドックスな演奏ですが、かなり遅めのテンポ設定、雄弁な左手、フレーズの終わりで一瞬ふと立ち止まるようなアゴーギク、少々乱暴とも言える任意の声部の強調の仕方など、やはり普通とは少し違う演奏です。 
 
 第二楽章ですが、レガートと休符の表現やベートーヴェン特有の少々強引・極端な強弱表現を意外なほど几帳面に再現しています。特に中間部の1:07~1:37【この箇所~1:36】の箇所にある「fp」が付いた「レ♭」のさり気ない強調はいかにもプレトニョフらしいものと言えます。

 次はこのソナタのキモと言える第三楽章ですが、基本的には「指が回ってナンボ」のこの楽章でプレトニョフの精緻な指回りが冴え渡っており、まるで打ち込み演奏のように粒の揃った演奏(この事自体が良いか悪いかは別として)をしており、例えば、かなりの奏者が曖昧に弾き流してしまい勝ちな0:09~0:11【この0:15辺り~0:17辺り】の「Ⅳ→増6」の少々イヤらしい音の配列のアルペジオも一音一音ハッキリと演奏しています。
しかし、これは意図的にそうしていると考えられますが、「Presto agitato」の「Presto」は表現していても「agitato(激しく)」の表現が他の奏者に比べて少し弱く、余りに機械的に処理しすぎている感があることは否めません。ただ、メカニックの精度と言う観点から見れば、往年の巨匠によるものから現代の若手テクニシャンによるものまで数多くあり過ぎるほど存在するこの曲の録音の中でもTopクラスに位置するのは確実でしょう。
 ちなみに、冒頭から続く一連のアルペジオの後の和音に付く「sf」の指示は流れの妨げになると判断したのか全てスルーしています。


◆ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」

 第一楽章は「月光」の最終楽章と同様に速めのテンポを採用して軽やかで粒の揃った打鍵が印象的で、冒頭から始まる「pp」による和音連打の軽快さはさすがの出来ですが、
所々で細部の詰めが甘い箇所があります。例えば第1主題の推移の部分にある左手アルペジオ・0:40~0:46【この0:45~0:47辺り】の明瞭度がかなり低く不満を感じます(再現部の当該箇所にあたる場所【この6:59辺り~】は多少マシですが)。

 第二楽章のなかなか調性が定まらない感のある冒頭では、プレトニョフらしい陰鬱な表現をしつつ徐々に盛り上げながら和声の推移を丁寧に表現しています。ちなみに、第一楽章では和声の推移の表現は余り見られない為に少し平坦な印象を受けるかもしれません。

 第三楽章もお得意の弱音による表現で始まりますが、深めのペダリングのせいでぼやけた印象を受けます(恐らく意図的でしょうが、少しぼやけすぎです)。その後も第一楽章で見られた細部の仕上げの甘さが見られ、この楽章の鬼門と言うべき右手でトリルをしつつ主題を演奏する箇所・0:54~など【この箇所など~】では余りに深すぎるペダリングによって細部が曖昧になる上に所々でトリルが途切れる箇所があったり、
中間部の急速な16分の3連パッセージ・3:22~3:58【この箇所~3:57】における明晰さ、特に左手の箇所が少々曖昧だったりと詰めの甘さが見られます(一般的なレヴェルから見ると決して悪くはなく、むしろ上手い部類に入る演奏ですが、プレトニョフにしては不出来と言って良いレヴェルの演奏でしょう)。
 コーダにあるこの曲の目玉と言える(?)オクターブグリッサンド、8:15~【この辺り~】は多少遅めのテンポ設定ながらも悪くは無い出来と言えます。


◆ピアノソナタ第23番「熱情」

 このCDで最も風変わりな演奏がこの「熱情」です。

 全体的に変わっているんですが特に変わっている箇所を言いますと、第一楽章・提示部にある三つ目の主題(便宜的にこう言います)・2:17~【この箇所~】では、往年の巨匠の演奏に慣れ親しんできた方が聴くと肩透かしを食らう様な素っ気無い表現ですし、
 
その直後の展開部、5連符や6連符のアルペジオが頻出する箇所・3:29【この箇所~】のアッケラカンとした弾きっぷりは、まさに「処理」と言う言葉が適切なもので、殆どの方、特にこの曲に慣れ親しんでいる方ほど違和感を覚えると思います。

 何故これらの箇所を素っ気無く感じるかと言うと、一般的な演奏(と言うとアレですが)よりも急激な強弱の表現、特に一つのフレーズの中での強弱の大きな変化が少ない事もありますが、最も大きな理由は、大抵の奏者が当たり前のようにタメを作ったり「accel.(次第に速く)」してしまう所でも意図的に比較的インテンポで演奏している事によるものだと思われ、上記の2箇所の他にも9:05【この8:35~】から始まる嵐のようなアルペジオが続く箇所でも同様のアプローチが確認できます。

 変奏曲形式の第二楽章はかなり遅めのテンポを採用しており、第2変奏・3:34【この箇所~】では右手アルペジオを消え入りそうなほどの弱音で弾いたりするなどプレトニョフらしさが溢れてはいます。

 第三楽章はダイナミックな強弱表現やこれまでより緩急自在なアゴーギクが随所で見受けられて意外なほど”ベートーヴェンらしい演奏”になっています。特に「Presto」の指示があるコーダ・6:42~【この箇所~】ではコントロールを失ってしまう寸前ギリギリの猛烈に速いテンポで怒涛の如く弾き切っており、特に16分音符の急速なパッセージが休み無く続く7:05~【この7:27辺り~】ではその傾向が顕著で、プレトニョフにしてはとてもラフな演奏と感じる人もいるかもしれませんが、この箇所ではこう言う表現もアリと言う人も少なくないと思います。



 これらの演奏は「知名度の高い曲を演奏する中で、いかに自分の色を出していくか」と言う挑戦の記録のようであり、ベートーヴェンを聴くと言うよりもプレトニョフそのものを聴く為のものと言えると思います。
 そんな訳で、往年の巨匠のベートーヴェン・ピアノソナタを聴いて「やっぱりベートーヴェンはこうでなくっちゃ!」と感じる方達には決してお勧め出来ない内容ではありますが、少し変わったベートーヴェンを聴きたい方にはかなりお勧めだと思います。




【採点】
◆技巧=89.5~87
◆個性、アクの強さ=95
◆ツンデレ度=100