2011年9月28日水曜日

ポゴレリチ 【ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番&シューマン:交響的練習曲、トッカータ】

今回はポゴレリチのベートーヴェン&シューマン作品(DG・4105202)を。


 説明不要だとは思いますが、ポゴレリチと言えばショパン・コンクール参戦時に個性的な演奏を繰り広げて物議をかもした事でも知られる奏者で、演奏の特徴としては変態的とも言える楽曲解釈と、グールドに通ずる様な極力ペダルを抑制して行われるスタッカート奏法を駆使した超絶技巧による細部の緻密な描きこみが挙げられます。


収録曲
「ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番」
「シューマン:交響的練習曲」
「シューマン:トッカータ」

 この収録曲を見てみると「ソナタ形式」「変奏曲形式」「ポリフォニックなピアノ書法」と言う条件の複数に当てはまる曲を取り上げたものと推察できます。


 さて、ソナタ形式(第一楽章)と変奏曲形式(第二楽章)で成立している『ベートーヴェン・ピアノソナタ第32番』ですが、第一楽章の冒頭の左手オクターブによる減七度下降がまるで両手で処理したように(※映像作品では両手で処理しているようですが、音源では片手っぽいです)超高速で打ち鳴らされ衝撃的に幕を開けます(生演奏でもこのスピードで弾くのでしょうか?)。
その後、強烈なフォルテと極端な弱音の差を激しくつけて演奏される序奏部分0:00~1:54【この冒頭~1:47】に始まり、メトロノームようなインテンポ感で弾かれる16分音符が緊張感を高める推移部分2:30~【この2:26~】を含む第一主題を経て(力みすぎたのか2:52【この2:48辺り】で多少引っ掛ける所もありますが、それすら緊張感を醸し出す要素になっている様に思えます)、再び消え入るような弱音が印象的な第二主題2:56~【この箇所~】を奏した後で提示部の繰り返し3:55~【この3:50~】に入ります。
 展開部以降5:56~【この5:54~】では、スラーの付いてるものを除くほぼ全ての8分音符はスタッカート(気味)で演奏されてリズミックな表現がより強調されています。
この様な極端とも言える強音と弱音、レガートとスタッカートの対比がポゴレリチの演奏の重要な要素になっています。

 次は例の跳ねたリズム(と言ってはアレですが)でおなじみの変奏がある第二楽章ですが、ここでは第一楽章で聴かれた独特のカクカクとしたリズム・拍感や極端な強弱表現は多少緩くなっていますが、それでも他の奏者の演奏に比べるとかなり特異なものと言えます。
ただここまで徹底的に自分の表現を貫く姿勢と、それを実現できた鉄壁の技巧はある意味で流石と言えるかもしれません。


 続いては変奏曲形式によるピアノ独奏曲の傑作である『交響的練習曲』ですが、ここでも特定の曲を除いてソナタ32番で聴かれたような独特の拍感・強弱表現が見られ、その他にも遅い曲と速い曲の差の激しさがまず耳に残ります。ちなみに、このCDでは遺作変奏は演奏していません。
 まず主題ですが、非常にテンポが遅い上にルバートが印象的です(テンポが遅いので余計に揺れている様に感じられる)。
 
 練習曲1は打って変って例の「カクカク」としたリズム表現が顔を見せます。スラーの掛かっている音でもスタッカート(気味)に弾くので少々違和感があり、具体的には冒頭から続く「タッ、タッタ、ラッ、タッ、タッ、タッ、タラララ」と言うフレーズの最後の「タラララ」の部分の下降音形・0:04や0:07や0:12など【この1:25、1:27、1:30辺り】です。しかし、他の奏者は甘くなりがちなスタッカート、例えば後半開始時の冒頭0:22【この1:44辺り】や繰り返し時の0:44【この2:07辺り】などの初っ端「タ~ラッ、タ」ではキッチリとスタッカート及び休符を守っていて、
この様な細部の徹底振りはさすがです。
 
 練習曲2【この曲】では再び意味不明なほど遅いテンポで(楽譜指定では練習曲1と同じテンポなんですが)ルバートを多用した演奏を繰り広げたかと思うと、次の練習曲3ではまたカクカクしたテンポで弾いていきます。なお、練習曲3ではアムラン盤のような右手のスタッカート指示の無視は無く、聴き手が緊張感を強いられるほど精密にアルペジオを処理しています。が、後半の冒頭部分・0:30~【この箇所~】と繰り返し時の0:52~【この箇所~】から暫くは違和感が生じるほど極端に「accel.(だんだん速く)」していっていますが、そうする意味が良くわかりません(楽譜にaccel.の指示も無いですし)。
 
 練習曲4【この曲】も徹底的にスタッカートにこだわっており(楽譜にはスタッカートの指示は無いですけど)、カクカクとしたリズムと相まって、逆に主題との関連がよく理解できる演奏と言えます。
さて、少々長くなったのでここからは少し駆け足でいきますが、ポゴレリチの「交響的練習曲」で最も印象に残るのは練習曲6【この曲】でしょう。ペダルの使用が当たり前だと思われる(楽譜にも書いてますしね)この曲において、ポゴレリチは何を血迷ったのかほぼペダル無しで弾き抜いています(しかも超高速で)。開いたクチが塞がらないとはまさにこの事で、唯一無二の演奏とはこう言うものを言うんでしょう。
 
 次はこの曲集の中でも屈指の難曲として知られる練習曲9【この曲】を取り上げます。この曲もほぼ全編スタッカートの指示のある曲ですが、最高レヴェルのテクニシャンであるポゴレリチの全盛期の能力でもスタッカートを徹底するのはさすがに辛いと見え、他の曲で見られたような「キレ」は多少鈍っている上に、0:15~0:18【この10:51~10:54】での「右手の分厚い和音の連打」「左手の移動の幅が広いオクターヴ連打」を高速で同時に処理するこの箇所では
速いテンポ設定のせいもあってインテンポの維持が精一杯の様子ですが(と言っても、その辺の演奏よりかは遥かに完成度は高いですが)、殆どの人がペダルを踏んで演奏しても鍵盤を押え切れなかったり、発音が曖昧になったり、勝負を捨てて(?)安全運転なテンポで弾いたりしてボロを出してしまうこの箇所(リンク先の演奏も生演奏と言うハンデもあってかなり粗いですよね。興味のある方はお手持ちのCDやYoutubeなどで片っ端からこの箇所をチェックしてみて下さい)を、あえてほぼペダルを踏まずに処理しようとする「若さ」「オトコ気」は賞賛されるべきものでしょう。
個人的には「とりあえず無難に音を並べてみました」的な安全運転よりも、この手のいかにもピアノバカっぽい姿勢が好みだったりします。



 次はソナタ形式による曲である『トッカータ』ですが、彼がこの曲を演奏する際のテーマとしたのは【横の線の明確化】と【序奏とコーダを除いて、常にインテンポ&スタッカートな表現を出来うる限り死守】です。例えば、誰でも多かれ少なかれ歌ってしまいがちな第二主題・0:44など~【この0:47など~】も強弱を変化させるのみで淡々と進んでいきます。
 さて、この曲の最大の見せ場は展開部3:25~【この1:46~。この音源は提示部の繰り返しが無いので早めに登場です。】で登場するオクターブ連打3:39~【この1:58~】だと思いますが、このオクターブ連打自体は、例えばリスト・ハンガリー狂詩曲第6番のフリスカにおけるオクターブ連打とそれほどテンポは変わらないにもかかわらず、どの奏者もリストのその曲より何故か弾き難そうに弾く訳です。
とりあえず、以下の動画の2:02~を見てください


無編集動画ですが中々スムーズなオクターブ連打です。でも実はこれ、途中から左手パートをかなり省略・簡略化してます。
 この連続オクターブフレーズは左手パートにも難があるらしく、特に後半のイ長調に転調したところ(上の動画リンクでは2:11~。ポゴレリチのCDタイムで3:47~、【この2:05~】)はかなり難しいらしいんです(興味のある方は音源を片っ端からチェックしてみて下さい。弾けてない人がかなり多く、それにつられて右手もテンポが落ちたり、テンポを落とさないケースでも左手の表現は多少スッ飛ばし気味にして勢いで乗り切ってる場合もあります)。
 この転調後にオクターブが続く間の左手パート・3:47~3:54、【この2:05~2:13辺り】がどうなっているかを確認する為に下に楽譜を貼ります。イ長調に転調した2小節目から最後の一つ前の7小節目までの左手パートのリズムは全て同じパターンで、
最低音を「ズ」、和音を「ちゃ」と表すと、「ズ・ちゃ・ズ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ズ・ちゃ」と言うリズムになります(分かりにくい…)。
色んな音源や動画をチェックしまくった結果、この「ちゃ」の部分の和音連打が非常に弾きにくいらしく、実はポゴレリチですらその部分ではいつものような異常なまでの細部の明瞭さをキープできないでいます(音は出てますが少々引っ掛け気味なところもあります)。少し確認し辛いパートではありますがぜひ聴いてみて下さい。その上でさっきの動画を見ていただければどこをどう省略しているかが判る筈です(Youtubeにあるリヒテルのこの曲の動画の同じ箇所を見ればもっと判り易いかもしれません)。

 ちなみに、この部分の低音パートのみのリズムを2小節分書きますと
ズッズ~~~ズ~、ズッズ~~~ズ~、」と言うリズムで、これはこの曲の序奏のこのリズム
ダッダ~~~ダ~、ダッダ~~~ダ~、」と同じリズムだったりします(第一主題前半【この0:05~0:28辺りまで】の殆どの最低音のリズムもこのパターンですね)。


 ちょっと横道に逸れた感がありますが、最後にポゴレリチのトッカータについてもう一つ。インテンポを守る為に第一主題の推移部に移る寸前0:25【この0:28辺り】や2:07などで音を抜いてます。楽譜で言うとこちらの最後の箇所、 鍵盤中央の「ド」がポツンと孤立したような状態で存在しており一度に和音全体を掴み切る事が出来ないんです(2オクターブを一度に、それも一瞬で掴める程の巨大な手なら別ですが)。
 
 大抵の奏者は一瞬の間が空くのを覚悟でアルペジオ気味に中央の「ド」を弾くか、中央の「ド」を完全に無視してインテンポで進むか、直前の小節に食い込む形で早めにアルペジオして帳尻を合わせるかの方法で切り抜けているんですが、ポゴレリチの場合は状況証拠的にも、実際の音を聴いて確認してみても、この音を完全スルーしてるようです(著作権の問題があるっぽいのでリンクは貼りませんが、Youtubeにあるシュタットフェルトのこの曲の動画の同じ箇所でもポゴレリチと同じ処理をしていて、0:26あたりで確認できます)。

 以上、必要以上に長くなりましたが、とにかくここで聴けるポゴレリチの演奏は小さな点を除けばほぼ文句のつけようのない位の内容です。交響的練習曲だけをみても、例えばあのアムラン盤とは比較にならないくらいのメカニックの高さと細部の完成度があり、癖の強い演奏に拒否感がある方を除く全ての方が聴いて損はまずない名盤だと断言できます。

 最後に、今年の10月20日で53歳を迎えるポゴレリチですが、この演奏を録音した当時から順調にあさっての方向へ成長し続け、最近の演奏会では常人には全く理解出来ない演奏を繰り広げているという話です。


メデタシ、メデタシ


採点
◆技巧=97~92
◆個性、アクの強さ=100
◆聴き疲れ度=99

2011年9月27日火曜日

シュミット=レオナルディ 【シューマン:交響的練習曲、謝肉祭、トッカータ、他】

今回はウォルフラム・シュミット=レオナルディのシューマン作品集2枚組(Brilliant Classics・BRL93772)です。



収録曲
CD・1
謝肉祭 op.9
4つの夜曲 op.23
トッカータ op.7
4つのピアノ曲 op.32
プレスト・パッショナート
CD・2
アベッグ変奏曲 op.1
6つの間奏曲 op.4
交響的練習曲 op.13

 まずはレオナルディについてですが、1967年生まれのドイツの奏者で、廉価盤レーベルとして知られる「ブリリアント・クラシックス」からここで取り上げるシューマン作品集を含む数枚のCDをリリースしています。演奏は基本的に堅実路線ですが、ポリフォニックな表現の上手さと透明感のあるやや硬めの音色が印象的です。


 「謝肉祭」は冒頭の「Préambule(前口上)」からこちらで紹介したガヴリーロフ盤と比較するとコンパクトで穏当な表現です(ガヴリーロフ盤が迫力あり過ぎだって事もありますけど)。
 2曲目以降も丁寧に進んでいきますが何の特徴も無いかと言うとそうでもなく、例えば「Eusebius(オイゼビウス)」の1:01~【この0:57~】の右手パートの内声の動き「ミ♭→ソ→ミ♭→レ→ミ♭」の強調は単調になりがちなこの曲においてアクセントになっています。このような要所要所における内声の処理の工夫は聴く人によっては「小手先」と言う印象を受けるもしれませんが、ここで見られるような多声部の処理能力は、例えば「Reconnaissance(感謝)」の中間部、ロ長調に転調した部分0:36~【この0:25~】の上声部とバスの掛け合い部分で力を発揮しているます。
なお、この技術は「謝肉祭」に限らず全ての曲において重要な役割を担っている彼の特徴的なものであり、その効果が最も発揮されているのが「交響的練習曲」ですが、それはまた後ほど。
 ちなみに、レオナルディは「スフィンクス」を演奏しており、遅めのテンポを採用しスタッカートな音で区切りつつ一分以上かけて演奏しています。No.3の音形では1オクターブ下の音も付加しているようです。

 続く「4つの夜曲」および「4つのピアノ曲」「プレスト・パッショナート」「6つの間奏曲」は個人的にそれほど馴染みが無いですが、手堅く纏めているように感じます。

 シューマンのピアノ作品の中でも屈指の難曲と言われる「トッカータ」では、おそらく手の大きさによると思われる理由で左手の10度音程の箇所0:08辺りなど【この0:10~0:11辺りなど。ちなみに、リンク先の演奏も苦しそうです】
などで若干苦しさが見られますがそれ以外では大きな破綻はなく、展開部3:36~【この辺り~。登場が早いのは提示部の繰り返しを省略しているため】での見せ場であるオクターブ連打の処理も水準以上でしょう。ただ、他の多くの奏者と同じ様に、そのオクターブが終った直後にある各声部へ次々に同音連打を含む音形が現れながら四声で進行する箇所4:04~【この2:13~】ではテンポが若干遅くなったり、第二主題・0:46~等【この箇所~等】でテンポを落として大らかに歌う表現は、例えばポゴレリチの演奏を基準としてこの曲を聴く方には不満があるかもしれません(ポゴレリチの演奏が異端であるとも言えますが)。

 CD2の「アベッグ変奏曲」は素晴らしい出来で、特に、右手の速いパッセージが特徴的な第3変奏【この変奏】での若干スタッカート気味な硬質でハッキリとした打鍵による小気味の良い演奏は一聴の価値ありです。


 最後は交響的練習曲です。この曲は変奏曲形式による曲ですが(主題に関係ない曲も入ってますけど)、大抵の奏者が演奏の際にこの曲の持つ変奏曲としての面白さと名人的な技巧を要する曲としての面白さのバランスをとるのに苦労しています。そんな中、レオナルディは前者の「変奏曲の面白さ」を基本に演奏しているようです。
 さて、この録音は遺作変奏(以下、遺変。練習曲は「練」と略します)も含んでいて、曲順ですが

主題→練1→遺変一→練2→練3→練4→練5→遺変四→練6→練7→遺変二→遺変五→練8→練9→遺変三→練10→練11→練12(終曲)

以上の様に配置されています。

 まず主題ですが、大らかに歌い上げるような演奏をする奏者が多い中、比較的速めのテンポで弾いています。
「練1」【この曲】では前述した彼お得意の内声の強調は殆ど見られませんが、次の「遺変一」(残念ながらこの曲の音源はピティナにありませんでした)の繰り返し時において判りやすい形でそれらは現れます。
 この「遺変一」は前半部分と後半部分に分かれておりそれぞれ一回ずつの繰り返しが指定されていますが、前半・一度目0:00~で余り聴かれなかった右手・最低音の横の線、楽譜の赤で示したライン
が前半・二度目0:26~では強調して表現されています(ここを強調する事自体は珍しくないですが)。同じ様に後半でも一度目0:53~では控えめに弾かれていた左手(後半の後半?では右手ですが)・最低音の横の線が、後半・繰り返し時1:20~では明確に強調されています。なお、これ以降の曲でも工夫を凝らした声部の強調が随所で見られます。

 このような「繰り返し時に初回と違うパート・声部を強調する」と言う行為は珍しい事ではありませんが、レオナルディのそれらの表現の上手さは注目に値するレヴェルで、多声的なピアノ書法で書かれたこの曲とは相性が良くその面白さを引き出しています。

 ちなみに、基本的には堅実な演奏をする奏者ではありますが決して下手だと言う訳ではなく、例えば、かなりのテクニシャンでも苦労の跡が見られる事の多い「練6」【この曲】においても、速めのテンポにもかかわらず後半の繰り返し時【この演奏は繰り返ししていませんが、後半はこの箇所~】に内声の操作を行う余裕を見せています(正直言うと、この曲ではさすがにやらないと思っていたので最初聴いた時はビックリしました)。


 堅実なテクニックを持った頭脳派のレオナルディが丁寧に仕上げたシューマン作品集。興味のある方はぜひ聴いてみて下さい。
最後に、彼のサイトにはここで紹介したCDのものを含む色々な音源があるので(ライヴでの「ペトルーシュカからの3章」全曲の全音源もあります)、興味のある方は

http://www.schmitt-leonardy.com
で検索して彼のサイトへ行ってみてください。


【採点】
◆技巧=88
◆個性、アクの強さ=70
◆クレバー度=95

2011年9月24日土曜日

ロルティ 【ショパン:スケルツォ全4曲&ノクターン&ピアノソナタ第2番】

今回はカナダのピアニスト、ルイ・ロルティのショパン作品集(Chandos・CHAN10588)です。ロルティと言えばラヴェル作品集やショパン・練習曲の録音が一部で高い評価を得ている事でも有名で、それらものちのち取り上げようと思いますが、今回は現時点でのショパン作品の最新録音を取り上げます。



収録曲
ノクターン第19番 ホ短調Op.72-1
スケルツォ第1番 ロ短調Op.20
ノクターン第16番 変ホ長調Op.55-2
スケルツォ第2番 変ロ短調Op.31
ノクターン第18番 ホ長調Op.62-2
スケルツォ第3番 嬰ハ短調Op.39
ノクターン第17番 ロ長調Op.62-1
スケルツォ第4番 ホ長調Op.54
ピアノソナタ第2番 変ロ短調Op.35『葬送』


 まずはルイ・ロルティについてですが、大まかに言ってアンスネスと似たタイプの奏者で、極めて精緻なピアニズムが特徴です。その演奏の特徴を列記しますと

■ペダル操作が極めて緻密
■軽やかで俊敏な指回り
■非常に緻密なポリフォニックの表現
■緩徐系の曲での大胆なルバートとそれに伴う濃厚な歌い回し
■急速系の曲におけるロシアの奏者とは全く違ったタイプのスポーティな表現

以上の様なもので、特にペダル操作の緻密さ・精度は凄まじいレヴェルであり、その事が曲の細部を正確に表現する上で重要なポイントとなっています。


 冒頭のノクターン第19番から早速ロルティの特徴であるポリフォニックな表現の緻密さと大胆なルバートが見られます。ちなみに、「ポリフォニックな表現」とは何かと言いますと、簡単に言えば「異なるパート、もしくは旋律を弾き分ける行為」と言えます。例えば、「最低音(バス)」「中間部の和音」「メロディ」と言う要素によって曲が成り立っている場合に、それぞれを「どんなバランスで」「どの程度明確に弾き分けていくか」などに関する話です。
 ショパンのノクターンの場合、初期の作品は基本的に「左手=伴奏」「右手=単旋律(一つのメロディ)」で出来ているんですが、後期の作品になると右手パートでも2つ以上の旋律が登場してくる為に(実は左手も絡んできますが)それらをどんな風に同時に処理するかが重要になります。ここでいい加減な処理をしてしまうと複数の旋律が混濁して何を弾いてるか判らなくなってしまうか、ぶつ切りになった音が何の脈絡も無い状態で点在しているかような印象を与えます。特にノクターンは左手の伴奏が音程差のあるアルペジオに基づいたものなのでペダル無しには成立しないため、下手なペダリングではすぐに響きが濁ってしまい、例えば、2つのメロディがある箇所にもかかわらず2つのメロディが聴こえない(聴き取りづらい)状況になってしまうわけです。
 ここに収録されている曲では第17番【この曲】が最も判り易いと思いますが、
奏者によっては上の方のパート(早い話、一番目立つパート)のみが突出したり、それぞれのメロディがスムーズに流れなかったり、全てを同じ様な音量で弾いたり(グールドのように意図的にそんな弾き方をする奏者も居ます)しますが、ロルティの場合はそれぞれのメロディを別々に多重録音をしたかのように弾き分けつつ微妙に調和させながらさり気なく弾いていきます。
かなり残響大目の録音でここまで細部を描き出せるのはロルティならではと言えます。


長くなりましたので、次はスケルツォを重点的に。
 スケルツォは基本的に「急速部分→緩徐部分→急速部分→最も激しい最後の箇所」で成立していて、急速部分と緩徐部分の対比の表現がポイントになると言えるほか、急速部分や最終盤の箇所における速いアルペジオ等のパッセージの処理も聴き所です。
 ロルティは全ての曲において急速部分は快速・軽快な演奏を、緩徐部分は叙情的・ドラマティックな表現をしていますが、急速部分では「快速・軽快」ではあっても「豪快」ではないのでその部分において若干不満を持たれる方も居ると思います。これは演奏が安定しすぎている事とフォルテに対する消極性が演奏に出てしまった結果で、ロルティの様なタイプの奏者にありがちな傾向と言えます。特にスケルツォ第3番の最後の追い込みの箇所6:02~【この6:28~】は、安全運転の極みのような演奏で、いくら精緻な演奏とは言えさすがに疑問を感じます。
それと、スケルツォは同じフレーズや似たフレーズが繰り返し登場するのもポイントで、それらが再び登場する際には以前と少し違うパートを強調したりして変化をつけるのが普通ですが(カツァリスのように変化をつけまくる奏者も居ますが)、ロルティの変化の付け方は巧みではありますがかなり控えめなのでここも評価の分かれるところだと思います。


 最後のソナタ第2番ですが、この演奏では第一楽章の提示部の繰り返しの際に序奏(曲の一番最初)まで戻るパターンを採用しており、その事に違和感を覚える人も居るかもしれません。今までの演奏・録音で主流だったのは【この演奏の2:15辺り】の様に第一主題の冒頭【この0:13の箇所】へ戻るパターンでしたが、最近は曲のアタマまで戻るパターンが増えてきました。
このパターンはエキエル版(2005年度のショパン・コンクールから推奨楽譜として指定されている版)の普及によって今後広まっていくものと思われ、例えばポリーニも旧録においては以下の楽譜の指示のように今まで普通に行われていたパターンの繰り返しを行っていましたが(そのCDでは2:14)、新録では現在流行(?)のパターンを採用しているようです。


 話が横道に逸れたので本題であるロルティの演奏に戻りますが…、序奏は拍子抜けするほどの軽やかさで開始されます。提示部における第一主題0:13~と第二主題0:50~【この0:53~】の対比のさせ方が非常に巧みですが、繰り返し時に余り変化をつけ無い点は多少評価が分かれるかもしれません。
 展開部4:17~【この4:13~】の表現はロルティにしては珍しい程の熱の篭った演奏で、特に5:02~【この4:57~】の「ff」を含む表現も板に付いており説得力があります。出来ればこのような表現をスケルツォでもやってくれればと思うんですが。
ちなみに、再現部5:47~【この5:36~】は比較的コンパクトな表現にとどめています。
ちょっと長くなり過ぎましたのでここからは駆け足で、

 第二楽章&第三楽章はロルティらしい手堅い演奏と言え、緩徐部分における歌い回しの上手さや美しい弱音が印象的です。

 素早いパッセージが駆け巡る第4楽章での指回り・精緻さはロルティならではで、残響大目の録音であるにもかかわらず(ロルティのCDは全般的にそうですが)、非常に見通しのよい演奏です。



 これ見よがしな技巧の誇示をしない奏者なので第一印象がパッとしなかったり少し地味な感じもある演奏かもしれませんが、聴けば聴くほどその精密ぶりに驚かされる演奏です。


採点
◆技巧=90.5
◆個性、アクの強さ=78
◆美音度=98

2011年9月21日水曜日

グレムザー 【ピアノリサイタル】

今回はベルント・グレムザーのDVD作品(IMPERIAL DVD CLASSIC・IMPERIAL52042)を取り上げます。

http://tower.jp/item/2826816

何故か尼では取り扱いがないので、商品画像と収録曲が掲載されている塔のリンクを貼ります。で、一応ここにも収録曲を

「スクリャービン:ピアノソナタ第2番『幻想ソナタ』」
「ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3楽章」
「リスト:超絶技巧練習曲,S.139・第11番『夕べの調べ』」
「リスト:超絶技巧練習曲,S.139・第5番『鬼火』」
「リスト:無調のバガテル」
「リスト:スペイン狂詩曲」

超絶技巧好きの方なら食指が動くであろう作品がズラリと並んでいます。


 さて、まずはこのDVDで演奏しているベルント・グレムザーについて。
ドイツ出身の奏者ですが、師であるウクライナ出身のヴィターリ・マルグリスからロシア流の演奏を学び、廉価盤レーベルとして知られるNaxosでプロコフィエフ・ピアノソナタ全集やラフマニノフ・ピアノ協奏曲全集などの技巧的な作品を録音している奏者です。

その演奏傾向・特徴を列記しますと
●強靭な打鍵
●特に緩徐系の曲で見られる大胆なテンポの揺れを含んだクドイ歌い回し
●強大なフォルテと、その直前での溜め
●基本的に曲や作曲家によって演奏スタイルをあまり変えない

以上のロシアの奏者によく見られる特徴に加え
●少々変質的とも言えるディテールへの拘り
●横の流れの表現の上手さ

が挙げられます。


さて、前置きが長くなりましたがDVDに収録されている演奏内容に触れたいと思います。
 冒頭のスクリャービンのソナタから上記の演奏傾向が見受けられ、第一楽章から濃厚で暑苦しいとすら思えるほどの歌い回しが見られますが、この楽章の性格とマッチする為に気にならないと思いますし、後半で見られる弱音による右手の速いパッセージの処理も鮮やかです。

 第二楽章では必要最小限のペダルによって生み出される左手の力強くリズミックな表現と(この楽章ではペダルを踏みすぎる人が多い)、右手の速いパッセージでの輪郭がハッキリした音が印象的です。
特に左手の動きに関してですが、9:03~【この1:14辺り~】や、9:19~【この1:31辺り~】、そして最後の方の10:50~【この2:59辺り~】はすべて似た様な動きを要求される箇所で、高速テンポの中で左手が激しく移動するのに加えて左右両パートの担当する音域がカブってしまうためなのか、特に巨大な手を持つ奏者はこれらの箇所を不自然なほど遅いテンポから開始したり(例=ポゴレリチなど)、インテンポで突っ込んでいくも響きが混濁しまくって目立つ所以外は何を弾いてるのかいまいちハッキリしない演奏になったり(アムランとか)しがちで、最も動きの大きく左右がカブる音域も多いと思われる最後の箇所10:50~でその傾向が顕著です。
グレムザーは比較的手が小さいためかスムーズかつ明瞭に処理していますが、カメラのアングルの問題で前述の最後の箇所しか映像にとらえられていません。


次のペトルーシュカは後回しにしてまずリストの作品に触れます。夕べの調べは曲自体が好きではないので一言で言いますと「濃い仕上がり」です。

 右手の速いパッセージが特徴の「鬼火」や「無調のバガテル」は幻想ソナタの第二楽章のようにややパッカーシブとも思える粒立ち良い音で軽やかに弾いていきます。
しかし、鬼火に関しては皆さん御存知の通り、実力者による競合盤が結構あり、例えば、細かい所が一部で聴き取れないほど一気呵成に超特急で弾き切るキーシン盤や、遅めのテンポを採用して丁寧かつ緻密な余裕ある演奏を聴かせるA・パール盤やルガンスキー盤など、色々な傾向の録音がある中でそれ等を押しのけてアピールするほど突出した個性・要素は余り感じられません。大雑把に言えば「テンポもまぁ普通、ミスタッチ等も動画作品にしたらまぁ普通、跳躍や重音の明晰性はワリと良いけど、特筆すべきと思えるほどではない」って感じで、良く言えば手堅い演奏と言えるかもしれませんが、悪く言えば決定打に欠ける演奏と言えます(一番下のリンクでDVDに収録されている演奏が実際に見られますので確認してみて下さい)。


 「スペイン狂詩曲」では重々しい主題部分のクドイ歌い回しと後半の軽やかな指捌きによる軽快な演奏の対比が素晴らしく(後半でもフォルテ直前のタメが多少重くはありますが)、この曲の見せ場である(と思う)跳躍+オクターブを左右交互に弾いていく箇所55:30~【この10:41~】の速さと鮮やかさは特筆すべきものです。その直後55:39~【この箇所~】でペダル踏みすぎなのが少々気にはなりますけど。

 その少し後にある右手パートが10度隔てた二声を受け持つ箇所56:46~【この12:43~】ですが、
右手・上の声部は皆さん結構気を遣っているようなんですが、10度離れた下の声部は素早く手を移動させなければならないためコントロールが難しいようで(手の小さな奏者は特に)、両方の声部をキッチリとコントロールしている演奏は意外にもスタジオ録音の演奏ですら非常に稀で、当たり前の様にミスタッチがそのまま収録されていたりします(だからこの箇所を示すリンクのみテンポが遅めの演奏に代えた訳です。それでも危なっかしいですが)。
 で、グレムザーのこの箇所の出来栄えと言うと、鍵盤をヒットし切れていない箇所もあるなど、採用したテンポが速めである事を考慮しても精彩を欠いていると言う印象が拭えません。

上記の箇所から休む間も無く続く跳躍の箇所・56:53~【この12:16~】ではスピードがかなりの超特急にも関わらずミスタッチや打鍵が浅い箇所も3箇所程度(テンポが速いので確認し辛いですけど)の安定度なんですが、如何せん前半部分でペダルを不用意に踏みっぱなしになっている箇所があって
非常に気になります。



 最後にとって置いたペトルーシュカですが、キーシン盤のレビューの回と同じようにポリーニ盤(以下、P盤)と比較しつつ見ていきたいと思います。
 第一曲の冒頭の和音の連打からP盤よりペダルを抑え目に演奏しているため和音の歯切れが良く、11:51~(P盤・0:11~)の左手のリズム表現もP盤よりしっかり表現しています。逆に右手のオクターブ含みの連打の箇所12:06~(P盤0:23~)ではP盤の方がペダルが少なめでパッカーシブな演奏です。
 また、例のクロスリズム的な箇所12:49~(P盤1:01~)の直前でテンポを落としていくのはワイセンベルク等と同じですが、P盤を基準に聴かれる方には違和感があるかもしれません。そして、そのクロスリズム的な箇所ではグレムザーの方がP盤よりも全てのパートをハッキリと発音させていますが、どことなくぎこちない感じがする共に、各パートの音量配分の整理があまりなされておらず多少うるさい印象を受けます。
 その直後の左手の速いパッセージの箇所13:04~(P盤1:14~)においてもP盤のような徹頭徹尾インテンポを死守する姿勢とは違ってテンポの揺れが見られます。
 それから少し先、14:14~(P盤2:11~)ではグレムザーの方が左手パートをハッキリ表現させて居る上に(ちなみに、実を言うとP盤は2:12の所で左手パートの音抜けと言うか音のカスりが見られます。一瞬ですが途切れるでしょ?)、14:22~(P盤2:19~)の左手パートはP盤よりも弾いている音数が多く、より楽譜通りに近づけようとしています。
 第二曲ではグレムザーはいつも通りグッとタメを作ったりしますが、その表現がどこか空回り気味と言えなくもありません(P盤も逆に素っ気無さ過ぎではありますが)。強いて言及するなら17:46~(P盤2:43~)の左手パートの

ズッ!チャッ!チャ~!タララタララ、ラチャッチャッチャ、タラララ~」
と言うフレーズですが、スムーズさではP盤に多少分がありますが、明瞭度と言う点ではグレムザーの方が圧倒的に上です。と言うか、P盤もよく聴けば音は出してるっぽくはあるんですがペダル操作の雑さゆえに極めて聴きとりづらい状況になってしまったものと思われます(ポリーニの演奏はこの手のパターンが多い)。
 ちなみにグレムザーの演奏の傾向として、この箇所や第一曲のクロスリズム的な箇所でも見受けられる様な「場合によっては細部をすっ飛ばしてスムーズさを追求するよりも、多少それらを犠牲にしてもディテールを重視する」と言う姿勢は、この曲に限らずどの録音においても貫かれている基本的なものと言えます。

 第三曲ですが、21:34~(P盤2:01~)でグレムザーの弾いてる右手上声部のメロディがP盤のもの(と言うよりも、私が聴いてきたほとんどのもの)と何故か異なります。
 21:52辺り~(P盤2:17~)でグレムザーはかなりグッとテンポを落とすほか、これは余り演奏には関係ないですが、弾いてる姿が非常にカッコ悪いです…(コミカルとも言えるかも)。
 22:22~(P盤2:46~)の左手フレーズや、25:37~(P盤5:43~)より時折挿まれる左手フレーズの明瞭さとリズミックな表現は毎度の事ながらグレムザーが上回ります。
 ちなみに、22:30(P盤2:54)では、グレムザーはグリッサンドの後の「ド」の音の発音までに意味不明な間があったり、その他にもP盤とは異なるリズム感・テンポ感が若干ある事も付け加えておきます。
 その少し先の22:47~(P盤・3:10~)の連続跳躍の箇所ですが、あからさまにテンポが落ちた上にギクシャクした演奏になっており、少し精彩に欠ける印象です。
 で、この曲最大の見せ場の例の跳躍ですが26:02~(P盤6:08~)、少々ペダル過多で音がかなり濁り気味ながらもスムーズに処理していきます。ですが、演奏以外でちょっとした問題があって、跳躍開始から少しの間(P盤で言うと6:30辺りまで)はカメラのアングルの関係で手元が見えません(編集したヤツは何を考えているのやら)。
 そして27:33~(P盤・7:40~)から始まるフレーズの中頃以降の右手の二声フレーズですが、上の方は何の問題も無く演奏をしているものの、下の方は正確に打鍵できてる音の割合と、ミスタッチや鍵盤を押し切れて居ない音の割合が同じ位ではないかと思うくらい弾けていません。


 さて、このDVDはおそらく音源と画を別録り、もしくはそれに近い方法で収録されたものだと思われ(音と画が微妙にズレている箇所も少しあります)、演奏の内容としてはかなり完成度が高いものになっていますが、所々でミスタッチが見られたりして「CD収録と同じレヴェルでもう少し時間をかけて仕上げて欲しかった」と思う点もなくはありません。
しかし、例えばスペイン狂詩曲の見せ場の左右交互オクターブやペトルーシュカの例の跳躍の処理を見ても、他の奏者のスタジオ収録のCDと比較しても遜色の無いスムーズさですし(少しミスタッチもありますが)、YoutubeにUPされてるユジャ・ワンのペトルーシュカのような音の省略も殆ど見られない演奏です。


値段も素晴らしく安いですし、超絶技巧好きの方には一度見て頂きたいDVDです。

  ちなみにこのDVDに収録されているソナタ2番全曲・鬼火・無調のバガテルはこちらで見られますので試聴してみて下さい。少々重いかもしれませんが…。
http://www.musicmasters.ch/main/mainpages/soloists/glemser/video/videoen.php?nr=1
あと、このページを視聴する際の機器にもにもよると思いますけど、リンク先では「フィルム画質」のような感じですが、DVDをTVで見た場合は「ビデオ画質(判り易く言えばNHKで放送する際のリサイタルみたいな感じ)」のような画質です(これも機器によるかもしれませんが、少なくとも私の場合はそうでした)。





あ、最後に、
このブログは「コンパクトディスクレビュー」ですが、今回の様にそれ以外のレビューもちょくちょく書こうと思っております。


【採点】
◆技巧=88.5~83
◆個性、アクの強さ=82
◆演奏姿のコミカル度=91

2011年9月20日火曜日

ハフ 【ショパン:後期作品集】

今回はイギリスの凄腕ピアニスト、スティーヴン・ハフのショパン後期作品集(Hyperion・CDA67764 )を取り上げます。



 ハフの演奏スタイルを端的に表現すれば「完成度の高い技巧とスマートで奇を衒わない演奏表現が特徴の新世代(?)ヴィルトゥオーゾ」と言えるでしょう。ショパンやリストのようなメジャーな作曲家の曲からマイナーな作曲家の小品まで取り上げるレパートリーの広さも特徴です。


収録曲
「舟歌 嬰ヘ長調 Op.60」
「マズルカ ヘ短調 Op.63-2」
「マズルカ ト短調 Op.67-2」
「マズルカ 嬰ハ短調 Op.63-3」
「マズルカ ヘ短調 Op.68-4」
「幻想ポロネーズ 変イ長調 Op.61」
「夜想曲 ロ長調 Op.62-1」
「夜想曲 ホ長調 Op.62-2」
「ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58」
「子守歌 変ニ長調 Op.57」


 CDの一曲目に重音が所狭しと並ぶ難曲「舟歌」を持ってきていますが、彼の高い技巧によって極めてスムーズに処理されていてます。特にポリフォニックな表現が素晴らしく、重音を含む複雑な横の線のつながりをこれほどしっかり整理して鮮やかに弾き分けるのは彼ならではと言えます。
 例えば、1:41~【この1:39~】から単音トリルで開始してすぐに重音トリルへ移行する箇所ですが、
上に添付した楽譜の通り、単音トリル開始時から「cresc.(徐々に強く)」して次の小節のアタマで「」の強さへ持って行き、そこから「dim.(徐々に弱く)」させる訳ですが、この箇所は強弱表現はおろか、重音トリルを弾くだけで必死になってガチャガチャした演奏になってしまう奏者もいる中で、ハフは何の問題も無いかのように極めて自然にこれらの強弱表現を行っています。
 他には、3:07~【この3:06~】に登場し、それ以降も頻繁に現れるフレーズを受け渡す箇所のコントロールは流石の上手さです。



 続いてはマズルカが4曲続きますが全て短調の曲です。ハフは元々大袈裟な表情付けをしない奏者ですが、ここでも微妙で繊細な表現に徹しています。で、マズルカの短調の曲は陰鬱な雰囲気の曲が多いですが、ハフの淡々とした演奏はその雰囲気をさらに助長させていて、これは好みが分かれる所だと思いますし、人によっては淡々としすぎていて退屈とすら感じられるかもしれません。

 幻想ポロネーズは個人的に余り好きではないんですが一言。マズルカとは打って変って表情の変化の激しさが印象的です。特に終盤での熱い表現はハフにしては珍しい部類のものです。

 続くノクターンの2曲ですが、これはマズルカと同じような傾向で、かなり頻繁に表情を変えるんですがあくまで微妙な変化に止めていて内省的で枯れた印象を与えます。


さて、いよいよソナタ3番です。
 冒頭から第一楽章の第一主題・確保の部分0:18~【この0:22~】の表現のクドさが少々きついですが、同じく第一主題の推移部分直前0:46~【この0:49~】の右手4度重音含みの下降フレーズでペダルを外してスタッカートで弾くのは面白い表現です(なお、展開部の終盤にある似たような箇所5:56~【この5:41~】でもスタッカートで弾いてるんですが、その箇所では楽譜にスタッカートで弾くよう指示があります)。
これ以降もコロコロと表情を変えるのですが、その変化が大きいのが特徴で、特に展開部4:02~【この3:52~】における粘っこい表現(強弱表現や歌い回しがかなり濃厚)はハフにしては意外な感じですが、特に左手パートの粒立ちの良さにはらしさを感じます。

 第二楽章ですが、はっきり言ってしまうとハフにしてはいまいちな出来です。ハフの技巧的な特徴の一つに右手のパッセージのキレ・俊敏さ・軽やかさが挙げられ、本来この楽章は彼向きのものと思うんですが、指捌きがいまいち重い印象で、ハフにしては「鈍重」とすら感じられます(これが他の奏者であればかなり上出来なレヴェルと思えるんでしょうけど)。

 第三楽章はあくまで淡々とした表現で進んで行って第四楽章の冒頭を迎えます。
序奏はかなり勢いよく開始され、その後のロンド主題・0:11~【この0:11~】の盛り上げ方も上手く、特に右手・オクターブで主題を演奏するようになる箇所・0:30~【この0:31~】からはバス(最低音)の力強くハッキリとした表現が印象的です。
その次の速いパッセージが登場するセクション・0:54~【この0:56~】はソレほど悪くは無いんですが第二楽章で見られたような重さも感じられ、特に1:19~【この1:20~】などはテンポこそ颯爽としてはいるもののキレに欠ける印象すら受けます。ただ、決して下手ではないですし(と言うか、普通に上手いです)、もしこれが「ハフの演奏」と言う事でなければ印象もかなり異なると思うんですが。
さて、再びロンド主題の登場1:43~(この1:44辺り~)ですが、変化をつけるために初回よりも濃厚な歌い回しになっています。と言うか、曲が進行するにしたがって表現がどんどん大袈裟になって行って昔のヴィルトゥオーゾ風な演奏(テンポの伸縮具合や癖のある強弱表現や要所で挿まれるタメとか)になるんですが、これは「この楽章に合った適切な表現」と賞賛する人と「ハフにこんな演奏を求めていない」と批判する人とに分かれそうな表現です。


 子守唄はソフト・ペダルを常時踏んでいるかの様なくぐもった音色で消え入りそうな弱音を主体に演奏しています。かなり速めのテンポを採用しているので速いパッセージでは「?」と思う所も無くはないものの、舟歌で見せたようなポリフォニックな表現や重音の処理の上手さが際立っています。演奏表現自体はかなり淡々としていて、かなり駆け足で通り過ぎていく印象ではあります。



 全体的にとてもレベルの高い演奏ですし、「さすがはハフ!」と思わせる箇所もありますが(当然と言えば当然ですが)、要所要所で「ハフならもう少し・・・」と言う欲求不満が出てくることも事実です。
 ハイペリオンに移籍してからのハフはどこか落ち着いてしまっていて、ヴァージンで録音していた時期の凄みが無くなってしまったと思うんですが、これも時の流れと言うものでしょうか。


【採点】
◆技巧=91~85
◆個性、アクの強さ=60
◆「ハフならもっと出来るのでは?」度=95

2011年9月18日日曜日

ガヴリーロフ 【シューマン:謝肉祭&パピヨン&ウィーンの謝肉祭の道化】

今回はアンドレイ・ガヴリーロフのシューマン作品集(EMI・TOCE13217)を。




 ガヴリーロフと言えば、前回取り上げたキーシンより一昔前の世代の「極めてロシア臭い演奏をするピアニスト」の代表的奏者で、その超人的な技巧を駆使して唯一無二の録音を残しました。特に「シフラ盤の精度が高いヴァージョン」と言える様なショパン練習曲の録音は有名です(のちのち取り上げようと思います)。

収録曲は
「謝肉祭」
「パピヨン」
「ウィーンの謝肉祭の道化」


 さて、本題に入る前に上記の「ロシア臭い演奏」とはどう言うものか、人により多少印象が異なるとは思いますが、私個人が感じる特徴を列記したいと思います。

■俊敏でスポーティな指回り
■強靭な打鍵
■ピアノ全体が振動するような爆音フォルテや輝かしいピアニッシモを含む幅広い強弱表現
■急速調の曲における凄まじい攻めの表現
■大らかで堂々とした歌い回しと、それに伴う緩徐部分におけるクド過ぎる表現

以上の要素がどの作曲家のどの曲においても多かれ少なかれ顔を出す(出してしまう)のも特徴でしょう。


 謝肉祭の「前口上」から彼持ち前のフォルテを含む強弱表現が印象的です。特に、手の小さい人ならバラしてアルペジオにしてしまいがちな幅の広い和音、わかりやすい所では0:09あたり【ここの左手の和音など】などの左手なども
巨大な手を持つ彼はしっかり鳴らしきります。1:30から始まるアッチェレランド【この1:44辺り~】の表現では軽快な指捌きとよく通る弱音を駆使して余裕で処理していて見事です。
 続く「ピエロ【この曲】」や「高貴なワルツ【この曲】」、他は「オイゼビウス【この曲】」「告白」などのどこか湿り気のある叙情的な傾向のある曲での強弱表現と歌い回しは例によって(?)少々やりすぎな感もあるのは御愛嬌。逆に「アルルカン【この曲】」や「パピヨン【この曲】」などの快活な曲や急速調の曲は彼の独壇場。特に「ドイツ風ワルツ/インテルメッツォ(パガニーニ)」の「インテルメッツォ(パガニーニ)」・0:47~【この曲(0:52まで)】は相当のテクニシャンでも非常に弾きにくそうに弾く曲で、「そこそこ上手い」程度の演奏ならば聴いてる側には「何だかバタバタ弾いてる」や「何を弾いてるのかよく分からない」位の印象しか残らない事が多く、奏者によってはテンポを押さえ気味にして安全運転したり(速度指示は「プレスト」ですが)、ペダルの踏みまくって速度を追求している場合があるのですが、そんな中でガヴリーロフの速さ・鮮やかさは特筆すべきものです。
 ちなみにこの「パガニーニ」ですが、スタジオ録音ですら苦しさを隠せない人が多い訳ですから生演奏は推して知るべしな訳で、興味のある方はYoutubeの生演奏動画でその惨状を御覧下さい。

 話が逸れましたが、このCDに収録されている「謝肉祭」「パピヨン」「ウィーンの謝肉祭の道化」の全てにおいて、「速い所は速く、遅い所は朗々と歌って」と言う基本パターンは変わりません。さらにその両者の落差が大きいのも特徴であり、ナイーブな曲調で見せる悩ましい表現のクドさも印象に残ります。それに加えて、これもロシアの奏者の特徴と言えるかもしれませんが「曲中に速いパッセージや派手なアルペジオがあるのを発見すると、とりあえず全速力で鮮やかに処理する(してしまう)」と言う姿勢が見られます。曲に合っていれば良いんですが、「パピヨン」の第2曲の冒頭での派手な両手ユニゾンでのアルペジオから両手交互オクターブ下降(?)のフレーズ【この0:52~】
確かに上手いんですが、余りに鮮やか過ぎてある種の押し付けがましさすら感じられますし、「ウィーンの謝肉祭の道化」の第四曲「インテルメッツォ【この曲】」では、湿っぽい表現とアルペジオの押し付けがましい表現が喧嘩しあって焦点が定まっていません。
 ただ、これらの事はロシアの奏者ではよく見受けられる事で取り立てて珍しくはありませんし、その手の演奏がお好きの方は気にもなされないかもしれません。さらに付け加えるならば、曲ごとの表現の落差の激しさは「シューマンらしさ」を演出する上では必ずしもマイナスではないと言えます(何をもって”シューマンらしさ”とするかによって異なるとは思いますが)。


 兎にも角にも、ガヴリーロフの絶頂期に録音されたこのシューマン作品集。凄まじい技巧を存分に味わいたい方や、重厚なシューマンを満喫したい方は何はなくともチェックしてみてください。


【採点】
◆技巧=93~90
◆個性、アクの強さ=95
◆ロシア(ソ連)度=100

2011年9月16日金曜日

キーシン 【スクリャービン&メトネル&ストラヴィンスキー】

今回は元神童、エフゲニー・キーシンのロシア作品集(RCA・82876653902)を。



 キーシンと言えばその強弱表現の幅広さを活かして緩徐系の曲では非常にクドイ歌い回しで演奏し、急速系の曲では力強く俊敏かつ正確な打鍵能力を遺憾なく発揮してセッカチとも思える速いテンポで征服していく芸風(?)で知られる奏者で、現役の中堅ではルガンスキーと共に「極めてロシア臭い演奏をするピアニスト」の代表的な奏者と言えるでしょう。
特に、リストの「鬼火」やショパンの「24の前奏曲」の第16番、ブラームスの「パガニーニ変奏曲:第一巻・第14変奏」等の急速調の曲におけるテンポの速さと強力で正確な打鍵は、細かい事を抜きにして聴く者を圧倒する説得力があります。

では、収録曲を
スクリャービン:5つの前奏曲,作品15
スクリャービン:ピアノソナタ第3番
メトネル:追憶のソナタ・イ短調 Op.38-1~忘れられた調べ 第1集 Op.38より
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3楽章


 最初の「5つの前奏曲」からクドイ歌い回しが聴かれますが、曲自体が初期のスクリャービンらしい濃厚でロマンティックな作風なので親和性がある上に、彼の持ち味である明晰な弱音の魅力が溢れていて中々の仕上がりです。
 続くソナタ3番も第一楽章から強靭な打鍵によるフォルテが印象的です。第二楽章の寸詰まりとすら感じられる「前へ!前へ!」と突き進むテンポ感は多少やりすぎな感もありますがこの楽章の性格に合っていますし、第三楽章では前述の弱音を駆使した表現がピタリとハマっています。が、最終楽章【この5:49辺り~。アタッカ(前の楽章から休み無く開始される事)の指示があるので】では、冒頭からのいかにもスクリャービンっぽい左手のインターバルの広いアルペジオが何故か曖昧かつ引っ込みがちで、
オクターブ主体の箇所・0:29~【この6:09~】や2:27~【この7:58~】の時だけ左手が異常に突出するバランスの悪いものになっています。



メトネルは余り馴染みが無いので省略します。

 さあ、このアルバム最大の目玉(人により違うでしょうけど)の「ペトルーシュカからの3楽章」、あのキーシンがどう料理するのか、いやが上にも期待が膨らみます。
 第一曲、冒頭から気になるのは、それまでの収録曲と違ってやけに残響の多い録音である事で、ペダルの過剰な使用と相まって0:22~(ポリーニ盤では0:23~の所)の右手オクターブ含みの連打の箇所では左手パートが混濁しており何を弾いてるのか非常に分かりづらくなっています。が、逆に0:54~の左手による速いフレーズ(ポリーニ盤0:55~)はポリーニ盤を上回る明晰さですし、続く1:01~(ポリーニ盤1:02~)のクロスリズム的な箇所もまずまず無難に処理しています。しかし、終盤に差し掛かっても過剰なペダリングによる響きの飽和・混濁は続き、2:07~(ポリーニ盤2:11~)でも右手パートのみが突出してリズミックな左手が表現されていません。
 
 第二曲でも同じ傾向ですが、弱音で聴かせられる箇所が多い為にさほど悪い出来ではなく一曲目よりはいい仕上がりです。
 で、この曲の見せ場とも言うべき第三曲はキーシンらしい速いテンポで開始され、のちの展開に期待を抱かせます。が、残念ながらここでも過剰な響きにより細部の表現が犠牲になりがちで(テンポが速いので尚更)、2:42~(ポリーニ盤2:46~)や3:06~(ポリーニ盤3:09~)では響きがほぼ飽和しきってしまっています。
 さらに曲は進んで行き、3:34(ポリーニ盤3:38~)からの箇所において信じられない事件(?)が発生します(以下の文を読む前に、キーシン盤とポリーニ盤の両方をお持ちの方はまずポリーニ盤から聴かれる事をお勧めします)。

左手のパート、グリッサンドから【ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダン、ダ~~~~ン
と奏でたその直後に続くフレーズ、
ダン、ダン、ダン、ズッチャッ!ズッチャッ!ズッチャッ!ダ~~~~ン

この【ズッチャッ!】の【チャ】の音、これはオクターブ上へ跳躍するので多少弾き難いとは思う箇所ですが…


キーシン、オメェ、この音を殆ど抜いてんじゃネェ~カ!

これ以降にもこれと同様の箇所が何度かありますが(3:47~、4:23~、4:32)、そこでもやっぱり抜いちゃってます。

 う~ん、マツーエフの同曲の録音での「例の跳躍の箇所の終わりから突然ワープ事件」並みの不可解さです。キーシンなら一発録りでももっと出来る気がするんですが。

 出来ない奴なら「まぁ、こんなもんでしょ」と諦めもしますが、キーシンだけに納得がいきません。レーベルも移籍した事だし再録して貰うしかないですね。


【採点】
◆技巧=83~75
◆個性、アクの強さ=90
◆録り直せ度=100

2011年9月15日木曜日

アンスネス 【リスト:ピアノリサイタル】

今回は今年生誕200年のリストの作品を収録したアンスネスのCD(EMI・CDC5 57002 2)を取り上げたいと思います。



収録曲は
ダンテを読んで・ソナタ風幻想曲(巡礼の年第2年イタリア・第7曲)
忘れられたワルツ第4番
メフィスト・ワルツ第4番
ノンネンヴェルト島の僧房・悲歌
バラード第2番ロ短調
メフィスト・ワルツ第2番
詩的で宗教的な調べ~第9曲「アンダンテ・ラクリモーソ」
メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」



 アンスネスはそのイカツいルックスからは想像できないほど繊細なピアニズムの持ち主であり、その繊細さは彼の持つ世界トップクラスと言っても過言ではない超絶技巧で支えられています。彼のピアニストとしての穴の少なさ、トータルバランスの良さは本当に特筆すべきものですし、生演奏でのコントロール能力の高さも素晴らしく、間違いなく現代を代表する奏者と言えます。

 さて、「超絶技巧の演奏」と言えば、ホロヴィッツやシフラの様な一聴してそれと分かる様な「ヴィルトゥオーゾ系」と、どのような曲でも苦しさを感じさせずに極めて洗練された演奏をする現代的なタイプに分けられます。後者の代表的奏者としてはルイ・ロルティやスティーヴン・ハフが挙げられ、ここで取り上げるアンスネスも後者に属しています(あくまで大雑把な分け方で、ヴォロドスのように生演奏では前者、CDでは後者に近い演奏をする奏者もいます)。

 冒頭の「ダンテ」から、往年のいわゆる”リスト弾き”に見られるような濃厚な表現は避けられ細部の見通しが良く淀みのない洗練された演奏が聴けます。例えば、減7の上昇アルペジオから「リストの半音階」へ続く一連のフレーズ・3:06~【この3:15~3:28辺り】など響きが非常に濁って細部が聴き取りにくくなりがちな箇所でも上手くコントロールしています(ココは一音一音を明確にする必要はなく迫力を重視するべきと言う方も居るでしょうけど)。
 他にも「バラード2番」「詩的で宗教的な~」での彼持ち前の美音を活かした端正な歌いまわしが印象的です(これらの曲に限らず彼の美音は全曲に亘って堪能できます)。
 「メフィストワルツ第1番」や「メフィストワルツ第2番」での速いパッセージにおける粒の揃った音や、同じくメフィストワルツ第1番の難所として有名すぎる例の跳躍の箇所・8:20~【この8:42~】
の処理など、全てが高いレヴェルで行われていますが、余りに安定している為に若干スリリングさに欠けると感じる人もいるかもしれません。

 全体的に見ても「欠点の余り無い優れたアルバム」と言えますが、あえて不満と言うか嫌味な言い方をすれば、多少まとまり過ぎな感もあり「手堅い演奏」「どことなく安全運転な傾向のある演奏」と言えなくもありません。

 さらにもう一つ不満な点を挙げるならば、フォルテの表現が若干弱い点です。これはアンスネスの様な緻密な演奏表現を身上とするタイプの奏者が陥りやすい傾向でもあります。
 ピアノ全体が振動する様な強靭なフォルテはどうしても細部を覆い隠してしまう為にセーブする(してしまう)のだと思うのですが、ダンテソナタのような曲ではフォルテを出す事に対する消極性はともすると聴き手にコジンマリとした印象与え、作品の持つ荘厳さ、雄大さを損なう要因ともなります。特に、古いタイプの奏者を好む方がこのCDを聴くと、程度の差こそあれ物足りなさを感じられるかもしれません。

 アルゲリッチのようなコントロールを失った演奏は論外ですが、良い意味でもう少し勢いのある演奏だとより素晴らしい演奏になったと思うのですが。




 何はともあれ、ここで聴ける演奏は迫力の点で「余りに優等生的演奏」などと不満を示す人は出てくるかもしれないですが、現代的な意味での技巧的な完成度において不満を示す人はまずいないであろう上質なものであると言えます。


 最後に、今年で41歳になったアンスネスは最近録音した「展覧会の絵」の録音において、ここで紹介したリスト作品集では余り聴かれなかった「思い切りの良いフォルテ」を躊躇せずに表現するようになりました。
 緻密な表現と強靭なフォルテ表現をどう融合させていくのか、これからのアンスネスの活動から目が離せません。

あ、もうすぐ来日公演が行われる事も付け加えておきます。


【採点】
◆技巧=89
◆個性、アクの強さ=40
◆洗練度=95

2011年9月14日水曜日

シフラ 【ショパン:練習曲・作品10&作品25】

今回はショパン・練習曲のレビューをやろうという事で「誰のCDにしようかなぁ。やっぱりポリーニだよなぁ」と思ってみたものの、二日前に取り上げたばかりなので他の人にしようって事になり、次にパッと思い浮かんだジョルジュ・シフラ御大の演奏を取り上げる事にしました。



 さて、シフラの演奏は基本的に余り好きではない私ですが、この演奏は結構好きな演奏だったりします。
 実を言いますと、前回のレビューでアムランの演奏にあれこれ文句(?)を言った手前、このシフラの演奏に対して「すばらしい!」などと言ってしまうと、ここを御覧になる方達に「一体何を基準に聴いてるんだよ!」と思われる可能性もある訳ですが、ここは開き直って気楽に書こうと思います。

 私の考えとしては、この演奏に対して「荒い」とか「無茶苦茶だ」と突込みを入れる事は、例えるなら、教室でお笑い好きの学生が教科書を上下逆さまに読んでいるのを見て「おい!それ、逆だよ!」と突っ込みを入れるみたいなもの(?)だと思う訳です。

 細部の描きこみを捨てて速さをとにかく追及した感のある10-1や10-5、高速ですっ飛ばしていく中でもこれ見よがしなアクセントや強打で聴く者を色んな意味で唖然とさせる10-4や10-8、イケイケ(?)なオクターブの部分と中間部の巧みな歌い回しの対比がいかにもシフラっぽい25-10、乱暴な扱いによく堪えたピアノを誉めたくなる25-11&25-12など等、どこをとってもシフラ節、まさに、シフラ節の金太郎飴状態と言える仕上がりとなっております

 欠点を挙げればキリが無い録音ですが、「結構上手い」程度の録音ではすぐに忘れ去られてしまう位に競合盤の多いショパン・練習曲全集のCDの中で、この演奏は良くも悪くも人々の記憶に残る演奏と言えます。


【採点】
◆技巧=野暮な事は言いっこナシ
◆個性、アクの強さ=100
◆インパクト=200

2011年9月13日火曜日

アムラン 【シューマン:幻想曲&ソナタ第2番&交響的練習曲】

2回目。今回はアムランのシューマン作品集(Hyperion・CDA67166)です。



 アムランと言えばゴドフスキーやアルカン、ソラブジのような知名度の高くない作曲家(今でこそ有名ですが)の難曲を弾くピアニストとして知られ、その技巧レヴェルの高さは現在世界一とも言われる事もある奏者です。

このCDの収録曲は全てシューマンの作品で
「幻想曲」
「ピアノソナタ第2番」
「交響的練習曲」

 幻想曲の印象的な出だしはかなり快調な滑り出しです。しかし、ペダルの雑さと残響大目の録音とが相まって曲が進むにしたがい明瞭感が後退していき(左手のタッチが弱いのも原因)、1:09~【この1:08辺り~】の左手のアルペジオ含みの処理が甘くなってしまっています。
 アムランはこの手の余り目立たないところへの意識、特に休符の表現やスタッカートとレガートの弾き分けに無頓着な傾向が見受けられ、第一楽章7:16~【この7:27~】からのスタッカートや休符の指示のスルーッぷりはまだしも(フレーズ自体は7:10~【この7:21~】から始まって7:23【この7:34】まで続くんですが)、
同じく第一楽章5:32~【この5:43~】「チャ~ラ~ラ~、タッ、タッ、タッ、チャ~ラ~ラ~、タッ、タッ、タッ、」と続くところの「タッ、タッ、タ」の部分のスタッカート
を冒頭から丸っきり無視(所々甘くなる人はよくいますが)するのはどう言う理由によるものなのかよく分かりませんし、目立つ所でも、例えば、幻想曲における難所として有名な第2楽章の最後の跳躍6:57~【この6:46~】における休符を殆ど無視したペダルの無頓着振りは、
速めのテンポでインテンポを維持する為の止むを得ない措置だとは思いますが、疑問を抱かざるを得ません(同じ第2楽章の最後の主題開始時5:47【この5:40】で左手・オクターブ下げ攻撃をやってる場合じゃないでしょ)。

 この様に、かなり適当にペダルを踏みつつ弱めのタッチで『私、とりあえずインテンポで音は出しています』とアピールする演奏傾向はソナタ第2番の最終楽章(特に最後の追い込みの4:47~【この5:04~】でも聴かれますが、これはアムランが技術的な難所を安全かつ速めのテンポで処理する時に用いる常套手段と言えるものです。
あと、この最終楽章のロンド主題にある0:09~【この0:11~】や2:17~【この2:26~】や4:28~【この4:39~】などに出てくる短いフレーズですが、
ココはラヴェルのピアノ曲(ほど複雑では無いですが)などでよく見られる左右の手が重なり合う音の配置になっているので巨大な手を持つアムランにとっては非常に弾きにくい箇所だとは思うんですが(シューマンのトッカータなどで手の小さい奏者が苦労するのと同じ感じかも)、出来栄えとしてはハッキリ言って手抜きと言われても仕方が無い位に雑な演奏になっていて、この箇所が再登場するごとに仕上がりが酷くなっていっています。


 さて、前述しましたペダルの多用と弱めのタッチによる不明瞭になりがちな演奏傾向(欠点)が最も現れているのが交響的練習曲であり、「練習曲・3【この曲】」では、ペダルの指示がありはしますが「右手スタッカート、左手はスラー」の指示などは眼中に無いかの様にペダルを踏みまくって処理していますし(のワリに不安定)、
この曲集で最も派手な部類に入る「練習曲・6」では細部の不明瞭さがさらに増すばかりか、対旋律的なバスの表現がほとんどすっ飛ばされています(早い話が弾けてない)。続く「練習曲・7【この曲】」では速めのテンポで開始してしまった為に、最後の左手の高速連続オクターブ・0:32~【この8:19~】と0:56~【この8:45~】でリズムを維持出来ずに殆ど崩壊寸前に陥りそうになってしまうと言う単純なミスを犯しています(ここは余り目立たないところかもしれませんが皆さん苦しそうに弾きます)。
さらに「練習曲・10【この曲】」では、この練習曲のキモである内声の半音階的な動きの表現が曖昧で、特に前半の最後の部分、0:13~0:16【この11:29辺り~11:33】などでの右手による内声の動きが曲が進むにつれ見えづらくなって行きます。
この他にも目立たない細部でのいい加減な箇所があり、例えば「練習曲・12【この曲】」の1:26~1:32の箇所【この箇所~14:59辺り】のバス(最低音)の「タ~タラッタ、タ~タラッタ…」と言うリズムで一貫して続いていく同音連打ですが、
この最低音の連打は音域が低い為にハッキリとした発音がしづらいためか、所々で不用意に強めの打鍵をしてしまう奏者や、前後のフレーズに比べて不自然なまでにテンポを落としたりする奏者も居るなど皆さん地味に苦労していますが、アムランはテンポこそソレほど落とさないものの所々で不用意に強めの打鍵をしたかと思えば、カスって殆ど発音できていない箇所もあるなど明らかに安定感の無い演奏になっています。


  上記の事柄はアムランに限らず他の奏者でも程度の差こそあれ見受けられる事です(言及箇所を確認するために貼ったリンク先の演奏を聴いても判りますよね)。が、強靭な打鍵で聴くものを圧倒する訳でもないし、取り立てて歌い回しが上手いわけでもないアムランは「どんな曲でもインテンポで危なげなく弾いてのける」ことが生命線。つまり、瑕疵の少なくない演奏には魅力が感じられなくて当然と言えます。
 大体、ポリフォニックな表現とリズミックな表現が求められるシューマンを録音したこと自体がミスだったとすら思えます。



 以上、何だか欠点ばかりを挙げた感がありますが、他の方のこのCDに対する批評を拝見すると、奏者がアムランと言うだけで「アムラン=超絶技巧=完璧」的な先入観で聴く人が多いのではないかと思い「こんな意見を言う奴が居ても良いよね」ってスタンスで書いてみました(実際に雑ですし)。


 絶賛する記事は沢山の方達が書いてますから。




【採点】
◆技巧=84.9~70
◆個性、アクの強さ=65
◆ヤッツケ度=100

2011年9月12日月曜日

ポリーニ 【ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの三楽章&プロコフィエフ:ピアノソナタ第7番&ウェーベルン:ピアノのための変奏曲・作品27&ブーレーズ:ピアノソナタ第2番】

まずはこのブログについての簡単な説明を。

このブログは、クラシックのピアノ曲を聴くのが大好き(←だが弾くのはヘタクソ)な私が聴いたCD等についての感想と言うかコメントを勝手気侭に書いていこうって事で初めてみたモノです。
御存知の様に、「CDレヴュー」や「CD聴き比べ」のブログやHPはすでに沢山ある訳で、かなり「イマサラ」な感じがある事は否めませんが、まぁ、「意見の数や種類は多い方がイイよね」って事で、どうかお付き合いのホドを。

と言う事で、早速CDレビューを。今回は初回と言う事で、超有名なこのCDから
 



ポリーニのDGデビュー盤です。ブログの開始(=デビュー)と掛けてる訳でも無くはなかったり…。
さて、収録曲ですが
◆ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3楽章
◆プロコフィエフ:ピアノソナタ第7番
◆ヴェーベルン:ピアノのための変奏曲
◆ブーレーズ:ピアノ・ソナタ第2番

このCDに収録されている「ペトルーシュカからの3楽章」は、のちに「ピアノ独奏版ペトルーシュカ=ポリーニ盤」と言うのが定説になってしまった(?)ほどの超有名な演奏で、良くも悪くも、この演奏がこの曲を聴く際の「ある種の基準」となっている方も多いのではないでしょうか?
もっと言えば、このCD(当時はレコードですが)が発売されて以降にこの曲を録音したピアニストで、程度の差は抜きにしてこのポリーニ盤を意識してない人は殆ど居ないと思われるほどの影響力のあるものだと思います。例外として挙げられるのは、ワイセンベルクの演奏の流れを汲むエル=バシャくらいでしょうか。

さて、「圧倒的なまでに完璧な演奏」として知られるこのCDに収録された演奏ですが、ポリーニのメカニック上の欠点である「打鍵時のガチャガチャとした雑音」と「大雑把なペダリング」、それに「ポリフォニックな表現の弱さ」はこのCDでも聴かれます。


さて、ペトルーシュカからの三楽章の第一曲、冒頭部分が終わって少し経った0:13で装飾的に「チャララン!」と鳴る急速なフレーズは「右手・5連符、左手・6連符」と言う構成なんですが(次の小節のアタマも含めるとそれぞれ6音と7音のフレーズ)、右手は明瞭に発音をしているものの、録音の関係もあると思いますが左手の存在感がイマイチです(右手が鮮やか過ぎるので余計にそう感じられます)。
少し先の0:43~0:44の分厚い和音連打ですが、この箇所に至るまでも過剰なペダルによる響きの飽和が見られましたが、ここは特に分かり易い箇所です。
1:00~の三段符のパートでは全ての音を明確に発音させてはいますが、重層的な響きの表現という点では多少弱さも見受けられますし、1:02辺りの三段符の真ん中のパート、”ラ”と”シ”の和音と、その上の”ミ”を素早くトリルする箇所なんですが(楽譜を貼れれば良いんですが…)、このトリルは”ラ”と”シ”の和音で終了すべき所ですが、ポリーニの演奏では”ミ”で終了している様に聴こえます。スロー再生で良く聴いてみると最後の”ミ”の後に”ラ”と”シ”の和音が鳴ってる様に聴こえなくも無いんですが、ペダルを踏みっぱなしにしているため”ミ”がダラ~ッっと延びっぱなしになり細部の表現に支障が出ているわけです。
あと、余談ですが、2:10で一箇所だけバス(最低音)の「」が抜けてます。

第二曲ですが、左右交互に行う複調のアルペジオの箇所・0:50からの一連のフレーズでは打鍵時のガチャガチャとした雑音が如実に出ていてます(録音にも問題がありそうですが、幾らなんでもカンカン叩きすぎ)。
かなり先の2:42からはアグレッシブな演奏&テンポのお陰で、最初の小節(四分の二拍子で、左手パートが「ダッ!ダッ!ダ~」ってリズムになってる所)のスタッカートのついた右手の内声3度重音と、次の小節(四分の三拍子)のスタッカートのついた右手二声のパートや左手の急速なアルペジオが曖昧ですし、全てを強く打鍵している為に最後に一音だけ右手を飛び越えて弾くアクセントの付いた「」の音もアクセントが付いてるように聴こえませんし、それ以降の2:50辺り~2:59辺りの左手の急速なフレーズも音は鳴っているものの明晰とは言いがたい出来です(この辺りは右手と同等、もしくはそれ以上に左手の音数が多いのに加え、楽譜指定通りの速いテンポである事、かなり古い時期の録音などの条件が重なった事もあって、ある程度は致し方の無い面もありますが)。

第三曲では冒頭から少し先、1:21から左手のみで重音トリルと三段譜・中段「レ、レ、ミ、ミ、レ、レ、ファ、ファ」と続くメロディを弾く箇所があります。この中段のメロディと右手パートの一番下の声部が音域的にカブっていているんですが、ポリーニはどちらも同じ様な音量で弾いている為にお互いの声部が混同して少しミスタッチをしている様に聴こえます。実は、少し先の2:04~2:10にも左手のみで重音トリルをしながら「ファファ、 ミミ、 ファファ、 ミミ、 ファファ、 ミミ」と弾いていく箇所がありますが、ここは左右のパートが音域的に少し離れているので前述の様な事は起こりません(ただ、「ファファ、 ミミ、~」が少し弱くてイビツな感じはしますけど)。
かなり飛んで、5:44からは左手の素早い和音連打が合いの手(?)の様に「ダダダダッ!ダ!」と挿まれますが、5:58以降はその和音連打に右手も少し参加する形となっていて(最後の6:07は違いますが)、特に6:01と6:04は和音連打が少し不明瞭になっています。



プロコフィエフ・ピアノソナタ第7番ですが、第1楽章の0:26~【この0:27~】の箇所に掛かっているスラーはフレージングスラーと解釈してリンク先の演奏の様にスタッカート(気味)に弾く奏者も多いですが、
ポリーニはレガートで演奏している上に「」の指示のわりにかなり大人しい表現をしています。
少し先の0:39~【この0:39辺り~】からの「secco(乾いた。短く切って)」の指示がある箇所では和音連打と休符の表現が甘く若干歯切れの悪い演奏になっています。
そして徐々に喧騒が収まっていき、1:38~【この箇所~】から第二主題に突入する訳ですが、その第二主題の後半・3:28~【この3:41~】の「ジャ~~ン、タララララダン~」と言うフレーズの最後の「ダン~」と言う和音の鳴るまでのタイミングにホンの一瞬だけですが「間」と言うか「タメ」があって、
コレが普段からタメの多いロシア系などの奏者であればむしろ「らしさ」さえ感じる表現だと思うんですが、インテンポ重視派(?)であるポリーニがやるとかなり違和感を覚えます。なお、少し先の似たようなフレーズ・3:33~3:36【この3:39~3:41】や、3:49~3:51【この3:55~3:57辺り】、3:54~3:56【この4:00~4:02】でも同様の傾向です(技術的な問題でタメなければ弾けない等とはまず考えられないので、タダの癖だと思いますが)。

少し前後しますが、この楽章の目玉である3:39~【この3:45~】からの展開部ですが、例えば4:07~4:10【この辺り~4:17辺り】で聴かれる様な休符の表現の甘さや
4:32~【この4:42~】からの急速な音階駆け上がりでの左手の存在感の稀薄さや、
4:37~【この4:47~】や4:42~【この4:53~】の「secco=(短く切って)」の指示がある箇所での若干の歯切れの悪さなど、
細かい所で結構気になる箇所がありますが、前述の様に録音の古さによる影響も少なからずあると思われます。


第2楽章はサラッと見て行きたい思います。多声的な書法で書かれたこの楽章ですが、序盤では基本的にソフトペダルを踏みっぱなしにしたような抜けの悪い弱音を使い、盛り上がる所ではかなりペダルを踏み込みつつ勢いで乗り切ろうとしてる風にも見受けられ、楽譜に書かれた音自体は出ている(と思われる)ものの、多声的な表現と言う意味ではいまいち弱いです。
例えば、かなり盛り上がってきた2:37~【この2:38~】での複数ある内声の半音階的な動きは
強烈な打鍵(って言うか、ブッ叩き)による雑音や、かなり深いペダリングによる響きの飽和、そして少し速めのテンポ設定のお陰で少々聴き取りづらくなっています。

少し先の2:57~【この3:00~】のフレーズは、第1楽章の展開部に出てきた急速なフレーズ【再び貼りますが、この4:42~】と似た感じのもので、この少しあと3:18~【この辺り~】にも更に同じ様なフレーズがあるんですが、
2:57~の箇所ではかなりハッキリと左手パートが聴き取れるものの、何故か3:18~の箇所は殆ど聴き取れません(録り直せばよかったのに)。


さて、この曲の見せ場と言える第3楽章を見て行きますが、実は、前述したポリーニの欠点である「打鍵時のガチャガチャとした雑音」と「大雑把なペダリング」が最も出ているのがこの楽章です。
冒頭から暫くの間は右手の和音や左手のオクターブにキレがあり、かなり緊張感のある演奏になっていますが、0:40辺り【この0:43辺り~】から明らかにペダルが過剰になり始め、0:45~【この辺り~】からは休符の表現はスッ飛ばされキレもヘッタクレも無いユルユルな演奏(?)になっています。
その少し先の0:55~【この0:58~】の印象的な左手での「タッ、タラッ、タッ! タッ、タラッ、タッ!」と言うフレーズがいまいちハッキリせず、大袈裟に言えばダンゴ状態になっています。なお、これ以降も似たフレーズが続きますが、ソレ等の箇所ではペダルを踏みっぱなしにしているので休符の表現すらされていません。

直後の0:57~【この1:01辺り~】の左手、「タッ! タッ、タッ、タタッ! タタラララ~」と言うフレーズでも、
休符が殆ど表現されておらず、発音後の処理が極めてズサンになっています(これ以降の似た箇所でも同様の処理です)。
上記の箇所に共通している要素は、左右の手の受け持つ音域がカブったり、手の交差を要求している事で(添付動画を御覧になれば判り易いと思いますが)、もしかすると、巨大な手を持つポリーニにとっては、これらの箇所が人並み以上に厄介だった為に止むを得ずこの様な措置をしたのかもしれませんが、リズミックな表現が重視されるこの楽章においては手抜きと言われても仕方の無い処理だと思います。

次は最大の難所である(らしい)終盤の箇所・2:33~【この2:41~】を見て行きますが、この箇所は2:52【この辺り】までの間、一貫して左手は「ダッダ~ダッ! ダッ! ダッ!」と言うこの楽章の冒頭に見られるリズムを維持しています(と言うか、維持する様に書かれています)。
で、大抵の場合は楽譜通りに音を出すだけでも苦労するこの箇所においても、どうにかして「ダッダ~ダッ! ダッ! ダッ!」と言うリズムやアクセントを維持するため頻繁にペダルを踏みかえたりして悪戦苦闘する訳ですが、ポリーニはこの箇所でペダル操作を一貫して

『「ダッダ~ダッ!」の間ずっと踏んですぐ離し、再び「ダッ! ダッ!」の時に踏んですぐ離す』
と言うパターンで繰り返しています。それ故に、最初の「ダッ」の音が延びっぱなしになり、後続の音を邪魔する(お互いに混ざり合って前へ出てきにくくなる)事によって左手パートが不鮮明な仕上がりになっています。
この様なペダリングを採用した理由は、おそらく、ペダルを動かすパターンを一定にする事で手の動き(打鍵)に集中する事と、もう一つの大きな理由として、ラクをして音を滑らかに繋げつつ打鍵の粗を隠す為だと思われます。一般的には「ペダルは誤魔化す為に使うものじゃなく、響きを変えるため等に用いる」と言うのが御題目になっているらしいですが、この箇所でこれほど過剰なペダリングをする理由が他に見当たりません。
まぁ、そのお陰でとりあえずインテンポで楽譜に書かれている音は出ているので(特に右手パート。コチラの方が目立ちますから重点的に仕上げたんでしょう)、ソレだけが救いと言えます。

※ 後日記(お詫び)
「インテンポで楽譜に書かれている音は出ている」と書きましたが、2:53辺り【この辺り】でバスをミスタッチしていました。詳しくは下に添付した楽譜を参照してください。



上記のパートの後、2:52~3:01辺り【この辺り~3:10辺り】の休み無く続く分厚い和音連打は、大抵の人が途中で息切れして全ての和音をシッカリと鳴らし切りにくい箇所ですが(特にテンポがポリーニ並みに近づけば近づくほど)、ポリーニは毎度御馴染みの深すぎるペダリングではあるものの、怒涛の如く全ての和音をインテンポでシッカリと親のカタキのように『ガンガンバシバシ』と騒々しくブッ叩きまくっています(ココまでやれば立派です…)。



さて、第3楽章についての余談ですが、この曲を数多く聴いてこられた方の中には2:41と2:43【この2:49と2:51】の跳躍で一瞬の間が空く演奏が少なくない事はご存知かと思いますが、コレ、実は左手に難があるらしいです。この箇所の楽譜を添付してみますと、
以上の様な音の配列になっていますが、右手パートにオッターヴァ(書かれているより1オクターブ高く弾く指示)が出てきたり、左手パートが途中でト音記号になったりして移動距離がイマイチ判りにくいので、左右のパートを別々に、しかも右手パートは全てト音記号でオッターヴァを用いず、左手パートは全てヘ音記号で統一したものを下に添付してみます。


右手の方が高音域で和音を鳴らしているので目立ちやすいですが、こうやって見てみますと明らかに左手の方が広い音域をカヴァーしつつ、出してる音数も多い事が一目瞭然だと思います。
さらに、左手パートの例の「ダッダ~ダッ! ダッ! ダッ!」と言うリズム的な要素を判りやすく書きますと次のようになります。左手パートのみです
コレをみると「ダッ! ダッ!」の部分が、まず「シ♭」を弾いて、すかさず2オクターブ以上離れた「」を弾いた後に素早く1オクターブ以上戻って「」を弾いてやっと完了すると言う無茶苦茶な動きをこの高速テンポの中で行わなければならない事が判ります。
ココで一瞬の間が空くのもわからなくも無い気がします。

更にもう一つ、レビューで少し触れたこの【1:03の箇所】ですが、先に添付した楽譜には当該箇所に「♭」が付いていましたが、手持ちの全音版(古いブージー&ホークスのリプリントだと思います)には「♭」が書かれていません。詳しくは下に添付した楽譜を御覧下さい。




以上のような感じでブログを書いていくつもりです。
ちなみに、ヴェーベルンとブーレーズの曲には一切触れてませんが、曲自体に興味がなくて殆ど聴いてないのでスルーと言う方向で…(聴いてないものは書けませんので)。




       なにとぞ、宜しくお願いします。




採点
◆技巧=95~88
◆個性、アクの強さ=80
◆エポックメイキング度=100






最後に大事なお知らせ!(改)

上の画像をクリックするとアマゾンの商品ページへ行きますが、コレはCDのジャケット画像を合法的(?)に使用する為にやむを得ずアマゾン・アソシエイトからリンクを貼ったものです。ですので、このブログのリンクから飛んだページで直接購入された場合や、「来たついでだから」と言う事で、その状態のまま買い物を続行してアマゾン内で何らかの商品を購入された場合、アマゾンから私に多少のキックバックがあります(←らしいです)。
小銭を稼ぐのが目的でこのブログを開始した訳ではございませんので、万が一、ここで取り上げたCDに興味を持たれてアマゾンで購入される場合等は、お手数ですが一度アマゾンのサイトを出て再び入り直すなどした上で購入される事をお勧め致します。