2012年8月19日日曜日

雑記・その3 【ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番の大カデンツァとかって、何?】

 「あなたの好きなピアノ協奏曲は?」の様なアンケートでTOP3に入るであろう超人気曲である(と思われる)、ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番ですが、この曲の第1楽章のカデンツァには「通常のバージョン(オリジナルとも言われるらしいです)」と「大カデンツァ(ossiaとも言われるらしいです)」の2種類がある事はピアノ好きの皆さんなら誰でも御存知かとは思います。

 しかし、この曲を初めて聴こうとする方にしてみれば、ドコの事かわからないのではないでしょうか?
そのような方が自力で調べようとして、例えばWikipediaの当該ページを見たとしても恐らくよく分らないと思います。

と言う事で、カデンツァの具体的な箇所のリンクを貼ってみます。


※まず「通常のカデンツァ」での例ですが、この音源の7:27から
※次は「大カデンツァ」での例ですが、この動画の10:16から

以上です。

 知ってしまえば何て事はない事柄ですが、調べようと思えば何かと手こずる「今さら訊けない」系のお話でした。

 なお、このブログは「コンパクトディスクレビュー」ですが、CDレビューに直接関係は無さそうなこの手の小ネタも書いて行こうと思います。

2012年8月7日火曜日

キーシン 【シューマン:ピアノソナタ第1番&謝肉祭・Op.9】



【収録曲】
シューマン:ピアノソナタ第1番・作品11
シューマン:謝肉祭・作品9

 今回は久しぶりにキーシンの録音を取り上げたいと思います。ちなみに、上に添付したCDの演奏は、RCAより出ている「Kissin Plays Schumann」と言う廉価な3枚組BOXにも収録されていますのでソチラを購入される方がお買い得かもしれません。


◆ピアノソナタ第1番

【第1楽章】
 序奏からテンポ揺れ幅や強弱の振幅がかなり激しい所謂キーシン節と言える演奏が聴けますが、テンポ自体は穏当ですし曲調が曲調なのでソレほど違和感はないと思います(暑苦しい演奏を生理的に受け付けない方は除く)。

 第一主題=2:25~【この音源で1:45~】の冒頭から続く多声的な箇所の処理ですが、
基本的には強調したい声部(パート)以外はかなり控えめに弾いていますが全体にバランス良く表現されています。ただ、少し先の2:40の箇所【この2:01辺り】では内声の旋律が殆ど表現されていないなど
多声的な表現が甘い箇所も散見されます。

 少し先にあるスタッカートが続く箇所=2:48~【この2:09~】ですが、例えば以前取り上げたアンスネス盤の様にスタッカートの処理が甘くなる奏者も少なくない中で、キーシンはかなり几帳面にスタッカートで演奏していますが、手を交差させる箇所の一部でかなりのタメがあり、気になる方達にはとても気になる所だと思います。
少し先の「ff」の箇所=3:07~【この2:30辺り~】でも殆どの音符にスタッカートがついていますがココではスタッカートの表現がおざなりになっていますし、
実はこの直前の部分=3:01~【この2:23辺り~】もスタッカートがあるんですがソコでもペダルを踏んでレガートに処理しています。しかし、この近辺で徹頭徹尾スタッカートで弾き切ってる人はまず居ないのですし(Youtubeなどで色んな奏者のこの箇所の演奏を聴いてみればわかると思います)、まぁ多少甘くなっても致し方ないと思わなくもありません(と言いつつ、キーシンは若干ペダルを踏みすぎで締りが無さ過ぎると思わなくも無いんですが)。

 少し先の変ホ短調へ転調した「passionato」の指示がある箇所=3:24~【この2:45~】では楽譜に記されている「sf(その音を強く)」やスタッカートの指示をかなり忠実に再現していますし、
その直後にあるリズムが変化した箇所=3:32~【この辺り~】でもその姿勢は変わらず、休符の表現をシッカリ行っていますが(なお、アンスネス盤はココでの休符の表現が甘いです)、
passionato」の指示があるせいか、特に前半の箇所でかなりテンポの揺れが激しいのが特徴です。恐らくインテンポで弾けなかったんじゃなく弾かなかっただけだと思いますが、個人的にはこの箇所はアッサリと経過して欲しい箇所です。

 その次の変ロ短調→嬰ト短調→イ長調と続いていく箇所=3:42~【この3:02~】ですが、メロディの受け渡しの表現がかなり大胆で、
少し嫌味な感じを受ける方も居るかもしれませし、直後の第二主題=4:21~【この3:34~】にある第一主題のモチーフの断片=4:27辺り【この3:38辺り】もコレでもかと言うくらい強調していて、
ココまで強調されるとさすがにこれ見よがしな感じを受けます。なお、再現部のこの箇所にあたる箇所=9:58~【この8:33~】でも同様の表現をしています。

 キーシンは提示部の繰り返しを行っていないため展開部=5:28~【この箇所~】へすぐに突入しますが、ココでも独特のテンポの揺れや少々やりすぎな感もある強弱表現や任意の声部の表現などが見られます。例えば、跳躍が続く箇所の直後にある第一主題のモチーフの強調とスタッカート表現=6:04~6:12【この辺り~5:06】のような地味(?)な箇所における
細部の作り込みは偏執的とさえ思えるもので、恐らく(と言うか、まず間違いなく)、キーシンはこの「タッ、タッ!タッ、タッ!タッ、タ~~タラッ!」と言うモチーフの「タッ、タッ!タッ、タッ!タッ、」の部分を片っ端からスタッカートで表現する事がこの楽章を弾く上での重要なポイントと認識しつつ演奏した思われます。何故かと言えば、この後の7:49~7:56辺り【この6:36~6:44辺り】はイザ知らず(最初の高音域部分はスタッカートじゃありませんが、コレはピアノの構造上の問題です)、先に述べた跳躍箇所よりも更に長い跳躍が続いた直後の8:11~8:14辺り【この7:00~7:04辺り】でも徹底してスタッカートで演奏していて、コレは意識していないとまず出来ない事です(有名な録音はかなり聴いてきたつもりですが、キーシン以外にココまでスタッカートを徹底している奏者はお目にかかったことがなく、どの奏者でもどこかしらでスタッカートが甘くなる箇所があります)。
 少し先の「vivacissimo(極めて速く)」の指示がある箇所=6:50辺り~【この辺り~5:57辺り】では少し粗っぽい打鍵が多くなりますが、この場面の表現としてはソレほど場違いではないと思います。
 上記のすぐ後の「il basso parlando(≒低音部は話すように)」の指示がある箇所=7:08~【この辺り~】の低音部(左手パート)は序奏で出てきたメロディに基いたものですが、コレまでに何度か言及しました「任意の声部の極端な強調」がここでも顔を出しており、「話すように」の指示であるにも関わらず、まるで酔っ払いがガナリ立てているようかのな乱暴な表現で違和感を覚える方も多いと思います(もしかしたら「シューマンっぽい表現」と感じる方も居るかもしれませんが)。
 話が前後しますが、2回目の長い跳躍箇所=7:56~8:10【この6:45辺り~7:00辺り】ではテンポの揺れや強弱表現にかなり癖があり、弾けないのを誤魔化すためとまでは思いませんが、違和感を覚える方も少なくないと思います。

 再現部=8:25~【この7:16辺り~】以降も基本的にココまでと変わらない表現(例のモチーフをスタッカートに弾いたり、第二主題=9:52~【この8:29辺り~】での任意の声部の強調及びクドい歌い回し等など)をしています。


【第2楽章】
 この緩除楽章は予想通りの仕上がりと言いましょうか、端的に言えば「クドい」の一言に尽きますが、少しだけ言及するなら、中間部のヘ長調の部分=1:07~1:51辺り【この辺り~1:33辺り】での内声とバスが所々で少し荒っぽい表現で違和感がある事です。

【第3楽章】
 冒頭からの主部ではキーシンらしく歯切れの良い和音が決まっていますが、「piu Allegro」からのイ長調になった箇所=0:42~【この箇所~】や、
少し先=1:07~【この辺り~】からの箇所では、
第1楽章で見せたようなスタッカートの徹底が見られないのが残念ですが(ただ、ココでスタッカートを死守できている奏者はまず居ないので普通の出来と言えますが)、スタッカートを出来るだけ守ろうとした為か、特に左手パートにおいて所々でつっかえた感じと言うか、非常に弾きにくそうに演奏している箇所が散見されます。
 中間部=1:58~【この辺り~】ではいつも通りのクドい歌い回しな上にアクセントの指示を過剰に表現しすぎで、かなり癖が強いです(いつも通りのキーシン節と言えばそうなんですが)。
なお、中間部では2箇所で繰り返しがありますが、キーシンは最初の箇所=【この箇所から2:20まで。なお、この音源は繰り返しを行っていません】は繰り返しを行っていますが、次の箇所=【この箇所~2:47辺り。この音源はここでも繰り返し無しです】は繰り返しを行っていません。


【第4楽章】
 この楽章では冒頭部分から下に添付した楽譜の赤で囲った部分の休符が全く表現されておらずメリハリに欠ける演奏になっています。楽譜と【この音源】を照らし合わせて場所を確認してみてください。
 直後の箇所=0:22~【この0:22辺り~】も休符を勘案して演奏すれば「タラッ!タタ~、タラッ!タタ~~タ~~」と続いていくはずですが、
キーシンはこれらの休符をことごとく無視して演奏しています。これが例えば、0:38辺り~【この辺り~】の場合だと、
広い音域をカバーする左手パートを演奏する際にペダルを踏む必要が生じるため、止むを得ず右手パートの休符が表現できなくなりますが、先に挙げた2箇所ではそう言った事情が無くスルーした理由が全く分りません。これ以降にも前述の箇所に類似した箇所=1:22~【この箇所~】や1:43~【この箇所~】がありますが、それらの箇所でもことごとく休符の表現を行っていないだけでなく、この楽章では全体的に休符の見落としが目立ちます。

 この様な細かい休符の見落とし(意図的に休符を無視したと考えられなくもありませんが…)はソレほど気にならない方も居るかもしれませんが、この手の見落としは批判されて然るべき事柄だと思います。何故なら、楽譜に休符が書かれているのにシッカリと表現出来ていないと言う事は、例えば、「ド」と書かれているのに「ド」を弾いていないのと何ら変わりが無い事だからです。
勿論、他のパートとの兼ね合いでペダルの使用した事によって止むを得ず休符を表現できなくなった場合等は別で、他の奏者がシッカリと表現できている箇所で大した理由が見当たらないのに無視しているケースについての話です。


 ついでに言いますと、これは常々思っている事ですが、ネット上などでの批評を見ていると、演奏を聴く際に「急速なパッセージをシッカリ叩けているか」や「インテンポを維持しているか」を重視する方達はかなり多いですが、休符の表現や音価(≒音の長さ)のコントロールを重視する方達は余り多くないような気がしてなりません。

 さらに言いますと、「インテンポを維持している事」と「細部がしっかりコントロールできている事」は別の問題で、難所でインテンポを維持していても細部が疎かになりがちな人は居ますし(何度も挙げていますが分り易い例がアムラン、ユジャ・ワン、他には80年代以降のポリーニなどなど。インテンポを維持する為に細部を犠牲にしてるとも言えますけど)、テンポは揺れていても細部はちゃんと表現できている人(この第1楽章でのキーシンなど)も居る訳です。もちろん、インテンポでしっかり弾けている演奏もありますし、テンポが揺れている上に弾き切れていない演奏もありますが。
 インテンポを維持できているかどうかは誰が聴いても物凄く分かり易いため、技巧の判断基準にすると便利ではありますが、それだけに惑わされずに「本当に弾けているかどうか」や「目立つパート以外で手抜きは無いか」などをしっかりとチェックしたいものです。


話が横に逸れて長くなりましたので第4楽章の続きをサラッと見て行きますと、前述の全体的な休符表現の甘さ以外はそれなりに手堅くまとめており、例えば3:42~【この辺り~】の左手のスタッカートによる同音連打含みの下降音形もかなりキレの良く演奏していますし(まぁ多少甘い部分もありますが、添付音源のように同音連打が不明瞭になったりする奏者が多い箇所なのでコレでも上出来です)、
直後の3:49辺り~【この辺り~】からの手の交差させる箇所の弾きこなしも及第点はきっちりと超えてきていますし、後半にある同様の箇所(調は変わっていますし、左手はオクターブになっていますが)の8:54~【この辺り~】でも前半同様にかなり手堅くまとめています。


 全ての楽章を全体的に見るとかなりの好演ですが、素晴らしい出来の箇所と甘さが見られる箇所の落差が大きく、それ故に甘い箇所が余計に目立ってしまって損をしているようにも思えます。



◆謝肉祭・Op.9
 この曲は数曲をピックアップして見て行きたいと思います。なお、この録音に「スフィンクス」は収録されていません。

1・Preambule (前口上)
 冒頭から速めのテンポであまりタメを作らずにサクサクと進んでいく上に、強弱も余りつけないため棒弾き気味でせっかちな印象を受けますが、和音の鳴らし方は堂々としたものです。
 少し先の1:06~【この1:23~】はこれまでと打って変ってテンポの揺れがや強弱の付け方が激しくなり、1:26辺り【この辺り】の「accelerando(だんだん速く)」と、直後の「Animato(活き活きと速く)」の箇所からは怒涛の如くテンポを速めていきます。この少し先の辺りから頻出する急速な単音のパッセージの鮮やかな処理はキーシンの最も得意とするものの一つで(ショパンの前奏曲・16番とかも凄いですよね)、極めて急速なテンポにも関わらず素晴らしい粒立ちの良さを見せています。
 終わり近くの「Presto」の指示がある箇所=1:52~【この辺り~】では、なぜか変にもたつくと言うか、千鳥足の様なヨタヨタとした感じの不可解なテンポの揺れが見られます(ここはノンストップで猛進し切って欲しい箇所です)。

2・Pierrot (ピエロ)
 この曲では前半と後半で繰り返しの指示があります。この音源を基に言いますと。冒頭から0:15で冒頭へ戻って繰り返したあと、この箇所から後半が始まります。なお、この音源では後半の繰り返しを行っていません。キーシンもまた先程の添付音源のように後半の繰り返しを行っていません。
  さて、キーシンの演奏について見ていきます。前半の繰り返し時に左手パートの旋律を丁寧に強調しているんですが(下に添付した楽譜参照)、
はっきり言ってそんな事はどうでも良く、強弱表現のワザとらしさや歌い回しのクドさがとにかく酷い、ではなく、物凄く癖があって違和感しか覚えません。

 実はこの序盤の2曲で既に謝肉祭全体の傾向である「速い曲調の曲・箇所は速く」そして「遅めの箇所・曲ではグッとテンポを落として粘っこく歌い上げる」と言う特徴が表れていて、結局は「これ以降もこの二つの表現のみです。オシマイ」でも十分だと思うんですが、他の曲、特に技巧的な曲をもう少しだけ取り上げます。

14・Reconnaissance (再会)
 冒頭から(と最後)の変イ長調の部分はかなりの出来で、右手の内声のスタッカート表現や、合いの手の様に入る左手パートの動きも楽譜の指示通り「pp」で弾いていますが、
中間部=0:34~【この辺り~】での上声部とバスの掛け合いでは、
いつもの極端なテンポの揺れと強弱変化のお陰で、特にバスのフレーズが所々でかなり聴き取りにくくなる箇所があります(幾らなんでもやり過ぎです)。

15・Pantalon et Colombine (パンタロンとコロンビーヌ)
 全体的にキーシンらしい溌剌とした打鍵が聴ける好演ですが、0:04~【この0:10辺り~】の左手のスタッカートが少し甘い点が惜しいです。
 少し先、「meno Presto」の指示がある変ロ短調に転調した箇所=0:12~【この辺り~】には、0:15と【この0:24辺り】や、繰り返し時の0:24辺り【この0:44辺り】の右手パートにコッソリと6度重音の下降フレーズがあるんですが、
キーシンはこの6度重音フレーズをスタッカート気味、つまり、和音連打の様な感じで処理していますが、この処理を手抜きと感じる方も中にはいらっしゃるかもしれません。

 余談ですが、上記の6度重音あたりの箇所を含む中間部の速度指示は「meno Presto」である事は既に申し上げましたが、この曲の冒頭の速度指示は「Presto」です。「meno」の意味は「~より少し」と言うものですから、「meno Presto」の意味は「Prestoよりは遅く」・「Prestoより少し遅め」と言う感じになります。
しかし、例えば添付した音源もそうですが、中間部に突入する際、曲の冒頭に比べて「少し」どころではなく極端に速度を落とす奏者が結構居る上に(Youtubeなどで色々な音源をチェックしてみて下さい)、6度重音のフレーズに差し掛かる時にいかにも「シッカリと歌い上げています」と言わんばかりにテンポを更に落とす奏者も居ます。
こう言う箇所はサラッとお洒落に処理して欲しいものです。

17・Paganini (パガニーニ)
 さて、この曲集でキーシンは「速い曲調の曲は速く」演奏していると書きましたが、この曲はそりゃもうメチャクチャ速いです。私の聴いてきた中で一二を争うの速さと言って良いと思います。
…が、その速さ故に細部のコントロールが犠牲になっていて、全体としてはバスの表現はどの場面でもかなり的確に行えているものの、冒頭からの右手の「p(弱く)」の指示やスタッカートの指示が守られていないなど勢い重視ゆえのコントロールの甘さが見られます。
 0:06~【この0:14辺り~】からは両手パート共にスラーが掛かり「p(弱く)」の指示も再び書き込まれていますが、ここの場面転換はある程度しっかり表現できています。しかし、0:16~【この0:27辺り~】から再び始まるスタッカートの指示は守られていません。
この曲であまりにコントロール重視の安全運転をされても興醒めですが、例えば、以前に取り上げたガヴリーロフ盤シュミット=レオナルディ盤はキーシン盤に比べてややテンポは遅いものの(と言っても、ガヴリーロフ盤は殆ど変わらないですし、レオナルディも十分速い部類に入りますが)、この辺りのコントロールはかなり的確に行っています。
もう少しバランスを考えてテンポ設定して欲しいと思う反面、このテンポでよくココまで纏めたと思う気持ちも無くはないんですが(添付音源と比較したら尚更です)。

21・Marche des ‘Davidsbundler' contre les Philistins (ペリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進)
 一曲前の「20・Pause(休息)。このリンクの0:25まで」から切れ目無く開始するこの曲ですが、キーシンは当然のごとく「Pause」を凄まじいテンポで鮮やかに弾き切っており、その流れもあって、この曲もかなり速いテンポで開始されます(この曲の冒頭の速度指示は「Non Allegro(速過ぎず)」なんですが)。
 少し先の0:21~0:29【この0:53~1:04】と、繰り返し時の0:43~0:51【この辺り~1:34】の箇所にはスタッカートの指示があるんですが、
ソナタ一番でも見られたように指示を一切無視して演奏しており、結果としてメリハリの無い演奏に仕上がっています(指示を無視した理由が本当に分りません)。
 更に少し先、1:03~【この1:50辺り~】からは速度指示が「Molto piu vivace(今までよりも速く)」になり、さらに「sempre e sempre accelerando(「常に速くし続けて」的な意味でしょうか)」と言う指示も書かれおり、通常ならココからかなり長期間に亘って徐々にテンポを上がっていくんですが、キーシンは冒頭からかなり速めのテンポで弾いていたため、この時点ではかなりの速度に達していて中々テンポが上がって行きません(個人的な意見ですが、ロシア系のピアニストって指は器用に動きすぎるくらい動くのに、この手の全体的な構成などは極めて不器用と言う印象です)。
しかし、それでも2:27~【この辺り~】からは再び立て直して加速して行くとともに粒立ちの良い右手の速いパッセージが鮮やかに決まっていきます。並みの奏者ならキーシンが採用したテンポよりもっと遅いテンポでも右手のフレーズが流れがちになる事も少なくありませんが、まさにキーシンの面目躍如と言うべき箇所です。
 「Piu stretto(今までより緊迫して速度を上げて)」の指示のある2:50~【この3:58~】は第一曲の最後辺りの箇所=【この辺り~】と似た箇所ですが、キーシンはココでもその第一曲の箇所と同じ様にテンポは速いものの千鳥足の様に少しフラフラした演奏をしています(ただの癖?)。



 さて、結構飛ばしたつもりなのにまた長くなってしまいましたが…、
本CDを全体として見るとかなり良く出来ていてるとは思いますが、場面場面をピックアップしてみると良い所と悪い所の差が激しい印象です。

 全体的に瑕疵が殆ど見られない優等生的な演奏がお好みなら、例えばアンスネスの様なタイプの奏者による演奏をチョイスするのが無難だと思いますが、
キーシン節を存分に味わいたい方や熱苦しい演奏が好きな方
で未だに本CDを聴いて居ない方は是が非でも聴いてみて下さい。



                                                  まぁ、夏場に聴く演奏では無いと思いますけど…。



【採点】
◆技巧=93~75
◆個性、アクの強さ=100
◆清涼感=0