2011年10月30日日曜日

ポリーニ 【ショパン:練習曲、作品10&25】

今回はポリーニのショパン・練習曲集(DG・4137942)です。



 説明不要とは思いますが、本盤は数多くあるピアノ独奏曲のCDの中で最も有名な物の一つと言っても過言では無いほどの超有名盤であり、ポリーニのキャリアにおいても最も重要な一枚の一つである事は異論がないと思います。

 
 さて、「ポリーニのショパン・エチュードは主観を排した楽譜に忠実な演奏である」と言う意見を時折見聞きしますが、実際に楽譜と照らし合わせて聴いてみると、どう贔屓目に見ても欠けている、あるいは省略されている複数の要素がかなりの箇所で見受けられます。

 まず一つ目は「強弱表現の省略」で、急速系の曲において目立つ傾向にあります。判りやすい所で言うと作品10-1のコーダの部分・1:36【この1:39~】、楽譜には1小節ごとにクレッシェンドとディミヌエンドが交互に書き込まれている箇所や、

他にも「革命」の中間部0:50~【この0:52~】から等です。

 全体的な傾向として、「cresc.」や「P」「」等の記号は比較的守られていますが、「>」「<」等の記号は省略されている場合が多く見受けられます。


 
 二つ目は「声部・パートごとの弾き分け」の省略で、この要素は強弱表現よりも多く省略されています。できるだけ判り易い箇所を数例挙げますが、例えば、作品10-7の冒頭からの右手による二声の表現(三声と解釈出来なくもないですが)や、

作品10-9の冒頭からの左手・内声の表現や、

作品25-1「エオリアンハープ」の0:31~【この0:36~】から始まるフレーズの途中で登場する内声【この0:42辺りからと、0:45辺りから。下に添付した楽譜も参照して下さい】の表現など、

良いように解釈すれば「控えめに表現している」とも言えなくもありませんが、どう聴いても積極的に表現しているとは思えません。
 ショパンのエチュードをポリーニの演奏で長年親しんできた方の中には、たまにポリーニ以外の演奏でこの曲集を聴いた際に「あれ?この箇所にこんなメロディあったっけ?」と言う様な経験をした方もいらっしゃるかと思いますが(実は私がそうでした)、その原因はパートごとの弾き分けの省略にあると言えます。



 三つ目ですが、「発音時や発音後の丁寧な処理」です。
これは前述の二つの要素よりも更に顕著に見られる傾向ですが、ポリーニのこの録音はとにかく打鍵時の雑音が酷いのが特徴で、冒頭の作品10-1から「キンキン、カンカン、コンコン」と打鍵時に雑音を撒き散らしていますし、次の作品10-2の0:31~【この0:33~】からの中間部でも打鍵するたびに「コツコツ」と邪魔な雑音が嫌でも耳に入ってきますし、
極めつけは「別れの曲」の中間部の終盤、この曲の難所として名高い2:05~【この箇所~】の箇所では親のカタキのように鍵盤をブッ叩いている上にペダルの処理の雑さが相まって、ヒステリックな響きのみが耳につく締りの無い演奏になっています(作品25-10も酷いです)。
ペダルの雑さに関しては上記以外にも「エオリアンハープ」や次の曲の25-2などにおいても聴き取る事が出来ます。


 さて、今まで見てきたようにこの録音には省略されている要素が少なくいんですが、一つだけどれだけ探しても殆ど粗が見つからない要素があります。それは、「楽譜に書かれてある全て音符を音抜けやミスタッチをする事なく順番に発音させて聴き手に届ける」と言う基本的な要素です。
 
 ポリーニ以前にもショパン・エチュード全集の録音はありましたが、それらのどの録音よりも(※註、私も全ての録音を聴いた訳ではありませんが…)ポリーニは楽譜に書かれた音を正確に発音させていますし、このポリーニ盤が世に出た後に録音された物と比較してもこの点に関しては群を抜いています(あくまで「この点に関しては」って話ですが)。
例えば、作品10-2や作品25-6等はどの奏者の演奏でも念入りに粗探しすれば殆どの場合は多かれ少なかれ音抜けやミスタッチが見つかるんですが、ポリーニの演奏にはそれらが全く見当たりません(まぁ、全24曲をくまなくチェックしてみると作品10-11:08辺り【この1:10辺り】で音抜けや他の曲、例えば作品10‐4のコーダの1:42辺りの左手【この1:36辺り】にもミスタッチっぽい箇所もありますけど、そんな事を言い出したらこの他の大多数の録音なんてこの点に関しては問題外のレヴェルでしょう)。

【後日追記】
『10-2や25-6で音抜けなどが全く見当たらない』と書きましたが、「10-2」の0:11辺り、7小節目・二拍目の右手内声の和音の下側「ミ」が抜けています。失礼しました。

 
 これらの事を勘案すると、ポリーニは他の要素を多少犠牲にしても楽譜に書かれた音を順序よく発音…、いや、もっと正確に言うと、
「ショパンが楽譜に書いた音を片っ端から全てシバキあげる」ことを最優先にしたものと推察できます。
 先に挙げた強弱の表現が少なさも曖昧な発音を回避する為にとった手段の一つと思えなくもありません。


 改めて言いますが、この演奏は極めて特異な演奏であり、「非常にバランス感覚が悪い演奏」と言っても差し支えないと思います。
と言うか、それ以前に、「けっして鍵盤を叩いてはいけない~・・・」「美しい音で多彩なニュアンスをつけて演奏を~・・・」と弟子達などに教えていたショパンの楽曲の演奏としては致命的な欠陥を持っているとさえ言えます。

 ただ、前人未到の表現をした唯一無二の演奏・録音である事は疑いようの無い事実。例の有名なキャッチフレーズをモジって言うなら…、

「これ以上、何かを要求するのは酷じゃないですか?」





【採点】
◆技巧=97~60
◆個性、アクの強さ=99.9
◆「やっぱ、ポリーニは凄かったよなぁ」度=100

2011年10月22日土曜日

ユジャ・ワン 【トランスフォーメーション】

今回はユジャ・ワンの「トランスフォーメーション」を取り上げます。


 ユジャ・ワンと言えば、シフラ編の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」や「熊蜂の飛行」などを演奏する姿がYoutubeなどにUPされて話題になった現在DGが売り出し中の奏者です。


収録曲
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3楽章
スカルラッティ:ソナタ ホ長調 K.380
ブラームス:パガニーニの主題による変奏曲
スカルラッティ:ソナタ ヘ短調/ハ長調 K.466
ラヴェル:ラ・ヴァルス


 では早速ペトルーシュカから見て行きたいと思いますが、いつもの様にポリーニ盤(以下、P盤)と比較しつつ進めて行きたいと思います。
 第一曲の冒頭の和音連打はテンポこそ颯爽としたものですが、和音のキレや抜けの良さがもう一つで、少しパッとしません(これは打鍵自体にキレが無いって言う理由もありそうですが、音像が遠い上に残響が少し多めでちょっとボヤけ気味の録音の影響も大いにありそう)。次のセクション0:09~(P盤・0:10~)においては、右手で分厚い和音を「ズチャチャチャ!ズチャチャチャ!」と連打する箇所0:14~0:15(P盤・0:15~0:16)で突然フォルテになって違和感を覚えます。これは強弱表現の為と言うよりも、単純に和音を素早くしっかり弾き切る為の措置だと思いますが、彼女の演奏は基本的に弱音主体で行われるのでこれらの行為は非常に目立ちます。
 ついでに言えば、彼女の弱音はキーシンなどのそれとは違って抜けが悪い上に、速いパッセージや技術的難所などでは通常より更に音量を落として弾く傾向があるので、往々にして細部が非常に聴き取りにくいのも特徴です(弾けているか弾けていないかが判らない位にまで音量を落とすんですよね)。
 横道に逸れましたが…、次のオクターブ含みの連打の箇所0:21~(P盤・0:23~)もかなり極端な弱音から開始しますが、そこからの強弱表現はなかなか巧みです。しかし、この部分の左手の和音構成音の一部をかなりの部分で省略しているのが残念です。この部分の左手パートには一度に9度を掴まなければならない和音がありますが、頑張って一度に掴もうとしたりバラしてアルペジオ気味に弾いてしまうと演奏のスムーズさに支障が出ると判断した為に省略したものと思われます(この辺は非常にあざとい)。
 
  続く第二曲でも時折フォルテを交えつつも弱音主体で演奏する基本的な姿勢は変わりませんが、第二曲ではそれほど強音を求められない為にさほど違和感はなく、全体的な出来としてはそれほど悪くは無いです。さて、具体的に見て行きますと、1:49~(P盤・1:52~)の三段譜の箇所ではP盤とは違ってペダルを余り踏まずに演奏して左手パートをややパッカーシブに表現しています(ちなみに、ここでペダルを殆ど踏まないアプローチ自体はワイセンベルク等も行っています)。しかし、ペダルを踏まない事で左手のタッチが不揃いな事がクローズアップされると言う少々皮肉な結果となっています。
 そこから少し先の2:37~(P盤・2:43~)の左手パートの「ズッ!チャッ!チャ~!タララタララ、ラチャッチャッチャ、タララチャン!」と言う箇所(?)ですが、ここで前述の「速いパッセージに差し掛かった時、弾けているかどうか聴きとれないほど音量を落とす」と言う癖が出ていて、最初の「ズッ!チャッ!チャ~!」と最後の「・・・チャン!」だけはハッキリ聞き取れますが、その間は音が小さすぎて何を弾いてるのかいまいちよく判りません(P盤もペダルによる響きの混濁で判別しにくいですが)。

 第三曲の冒頭の右手・重音トリルもまたまた極端な弱音から開始され、その直後に続く三度重音主体のパッセージもタッチが弱い上にペダル過多の影響で細部がかなり聴き取りにくくなっています。 

 少し先の1:18~(P盤・1:21~)から開始する左手の1指(親指)で内声を弾きながら残った2・3・4・5指で三度重音を弾く有名な箇所では、右手パートが下に添付した楽譜のような感じのフレーズを弾くんですが、
ライヴっぽい映像(DVDの映像?)を見ると、ユジャはこの箇所で右手の1指の音を片っ端から抜いており(思いっきり確認できるアングルなのに…)、あらためてCDを聴き直してみると、CDでも同様に右手1指の音を全て抜いているようです。

 かなり先へ飛びますが、4:34~(P盤・4:33~)では内声を少し変更しています(そのせいで楽譜に元々書かれてあるパートを少し省略してるんですが)。具体的には、「」の同音連打が続くところを、
ラ ソ ラ ソ ラ ソ ラ シ|ド シ ド シ  ラ シ ラ ソ|ラ ソ ラ ソ ラ ソ ラ シ|ド シ ド シ  ラ シ ラ ソ」 
と弾いていて、ちょっとしたアクセントになっています。クラシック愛好家の中にはこの手の改編(と言うほどでもないと思いますが)に対して違和感や嫌悪感を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、個人的にはこの手のお遊びは嫌いではありませんし、この曲のもつ性格から見ても許容範囲だと思います。

 次はペトルーシュカの最大の見せ場とも言うべき例の跳躍パート、6:09~(P盤・6:08~)を見て行きます。実を言いますと、Youtubeにある彼女の動画を見て跳躍は得意そうだったのでこのパートの出来にはかなり期待してたんですが、最初に結論から言いますと「想像以上に出来が悪い」です。レヴェルとしては「打鍵の強さなどは揃ってませんが、とりあえず音だけは一生懸命鳴らしてみました」程度で、パートごとの音量配分もヘッタクレも無い演奏です。
この跳躍パートはカノン風に構成されていて、6:17(P盤・6:15)から左手が先行して
ミ~ミ~ミ~ミ~、シレド♯~シ~・・・
と言うメロディを弾き、右手が四拍遅れて6:19(P盤・6:18)から同じメロディを1オクターブ上で開始して追っかけていくと言うものなんですが(大まかに言ってます)、彼女の演奏ではその事が殆ど感じられず、特に左手の先行するメロディは本当に「ただ鳴っているだけ」の状態です(って言うか、こんな弾き方ですら所々で音抜けもあり、鳴ってすらいない音もあるんですが…)。

 更に少し先の7:44~(P盤・7:40~)から始まる右手の速いパッセージの部分ですが、本来であれば途中の7:47(P盤7:42~)あたりから下の声部が「ド→シ♭→ド→シ♭ ~ 」と交互に続いて行くんですが、彼女は「」を連続して弾いてコッソリと難易度を下げています。非常に分りにくい箇所ですが、ポリーニ盤と比較するとよく分かるかもしれません(この曲こそ楽譜が添付出来たら良いんですが、著作権の問題で出来ないのが残念です)。
ちなみに、私の手持ちのCDの中ではワイセンベルクとペーター・レーゼルが同様の改編をしています。楽譜(ブージー&ホークス版)にはこの箇所の右手パートに「ossia」はありませんが(左手パートにはありますけど)、3人も同じ様な演奏をすると言う事はそう言う楽譜があるのかもしれません。

 スカルラッティは飛ばして、ブラームスのパガニーニ変奏曲を見て行きますが、曲の並び方が少し変わっており、主題の後に第1巻の第一変奏から第十二変奏までを順番通りに演奏した後、第2巻の第一、第二、第五~第八、第十~第十三の次に第三変奏を持ってきて、再び第1巻の第十三、第十四変奏へと続く構成となっています。

 主題は飛ばしましてまず第一変奏から見て行きますが、ここでは彼女特有の弱い打鍵が良い方に働いています。大抵の奏者はこの変奏を冒頭からかなりの強音で弾き始めてしまい重音などが曖昧になるんですが、彼女の場合は弱めの打鍵のおかげでスッキリと聴く事ができます(ただ、途中で更に弱く弾いてしまい何を弾いてるのか聴き取りにくくなるのはいつもの事ですが)。
 続く第二変奏は第一変奏以上に響きが濁りやすく細部が聴き取りにくくなりがちな曲ですが、
この曲でも同様に弱いタッチのおかげで細部が聴き取り易く、肝心な重音の処理も小さな傷はありはしますがかなりの出来です。ただ、曲中での強弱の変化が殆ど無いために棒弾きと感じる方もいるかもしれません。
 第三変奏はハッキリ言ってしまうとイマイチな出来です。ここまでも繰り返し指摘してきましたが、目立つ所以外は打鍵が弱すぎて何を弾いてるのかがいまいち聴き取りにくく、最初こそまだマシですが、0:04~【この1:31~】からは更に音量を下げたうえにペダルの使用も相まってちゃんと弾けているのかどうかがよく分かりません。
 少し先へ行って、第七と第八変奏ではようやくフォルテ(強奏)による表現が出てきますがメリハリがあまりなく(特に第八変奏)、キレに乏しい演奏になっています。

 これ以降に関しても、弱音主体の曲ではブツブツとつぶやく様な演奏で、逆にフォルテ表現が前面に出る曲ではいまいち締りの無い演奏になっています。そして、その双方に共通している事はどちらの傾向の曲でも目立つ所以外の細部の明瞭度がいまいち低い点で多声的な曲でも同様です。
ただ、飛び道具的(?)な第2巻の第十四変奏【この変奏】では、極めて速いテンポを採用して所々で打鍵が浅すぎるところもありつつも(このテンポでは致し方ないと言えますけど)安定した演奏を聴かせています。

 前述の様な細部がいまいちハッキリしない傾向が最もよく表れているのが最後に配置されている第1巻の第14変奏【この変奏】で、冒頭から弱音で開始され、ここはそれほど悪くない出来なのですが(と言うか、この部分も打鍵が弱い為に発音がハッキリしないので結果として粗が目立ちにくいと言う理由もあり、よく聴くと左右の手が入れ替わるたびに少しイビツな感じになりますけど、他の奏者でも多かれ少なかれ似たような感じです)、
この直後、上に添付した楽譜の最後の箇所・0:05【この辺り。一瞬ですが】ですが、ここをインテンポで突っ込んで(一瞬タメる人が多いんです)それ以降は比較的強めの打鍵による演奏がしばらく続きますが、ペダルによる混濁のせいで極めて細部が聴き取りにくく、特に下に添付した楽譜の左手パートが殆ど聴こえません。
しかし、再び比較的弱音主体の演奏になる0:12~【この辺り~】は目に見えて(?)精度が戻っています。
 少し先、左右の手が入れ替わりが激しい0:18あたりの箇所【この14:29辺りから数秒間の箇所】ですが、
ここはインテンポを重視して演奏が粗くなるか、シッカリとした打鍵・発音を重視してポジション移動の際に一瞬の間が開くかのドチラかに偏る事が多い箇所で、ユジャは極力インテンポを守ろうとしてはいるものの、速いテンポを採用している事もあって左右の手の入れ替え時に少しつっかえた様な感じになっています(と言っても、ココまでの手の入れ替えの箇所でもつっかえたり不明瞭になっている箇所がかなりありますからソレほど気にならないかもしれません。他の奏者の場合でもこの箇所ではこれ位のイビツさは珍しくないですし)。



 ここまで見てきた彼女の演奏傾向・特徴を箇条書きにしてみますと、

◆基本的に打鍵が弱く、基準となる音量も小さい上に音の抜けが悪い
◆そのため細部が聴き取りにくい
◆逆にフォルテで弾く場合はペダルをガッツリと踏みながら弾く傾向があり(パガニーニ変奏曲の第1巻・第八変奏など)、その影響もあって響きが飽和して細部が聴き取りにくい
◆早い話、どちらにしろ細部が聴き取りにくい

これらを踏まえて穿った見方をすれば、細部を誤魔化す為、もしくは自分が弾き易い様に弾く為に上記の様な極端とも言える表現(ところによって「f」の指示をスルーしたり、そうかと思えばところによって指示以上に強く弾いたりする行為)をしているようにも思えます。
 確かに実力、特に指回りに関しては非凡なものがありハッとさせられる所も少なくありませんが、上記の様なハッタリ的とも言える表現がさまざまな箇所で見受けられ、それが強く印象に残ってしまいます。
  
 あともう一つ気になる点は得手不得手の差が激しい事で、比較的得意(そう)な単音による速いパッセージや重音によるパッセージは全般的によく弾けている傾向にありますが(ただ、強めに弾いた場合はガクッと精度が落ちますけどそれは御愛嬌)、和音、特に分厚い和音を綺麗に鳴らしたり、素早く和音を連打する箇所では苦しそうな箇所が多く見受けられます。

ただ、ペトルーシュカの例の跳躍など、録り直しさえすれば明らかにもっと上手く弾けそうな箇所も修正しないところを見ると(弱小レーベルなら録り直す予算が無い場合もあるかもしれませんけど)、意外と彼女は全体的なバランスや細部の表現より「ノリ」を重視する奏者なのかもしれません。



最後に、「ホロヴィッツの孫弟子」と言うアピールの為に録音した(?)スカルラッティや、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」はあまり馴染みが無い上に、文章が長くなりすぎたの省略致します。



【採点】
◆技巧=86.5~77
◆個性、アクの強さ=93
◆「もっと出来るんじゃネェ?」度=95

2011年10月14日金曜日

ポリーニ 【シューマン:交響的練習曲&アラベスク】

今回はポリーニの交響的練習曲ほか(品番:POCG1200)を取り上げます。










なお、「スタインウェイ・レジェンズ」と言う企画モノCD(2枚組)のポリーニ編はリンクを貼ったCDの収録曲が全てカバーされている上に価格もそちらの方が安かったはずですし、その他にもシューマン・ピアノ協奏曲とリンクを貼ったCDの全ての曲をカップリングさせたCDも安価であった筈ですので、色々とチェックしてみて下さい。

 収録曲
「交響的練習曲(遺作変奏を含む)」
「アラベスク」


まず交響的練習曲ですが、当盤では遺作変奏を練習曲・5と練習曲・6の間に全5曲、番号順で配置しています。
 
 主題は中間部のテンポがやや速くなりすぎと感じる事を除けば比較的ノーマルな演奏です。続く練習曲・1の0:08~【この1:30~】の箇所で早速ポリーニの悪癖である「ペダルの雑さによる音価(大雑把に言えば、音の長さ)の表現の甘さ」が顔を出しています。楽譜を見れば分るように、この箇所では冒頭からの「タッ、タッタラッ、タッ、タッ、タッ、タラララ」と言うリズムパターンが継続されなければならないわけですが、気を抜くのが早すぎと言うか何と言うか…。
 練習曲・2でも冒頭から細部の表現に甘さが見られます。この曲の横の流れをザックリ分けると「上声部」「中間部の和音」「バス」となりますが、一拍ずつ変化する中間部の和音の推移がいまいちハッキリしません(これはアムラン盤も似たような傾向です)。
 練習曲・3もアムラン盤と似たような傾向で、とにかく始終ペダル踏みまくっていて「とりあえず音は出してますが何か?」的な姿勢がモロに出た演奏です。おかげでキレも締りもないダラ~ッとした演奏になっています。
 練習曲・4でも最初こそ休符を意識してはいますが、曲が進むにつれてただ和音を叩くだけのいい加減な処理になっていき、後半はもうグダグダもいいところです。
 少し先へ進んで練習曲・6を見てみます。この曲は御存知の様に曲中でも屈指の派手な曲であり、速さとキレが重要なポイントとなる曲だと思いますが、ポリーニはやけにノンビリとしたテンポな上に(楽譜指定のテンポ自体も『=60』と結構遅いんですが)、今まで繰り返し指摘してきたペダル処理の雑さによってキレもヘッタクレも無い安全運転演奏になっています(にもかかわらず、0:33【この7:34辺り】で最低音を引っ掛けてたり…)。
 もし、ペトルーシュカやショパンのエチュードを録音していた時期の全盛期のポリーニならば、多少のペダルの雑さはあろうとも、もっとこの曲を颯爽と弾き切っていたと思うのは私だけではないのではないでしょうか?

 さて、これ以降もペダル処理の雑さが原因による中途半端な演奏は繰り広げられます。上記以外の一例をさらに挙げますと、いつもは音を切るべき所で伸ばしっぱなしにするにもかかわらず、伸ばさなければならない所で切ってしまっている例があって、具体的には練習曲・9の前半0:14【この10:48~】の箇所、ちょっと見づらいですが下の楽譜で囲っている「付点8分音符のド♯」の音なんですが、付点8分にも関わらず、ホンの一瞬しか鳴っていません(聴き取りにくい箇所ですが)。


 今まで見てきたような細部の詰めの甘さはこの録音のいたる所で見られます。ハッキリ言ってしまうと、競合盤のかなり多い”交響的練習曲”の録音の中では、「ポリーニ」と言う記号がなければ「その他大勢」の中に入りかねない様な凡庸な録音であると言っても言い過ぎではないと思います。
 そんな中で、あえて「このCDならでは!」と言う注目点を挙げるならば、楽譜に書かれている「音」をとりあえずはインテンポで無難に出している点(細部の精度や打鍵の粒の揃い方は完全に度外視してますけど…)と、初版を用いた録音である点と言えます。
 一般的に録音されている版と初版の大きな違いは終曲(練習曲・12)の3:11~3:51の箇所で、双方を聞き比べると一目瞭然(?)で判ると思います。ちなみに、言及箇所を明示するために貼ったリンク先の動画の演奏は、一般的に録音されてる版を用いており、上記で指摘した初版と違う箇所は【この箇所~16:47】にあたります。興味のある方はポリーニ盤と聴き比べてみて下さい。

 最後に、アラベスクに関してもあえて取り上げるほどの演奏では無いので割愛いたします。



【採点】
◆技巧=80.5
◆個性、アクの強さ=82
◆「録音するのが10数年遅かったなぁ」度=100

2011年10月7日金曜日

カツァリス 【ショパン:バラード&スケルツォ全集】

今回はシプリアン・カツァリスのショパン・バラスケ全集(左が国内盤、WPCS21075  右は海外盤、Apex・0927495372)です。



 カツァリスと言えば、その超絶技巧を前面に押し出した風変わりでアクの強い演奏が特徴の奏者で、今回取り上げるショパン・バラスケ全集の他にもリスト編:ベートーヴェン交響曲全集の録音などが有名です。

ちなみに、このCDではバラード4曲を纏めて配置した後にスケルツォ4曲を配置しています。


  バラード一番の冒頭、序奏のナポリ和音のアルペジオはかなりの強音で開始されますが途中で急に音量が落ちていく上に、ペダルを余り深く踏み込まずかなり頻繁に踏みかえているようなので少し乾いた印象です(比較的残響が少ない録音なのも影響してるかも)。
 そこから少し進んだ速いパッセージの箇所1:49~【この箇所~】では途中からペダルを殆ど上げて猛烈な速さで弾いたり、4:49&4:51【この4:31辺りと4:33辺り】のオクターブ連打によるフレーズ
を「他の奴ではこんな風には弾けないだろ!」的なノリで(?)有り得ない速度で弾いたりします。この手の演奏はカツァリスのファンの方にはたまらないかもしれませんが、アクの強い演奏が嫌いな方やこれ見よがしな技巧の誇示が嫌いな方には受け付けないかもしれません。あと、5:10~【この4:53辺り~】の右手オクターブでの駆け上がりの最後で顕著に見られるように、フレーズの最終盤で猛烈にテンポを上げて追い込みをかけるのもカツァリスの特徴で、綺麗に「1・2・3~」と拍を刻む演奏が好きな方は違和感を覚えるかもしれません。
 少し先へ進み、コーダでもカツァリスならではの演奏が聴けます。7:56~8:00【この7:38辺り~7:41辺り】の箇所ではこれでもかと言うくらいに最低音の対旋律的なバスの動きを強調していて、
この旋律を浮き立たせるために他のパートの音量を極力下げています(他のパートもちゃんと弾いてはいます)。この手法はカツァリスの代名詞と言えるもので、この曲に限らずどの演奏においても随所で見ら、このCDにおいてはバラードよりもスケルツォにおいて顕著に現れていますが、それはまた後ほど。


  バラード2番は冒頭からの第一主題と第二主題2:15~【この箇所~】の落差が激しい曲ですが、カツァリスも定石通り、もしくはそれ以上に第一主題と第二主題の差を明確に表現していて、特に第二主題のアルペジオに付いている強弱指示の表現を少し大袈裟とも思えるほどしっかりと付けています。
コーダ5:59~【この6:08~】ではお約束通り?に猛烈な速さで弾き切っていますが、コーダ前半の右手パートは2声である上に同音連打が多く、通常のテンポで弾いてもガチャガチャとうるさい演奏なりがちなこの箇所ではさすがにバタバタとせわしない感があります。しかし、コーダ序盤こそ響きがかなり混濁しているものの、それ以降の右手の2声の動きがはっきり聴こえるのはカツァリスならではでしょう(普通のテンポで弾いてる演奏でも聴こえにくい場合が多いですよね)。



  次はバラード3番です。冒頭の掛け合いの表現や、全体としてのバランスのとり方は流石の上手さだと思います(この辺は好みがあるでしょうけど)。

第二主題1:50~【この箇所~】においても横の線の弾き分けの上手さが見られ、
例えば、3:54~【この箇所~】等での速く軽やかなパッセージが求められる箇所における鮮やかな指回りもさる事ながら、複数のパートが複雑に並行して成立している曲・箇所を見通しよく整理して聴かせる事に長けている事もカツァリスの特徴と言え、ポリフォニックな書式がより特徴的な次のバラード4番でもこの能力が遺憾なく発揮されています。


  では、早速バラード4番を見ていきます。冒頭から少し飛んで3:09~【この3:00~】の主題変奏の部分、
多少ネットリとした歌い回しは御愛嬌ですが、各パートのバランスの良さは抜群ですし、この箇所から少し先、6度重音主体のいかにも弾きにくそうな箇所の中盤、変イ長調の箇所5:53~【この箇所~】での軽やかで弾むような表現は、彼の圧倒的な技巧からくる余裕によるものでしょう(左手のトリルも気持ち良い位に決まってます)。
 さらに進んで、コーダ直前のあの「練習曲・作品25-12」みたいなアルペジオ9:18~【この箇所~】では、わりとスタンダードな部分ではありますが、下の楽譜に赤で囲った箇所の動きがよく見え(聴こえ)ます。
で、コーダ10:09~【この箇所~】では当然の如く(?)あちこちの声部が出てきては引っ込んでの繰り返しで、まさにやりたい放題です。しかし、ここでも楽譜を添付してしまうとスケルツォのスペースが無くなってしまいかねないので割愛します…。


 ようやくスケルツォの話に入りますが、ここからは若干駆け足で見て行きます(長くなり過ぎているので)。実を言いますと、カツァリスの演奏家としての気質はバラードよりもスケルツォにこそ合っていて、その表現は以前取り上げたロルティ盤と比較すると奇天烈とすら思えるものです(演奏の傾向が元々大きく違うって言うのも関係してますが)。
 まずスケルツォ一番ですが、序奏直後0:05~【この0:07辺り~】の左手・減7度音程のアクセントの付け方がまず耳に残り、

そのすぐ後の速く軽やかなパッセージも鮮やかに弾きこなしています。ちなみに、言及箇所を確認する為に貼った音源では繰り返しを省略していますが(繰り返す場合には【この0:48辺り~0:07辺りへ戻ります】)、カツァリスは繰り返しを行っています。
 さて、スケルツォは同じフレーズが繰り返し登場するある種の「クドさ」が特徴の一つと言えますが、同じ箇所を毎回同じ様に弾いては冗長な印象を与えてしまいます。で、カツァリスはと言うと、繰り返し時に以下のような事をしています。2:37~【この箇所~】からの箇所はこの曲において2度目の登場ですが、カツァリスは以下の楽譜の赤丸で囲った音を赤線の様に繋ぎ合わせて行き、それらを一つの旋律と見立てて表現しています。
しかし、普通に弾きながらこの旋律を強調させると全体的にうるさくなってしまうので、カツァリスは浮かび上がらせたいパート以外を弱めに弾いて全体のバランスをとっています(なので、余計に聴こえ易くなります。これらの事は複数の声部をコントロールする能力と緻密なペダル操作によって実行できたものと思われます)。
なお、これらの事は同じく3:08~【この箇所~】始まる箇所でも行われていますし、その他の曲でも見られます(長くなったので割愛しますが…)。


 以上、極めて大雑把に見てきましたが、言及した箇所の他にも、例えばスケルツォ二番の急速で幅広いアルペジオや跳躍が聴き所の中間部【特にこの辺りから続く数分続く箇所など】などにおける鮮やかな弾きっぷり等など、カツァリスの超絶技巧とこだわり(と、自己主張)が満載のCDとなっております。
 繰り返しになりますが、カツァリスの癖とも言える「フレーズの終わりでの猛烈な追い込み」や「技巧的難所での不可解とも思えるこれ見よがしなテンポUP」、それらに伴って、所により「1、2、3、4 ~」と杓子定規に拍を表現しない事など、嫌いな人は大嫌いであろう一癖も二癖もある演奏ですので注意が必要ではあります。しかし、一度も聴いた事のない方はためしに聴いてみるだけの価値はあると思います(廉価盤ですし)。


 最後に、最近のカツァリスのCDはこの当時より模範的で穏当なものとなっていますが、その理由が歳をとって丸くなってきたせいなのか、それとも、このCDを録音した頃の様に色々と一工夫出来るような技巧的余裕がなくなったせいなのか(と言っても、普通にメチャクチャ上手いですけど。ちなみに、この頃のカツァリスの演奏が嫌いな方には逆に今のCDの方がお勧めできるかも)、どちらにしてもファンとしては少し寂しくはありますね。

模範的な演奏をつつがなく行う奏者は他にも居ますが、この頃の録音で聴けるような演奏をする(出来る)奏者はカツァリスくらいしかいないんですから。


採点
◆技巧=97~89
◆個性、アクの強さ=100
◆唯一無二度=100

2011年10月1日土曜日

ラーンキ 【ストラヴィンスキー&バルトーク作品集】

今回はデジュー・ラーンキのストラヴィンスキー&バルトーク作品集(Apex・0927409112)です。



 日本ではその昔、コチシュやシフと共に「ハンガリー三羽…、 ~ 等と言う情報はWikipediaにでも任せるとして、”ラーキン”と間違えやすい事でも有名(?)なラーンキですが、現時点での日本における知名度はシフやコチシュに大きく水をあけられている感もあります。しかし、単純にメカニックと言う観点から見てもシフを大きく上回り、コチシュに勝るとも劣らない様な高い能力を持っている奏者です。

収録曲
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3楽章
ストラヴィンスキー:Piano Rag Music
ストラヴィンスキー:Tango (1940) Tempo di Tango
ストラヴィンスキー:Serenade in A
ストラヴィンスキー:Sonata for piano
バルトーク:Suite Op.14
バルトーク:Im Freien Sz.81



 さて、冒頭の「ペトルーシュカからの3楽章」ですが、この演奏の目的・テーマは一聴すれば誰でも分かる(と思われる)程ハッキリしてます。それは、

「打倒、ポリーニ盤!」です。

このCDとポリーニ盤を奏者を明かさない状態で両方聴いてもらい「どちらがポリーニ盤でしょう?」と質問した場合、少なくない数の方が間違った回答をしまうんじゃないかと思うくらいに似てる訳です。で、いつもの様にポリーニ盤(以下、P盤)と比較して細かく見て行こうかと思うんですが、何せよく似ていて余り違いがないって言うのが本当の所だったりするんで困るんですが、気楽に見て行きたいと思います。

 聴き始めて最初に感じるのは双方ともに録音がやけにキンキンしている事で(どっちかって言うとラーンキの方がよりキンキンしてます)聴き疲れしやすいかもしれません。
 まずは冒頭から少し進んだ0:46~(P盤0:47~)の左手の素早い移動が特徴的な(って、この曲ではそんな箇所が多いんですけど…)箇所ですが、ここではラーンキの明瞭度が勝ります。しかし、1:01(P盤も1:01)~のクロスリズム的な箇所では明らかにP盤の方が明瞭に弾いています。その直後の左手の速いパッセージ1:14(P盤1:14~)の明瞭度はラーンキが上かなぁ、でも、それから少し先1:58あたり(P盤2:02あたり)の右手の前打音的な音はP盤の方がハッキリと出てる… 。
 この様に「この箇所はラーンキの方が良いけどあの箇所はP盤の方が良い」と言うパターンの繰り返しが多いんです。

 第二曲も同じ様な調子で、しいて違いを挙げればポリーニの杓子定規で不自然とも言える様なインテンポ感に比べて、ラーンキの方が若干自然であると言う程度です(と言っても似た様なものなんですが…)。

 第三曲、冒頭の重音の処理も似てますね。違いと言えば、判り易い所で言うともう少し先の2:30~2:37(P盤2:25~2:31)の半音階的な低音の動きのコントロールがラーンキよりP盤の方が上、でもP盤は最初の音を引っ掛け気味だし、楽譜を見てみるとラーンキの弾き方でも問題は無いかなぁ、って言う感じです(う~ん…)。
 他には、ちょっと判りにくいですが1:24~(P盤1:21~)の、左手・2&4指と3&5指で『ソ&シ♭⇔ラ&ド』とトリルをしながら1指で
レ ・ レ ・ ミ ・ ミ ・ レ ・ レ ・ フ ァ ・ フ ァ  ~…
と弾いていく箇所なんかはラーンキはかなり怪しいですし、かと言ってP盤もそれほど良い出来ではない訳です。ハッキリ言って、双方共にミスタッチ含みの(訂正・「パートごとに整理されていないのでミスタッチの様に聴こえる」が正しい表現ですね)たどたどしい弾き方をしてます。
 それから先も一長一短って言う感じで、クライマックスとも言える例の跳躍6:20~(P盤6:08)もP盤の方がペダル操作が精緻でラーンキより細部まで明瞭に聴こえる演奏ですが(ラーンキも聴こえますけど…)、スムーズさと言う観点で見ると、P盤の方が若干タドタドしい感じでラーンキに軍配が上がります(早い話、どっちもどっち)。


 全体的に見れば、機械的なインテンポ感が特徴のP盤、P盤よりは自然なテンポ感で、全体的に和音の歯切れが良いラーンキ盤と言う感じです。完成度は双方共に高く、上記で「細部の明瞭度が~」と比較していますが、あくまで「あのP盤と比較すると~」と言うレヴェルの話で、ラーンキ盤を聴いて下手だと思う人はまずいないと思います。

 例えば、「ポリーニ盤のペトルーシュカは好きだけど余りに聴きすぎたんで他も聴いてみたい。でも、ポリーニの演奏とかけ離れたものは聴きたくは無い」と言う方にはピッタリなCDかもしれません。


 あ、残りの収録曲は馴染みが無く、他と比較してないんで詳細は省略しますが、聴き手にそれらの曲に興味を抱かせるに足る演奏だとは思います。曲自体が魅力的なのかもしれませんけど。


採点
◆技巧=92~88
◆個性、アクの強さ=80
◆ポリーニ度=99