2012年1月27日金曜日

ベレゾフスキー 【ショパン:練習曲、作品10&25】



 1990年のチャイコフスキー・コンクールの覇者であるベレゾフスキーが、その翌年の1991年に録音したショパンの練習曲集です(『3つの新しい練習曲』を含む)。

では、急速系の曲を中心に少し見て行きたいと思います。

◆10-1
 楽譜に書かれた音を発音させると言う意味では悪くない出来ですが、曲中やフレーズの中での強弱の変化が余り無い事が耳につきます。冒頭からしばらくの間ほぼ強弱の変化が無い状態が続き、0:37【この0:35~】で少し弱めに弾いてから徐々に元に戻して行って、0:54【この0:52~】で今度はかなり極端な弱音で演奏してから再び「cresc.」して行って1:11【この箇所~】の再現部へ突入する訳ですが、再現部以降は目立った強弱の変化は無く、曲の最終盤ですらほぼ強弱変化の無い状態で終了します。一般的には、例えば、コーダが始まる箇所1:38(先程の音源で1:39)の周辺から少し音量を落として弾きますがベレゾフスキーはほぼ一定の強さで演奏しています。大雑把に言うとポリーニ系の演奏ではあるんですが、ポリーニのようなインテンポ感や突出したメカニック(任意の鍵盤を正確にヒットする打鍵能力)は感じられません。特にテンポ・リズムに関してはかなり癖がある部類の演奏と言えると思います。
あと、曲が進むにつれ左手の打鍵が少々乱暴になって行くのも気になります。

◆10-2
 手抜きと言われても仕方ないくらいの演奏です。半音階をレガートに弾く為にペダルを多用した結果、2小節目から早くも左手パートのスタッカートの指示を守れていない上に、
右手の内声の和音や左手パートのコントロールも覚束ない状態になっています。一番目立つパートの半音階のメロディを滑らかに弾く為のやむを得ない措置とは言え、余りにお粗末な演奏と言えます(しかも、その半音階すら確実にコントロールしているとは言い難いんですが)。

◆10-4
 かなり遅いテンポで演奏されます。言うまでもありませんが、ただ単にテンポが速ければ良いってものでもありませんし、たとえテンポが遅くても、グールドやプレトニョフのように細部への異常な拘り等、テンポの遅さを補って余りあるだけの何かがあれば良いんですが、この演奏にはその遅さに見合った何かを聴く事はできません。
 どうやらテンポの遅さに合わせて打鍵自体のスピードも遅くしているようで、この曲のキモとも言える速い単音のフレーズにキレが殆ど感じられず、ノッペリとして鈍重な表現になってます。

◆10-8
 冒頭は左手が多少乱暴であるものの、それほど悪い出来ではありません(これまでが悪かったのでそう感じられるのかも)。最初のセクションの反復と言える0:19~【この箇所~】からはそれまでよりもかなり極端に弱めの演奏をして変化をつけています。が、中間部・0:39~【この箇所~】が突然の意味不明な強打で始まり、その後もしばらくはかなり大味な演奏(アルペジオの精度も含め)が続いて行きます。
 全体的には強弱の差が激しいものの、それらの必然性や根拠がいまいち感じられず、たんに奇を衒った演奏をしているだけのように感じます。

◆25-6
 この曲は10-4ほど遅いテンポは採用していません(テンポの揺れは激しいです)が、とにかくペダルが過剰な箇所が多く、それ故に曲全体の響きが鈍重になっています。特に順次下降の部分【この箇所や0:23~など】になると常にペダルが過剰になる上にテンポも目に見えて?遅くなり、特にこの曲で最も長い順次下降の箇所=1:29~【この箇所~】ではいかにも「ルバートをかけています」と言いたげな感じでテンポを遅くしてお茶を濁しています。
私は「何が何でもインテンポを死守すべき」と言うスタンスではないんですが(例えばアムランの様に「インテンポだけど細部が雑」では意味が無いですし)、この演奏はどう聴いても、まともに弾けないのでテンポを揺らして誤魔化している様にしか聴こえません。

 全体的に見ても明らかに指がもつれている箇所が散見され(先程の動画の【この箇所】など)、ハッキリ言ってプロの演奏とは思えない出来です。

◆25-11
 25-6と同様に、とてもプロとは思えない演奏です。このブログでは「どこが良くてどこが悪いか、具体的な箇所を誰にでも分かるように明示する」と言う事をモットー(と言うほど大した事ではありませんけど)にしているんですが、この演奏は

「マトモに弾けてるといえるのは序奏くらいで、後はとにかく駄目」

としか言い様のない出来です。
右手につられて左手が疎かになったり(その逆も)、3:08【この箇所~。リンク先もかなり怪しいですけど】に代表されるように明らかに指がもつれてしまっている箇所もあります。



 さて、かなり駆け足で見てきましたが、このCDを全体的に見ると、10-1や25-12の様にそれなりに見るべき点のある演奏があって長所が皆無と言う訳ではありませんが、とにかく欠点(メカニックの点や曲全体の構成を含む)が極めて多いものである事は紛れも無い事実です。
ここでは取り上げませんでしたが、緩徐系の曲も癖のある演奏ばかりで「とにかく何か個性を出してやろう」という姿勢しか見えてこないものばかりです(それでもメカニックが優れていれば多少の救いにもなるんですが、それも無いのがつらい所)。


色んな意味で珍しい演奏がお好きな方を除き、絶対にお勧めできません。






【採点】
◆技巧=80~45(平均は贔屓目に見ても70くらい)
◆個性、アクの強さ=100
◆「よくコレを世に出したなぁ」度=300

2012年1月12日木曜日

ポリーニ 【ショパン:練習曲、作品10&25(1960年盤)】



【収録曲】
ショパン:練習曲、作品10&25


 今回取り上げるCDは、あの有名なDG盤(今回取り上げる物は「旧盤」と呼ぶ事にします)から遡る事12年前の1960年に録音されたものの、本人の意向により発売が見送られていたらしい曰くつき(?)の録音です。

 録音状態ですが、基本的には中域が強くて少しホコリっぽい感じがする所謂「古い時代の音質」ではありますが普通に聴くのには支障の無いレヴェルと言うか、年代のわりに良い状態だと思います(スレテオです)。
特筆すべきは、DG盤より明らかに残響の少ないデッドな録音である事で、それにより細部が聴き取り易くなっています。


 さて、ポリーニファンならずとも最も気になるのがDG盤との相違点だと思いますが、旧盤はDG盤と比較すると全般的な傾向として、以下の特徴が挙げられます。

・ペダル操作に対する意識がより感じられ、より頻繁に踏み替えをしている。
・上記の事に関連して、DG盤で聴かれた過剰な響きが抑制されている(録音も関係してます)
・パートごとの弾き分け(内声の処理)への配慮がある
・DG盤より普通なテンポ感・ルバートの感覚が聴ける
・DG盤の様に鍵盤をブッ叩く事が少ない

つまり、DG盤で聴かれたようなバランスの悪さがかなり緩和されている訳ですが、逆に、以下の様な点はDG盤に分があります。

・楽譜に書かれた音符を引っ掛けたりミスタッチする事無く順番どおりにハッキリと発音させる
・機械的なインテンポ感


では、これから双方の比較を交えながら急速系の曲を中心に少し詳しく見て行きたいと思います。


10-1
明晰な発音と言う点ではDG盤に軍配が上がりますが(打鍵時の雑音がコツコツとうるさいですけど)、旧盤もかなり高レヴェルな仕上がりです。強弱表現は旧盤の方が自然で、例えば中間部の終わりの頻繁な反復進行の部分、DG盤・0:59~、旧盤・0:57【この箇所~】における「cresc.(徐々に強く)」は、旧盤の方がこの少し前の箇所からしっかりとバランスを考慮して演奏して的確に表現できています(少し不器用ではありますが)。
ちなみに、この直後にあるDG盤・1:08で音抜けしていた部分ですが、旧盤ではかなり危なっかしいながらも何とかクリアしています(1:07。先程の音源で言うと1:10)。この様に、上行アルペジオに比べて下降アルペジオが苦手そうなのはどちらの盤でもそう大した差はありません。

10-2
この曲はどちらも一長一短と言う感じです。音価の表現で言うと、序盤【この冒頭~0:33】ではDG盤の方が的確にこなしていますし、中間部【この0:33~1:02】は旧盤が上、終盤【この1:02~】はまたDG盤の方が出来が良いと言う風な具合です。
テンポは旧盤の方が速めで、DG盤とは違ってフレーズの開始時や序盤から中盤へ移行する時のようなセクションの変わり目などに一瞬タメが入ったりしてより自然な感じを受けます。DG盤はあえて遅めのテンポでインテンポの演奏を意図的に行ったと思われ、この不自然なインテンポ感を基準にこの曲を聴かれる方には旧盤に少し違和感を覚えるかもしれません。
あと、右手の1指(親指)と2指(人差し指)による内声の和音は、
DG盤の方が全般的にしっかりと発音されています。しかし、一番目立つ半音階の動きを発音させる時に生じる雑音は旧盤の方が遥かに少なくなっています(これも録音の違いによる影響も少なくないと思われますが)。
最後に、楽譜の音をツツガナク並べると言う点ではDG盤に多少の分があるものの、どちらも非常に良い出来であり、特に旧盤を録音した1960年当時ではこの録音が最も完成度が高かった(発音と言う点のみですが)ものではないでしょうか。

◆10-3
旧盤にはDG盤の様な強奏時の悲惨な音割れ・響きの飽和は見られず非常にスッキリしていますが、逆にルバートと言うかテンポの揺れがかなりあって、丁寧に歌い上げようと言う気持ちは何となく伝わるんですが、いまいち不器用な表現に感じられると言うか、気持ちが見事に空回りしている感があります(これは好みの問題ではあると思いますが)。

10-4
DG盤では響きが弛緩して細部を見え辛いですが、それに比べて旧盤はすっきりと纏まっています。例えば、旧盤・0:17、DG盤・0:18【この箇所~】の箇所では
DG盤は各パートの音量に余り差が無い上に全てが同じ様に変化していく為、非常に喧しい印象を受けるほか、却ってそれぞれの動きが見えづらくなる結果となっています。オーケストラに例えると、全ての楽器が「俺が!俺が!」と言う風に前へ出てきて同じ様な音量で同じ様に変化していくような感じと言えば良いでしょうか。
翻って旧盤は、それぞれのパートを取捨選択する事によって(いい加減に弾くと言う意味ではなく)、強調する部分とそうでない部分とのコントラストが明確になり、結果として全体的に見るとスッキリした響きな上に立体的な感じに仕上がっています。左手の4音一まとまりの速くて細かいフレーズもDG盤より12年も前の録音水準と言うハンデがありながら、かなりハッキリしたアーティキュレーションを聴き取る事が出来ます(これはペダルによる細かな処理も要因と言えそうです)。
実はこの点こそがDG盤と旧盤の決定的な違いと言え、旧盤は基本的に「どのパートにピントを合わせるか」がハッキリした演奏であり、DG盤は全てにピントを合わせてしまった為に、逆に肝心な所が目立たなくなった感じと言えます(意図的にそうしたんでしょうけど)。
ただ、ミスタッチや引っ掛け気味な打鍵の少なさと言う点ではやはりDG盤に分があります。

10-7
歌い回しの素っ気無さと言う点では似ていますが、やはりこの曲でも違いが出ています。DG盤では見え辛かった冒頭からの2声(3声とも解釈できますが)の動きが見え易くなっているほか、
DG盤・0:23~、旧盤・0:22【この箇所~】からの中間部の左手パートでは、DG盤はいつもの様に(?)緩慢なペダル操作(と、残響大目の録音)のせいで締りの無い表現になっていますが、
旧盤では明瞭な表現をしています(ここに限らず全般的にそう言えますが)。
なお、中間部の終わりの左手によるメロディ(先程の音源で0:43~)はどちらの録音もサラッと通り過ぎて行くように演奏しています。

◆10-12
この曲でも冒頭から違いが見られます。具体的には、DG盤、旧盤、共に0:08【この箇所~】から始まる両手・ユニゾンフレーズ
のアーティキュレーションの明確さです。DG盤では曲の開始から0:14【この箇所~】のハ短調「」の和音のアルペジオまでの間、殆ど抑揚のない一本調子な演奏が続き、まるで句読点の存在しない文章のような印象すら受けます(DG盤が基準になってる方は違和感を覚えないかもしれませんけど…)が、旧盤ではよりハッキリとしたアーティキュレーションと強弱表現、それらに伴なううねる様な表現が感じられます。この傾向は冒頭以降も続いて行きます。
ただ、和音の強奏時に「ガツン!ガツン!」と弾いてしまうのは旧盤でも余り変わっていません。

◆25-1
以前、DG盤の回でも指摘した箇所ですが、DG盤・0:31~、旧盤・0:34【この箇所~】からの一番上の声部から内声へリレーのように旋律を受け渡す箇所(下に添付した楽譜には書かれていませんが、パデレフスキ版には重要な内声の音符が四分音符になっています)でハッキリとした違いがあり、
DG盤では見え(聴き)づらかった内声の流れが旧盤では表現自体は少しタドタドしくはあるものの、かなり明瞭に聴き取れます(ただし、録音の古さの影響で全体的な響きはかなり混濁しており、録音の古さが演奏を聴き取るのに影響した曲の一つと言えますが、言い換えると「そんな状況でも内声が聴こえるようなコントロールをしている」という事も可能です)。
実際にはDG盤でも発音自体はなされているんですが、10-7でも指摘しましたように、全ての音(横の流れ)が殆ど同じ様に推移していく為、肝心な箇所が埋もれてしまっています。

◆25-2
この曲では双方のレガート奏法の違いが分りやすく表れています。DG盤は主にペダルの力を主体に(と言うか、ペダルに頼って)レガートしているのに対し、旧盤はあくまで打鍵と離鍵(押えた鍵盤を上げて音を止める)のタイミングをコントロールする事を基本にしている模様で、旧盤の方が所々甘くなる箇所があるもののより明瞭で粒の揃った打鍵を聴く事が出来ます。

◆25-6
25-2でも触れたレガートの処理法の違いがより如実に表れている曲です。
冒頭、DG盤は残響が多めの録音に加えてかなりペダルを踏み込んでいるため霞んだ様な響きになっているのに対し、旧盤は殆どペダルを踏まずに演奏しているようです。ちなみにこの冒頭部分、旧盤の収録に用いたマイクの周波数特性のせいなのか分りませんが、実際にはそれほど強く弾いてなさそうなのに、かなり音が強めと言うか前に出て来ている様に聴こえます。
少し進んで、DG盤・0:25~、旧盤・0:24【この0:27~】の箇所ですが、
ここは右手のフレーズ(拍)とポジション移動のタイミングが微妙にずれているので、ポジション移動時に不必要なアクセントがついてしまったり(先程の動画とか)、あまりアクセントをつけずに演奏していたり(DG盤とか)するんですが、旧盤では明らかに拍を意識して演奏しています。旧盤では添付した楽譜の1小節目では指示通りのタイミングでペダルを上げ、2小節目ではおそらくペダルを踏んでいないか、踏んでいても非常に薄く踏んでいると思われます。これによりフレーズがダラ~っと流れにくくなりますが、少しゴツゴツした印象を受ける方も居るかと思います。
もう少し先、DG盤・0:38~、旧盤・0:37【この箇所~】の箇所でもペダルをガッツリと踏んで演奏する奏者が多いんですが(例えば、添付音源やDG盤とかがそうですね。白鍵ばっかりで弾きにくいらしいです)、旧盤ではペダルを拍に合わせてコントロールしつつ、踏む深さも出来るだけ最小限にとどめて演奏していて、その結果、演奏の確実性や滑らかさが若干犠牲になっている感もあるもののアーティキュレーションや一音一音の明瞭さは向上しています。
つまり、DG盤に比べて旧盤の方が細かい部分への配慮がなされている訳で、ここ以外にも例えば、DG盤・0:53~、旧盤・0:52【この箇所~】からの八声が半音階下降する箇所(減七の半音階的連用とか言う物ですね)でも同じ事が言えます。が、旧盤でも録音の古さなどもあってさすがに明瞭とは言い難いです。

 ただ、この曲でも「ミスなく全ての音を発音させる」と言う観点ではDG盤に軍配が上がります。
例えば、【この箇所~】からの急速な三度重音の順次下降などで音抜けがあったり危なっかしい箇所も見受けられます(ペダルが少なくデッドな録音なので余計にミスが判り易いんです)。

◆25-11
この曲も端的に言えば「やたらとゴージャスな響きの(悪く言えば、喧しい)DG盤」と「比較的スッキリした旧盤」とに分けられます。
で、比較を始める前に、まずこの曲を少し大雑把ですが整理してみたいと思います。左手パートに注目して聴いてみて下さい。

★序奏(この曲の主要なメロディ)=【この箇所~0:19】
☆序奏と同じメロディ=【この箇所~0:27】
●応答・その一=【この箇所~0:35】
☆序奏と同じメロディ=【0:36~0:44】
●応答・その二=【この箇所~0:56】
☆序奏と同じメロディ=【この箇所~1:06】
●応答・その一(少し変形)=【この箇所~1:15】
☆序奏と同じメロディ=【この1:15~1:23】
●応答・その二(少し変形)=【この箇所~1:35】

以上で前半終了です。
この様に(?)、この曲の練習曲としての主な目的は右手の強化である事は明白ですが、音楽的な主体は左手パートであると考えられます。
この事を踏まえてDG盤を聴いてみると、左手パートも一応聴こえては来ますが、右手の鮮やか過ぎる速いパッセージと喧嘩していまいち浮かび上がってきません。
これに対して旧盤はDG盤よりも各々の役割に応じてバランス良く演奏しています(ちょっと不器用な表現ですが)。

◆25-12
まず冒頭6小節の楽譜を添付します。
この曲は保続低音の箇所が多いので、丁寧に任意の音の強調や和声の推移を表現しないとただのアルペジオの羅列になってしまいます。
これまで何度も指摘しましたが、DG盤は全ての音をとりあえず良く鳴らしているものの「強調すべき音」と「そうでない音」の区別が判別しにくい演奏です。せっかくショパンがアクセント記号まで付けてくれるんですからそれを強調しない手は無いと思いますし、ポリーニも実際に強調しようとしてはいるんですが、全ての音がお互いに邪魔しあって中々浮かび上がってきません。そればかりか過剰なペダリング(と、残響多めの録音)によって響きが飽和して和声の推移の表現も弱くなっています(良い様に言えば「ゴージャスな響き」と言えるかもしれませんが)。

で、旧盤はと言うと、「con fuoco(烈しく)」の指示のあるこの曲にしては少し大人しい感じがするのも確かですし、ぎこちない箇所も散見されますがかなり手堅く纏めています。



 さて、駆け足でザッと見てきましたが、冒頭でも述べましたし途中でも何度も何度も言及しましたとおり、次の点は誰がどう聴いてもDG盤の方が優れていると判断すると思います。

・楽譜に書かれた音符を引っ掛けたりミスタッチする事無く順番どおりにハッキリと発音させる
・機械的なインテンポ感

しかし、これも何度も言及してきましたが、パート・声部ごとの弾き分けやそれぞれの音量配分、それに伴なう響きのコントロール、ペダルの丁寧な操作、強弱表現、細かなアーティキュレーション表現などは旧盤が勝っている場合が多く(10-9等の様に双方とも余り変わりのない表現の曲もありますし、25-8の様にペダルを抑制したお陰でゴツゴツしすぎている曲もありますが)、DG盤に比べると全般的にはとてもバランスの良い演奏です。

個人的な意見を述べますと、旧盤が勝っている点はポリーニが72年にDG盤を録音するまでに捨て去った要素であり、それらの要素を捨て去る事によってDG盤の様な一点集中型の極めて特異で珍妙ですらある演奏を成し得たのだと思います。


DG盤を愛聴されている方は是非とも「DG盤至上主義的な聴き方」をせずに聴いて頂きたいですし、
DG盤に違和感を持たれた方にも一度聴いて頂きたい録音です。



なお、旧盤は「DG盤よりミスタッチ等が散見される」と言うだけであり、60年当時に録音されていた物の中ではDG盤至上主義的な視点から見ても最も高い完成度が物だと思いますし(全ての録音を聴いた訳では無いので断言は出来ませんが…)、21世紀になった現在の水準から見ても高水準である事は確かです。

表現は少し不器用な感じがしなくも無いですけど。


【採点】
◆技巧=90.5
◆個性、アクの強さ=78
◆マトモなショパン演奏度(DG盤比)=95

2012年1月2日月曜日

グレムザー 【シューマン:交響的練習曲&幻想曲】



【収録曲】
シューマン:交響的練習曲(遺作変奏を含む)
シューマン:幻想曲

 今回は、以前にペトルーシュカからの3楽章やスクリャービンの幻想ソナタを収録したDVDを取り上げた、ベルント・グレムザーのシューマン作品集を取り上げます。


◆交響的練習曲(遺作変奏含む)

 曲順は以下の様になっています。

主題→練1→遺変1→練2→練3→練4→練5→遺変4→練6→練7→
→遺変3→遺変2→練8→練9→遺変5→練10→練11→終曲

全曲を取り上げると文章が長くなりすぎますので、数曲をピックアップして見て行きたいと思います。


主題
テンポは取り立てて遅くはないものの、間のとり方や装飾音のアルペジオの表現がいかにもヴィルトゥオーゾ的なもので、非常に濃いと言うか、クドい歌い回しになっています。
この濃い(クドい)歌い回しは主題だけに限らず一部の例外を除いてほぼ全曲で聴かれる傾向で、好き嫌いがハッキリの分かれる表現だと思います。

練習曲・1
比較的残響大目の録音でありながらシッカリと分るほどスタッカートとスラーの表現の区別をかなり几帳面に行っています。あと、この練習曲・1では初版を採用しており、0:31~0:35【この1:53~1:55】0:57~1:00【この箇所~2:19】の左手パートが少し違っています(この箇所以外にも最後の方に少し違う箇所があります。ちなみに、リンク先の演奏は初版によるものではありません)。
ちなみに、今までこのブログで取り上げたCDで、練習曲・1において初版を採用してる物はレオナルディ盤ポゴレリチ盤ポリーニ盤です。

遺作変奏・1
この変奏のインターバルの広いアルペジオは意外と音抜けし易いらしく、アグレッシブなテンポで突っ込んでいって見事に音抜けするか(ポリーニとか)、テンポをかなり落として丁寧に演奏(安全運転とも言います)するかのどちらかに分かれますが、グレムザーは速いテンポを採用して強弱表現の幅が広い果敢な演奏をしており、左手のタッチが強い上に残響大目の録音とペダルによる響きの飽和によって多少濁りがあるもののかなりの健闘を見せています。が、最後の最後で明らかな音抜けがあったりします。

練習曲・2
グレムザーの特徴として多声部の処理の巧みさが挙げられますが、これまで見てきた曲でもそうですが、この曲においてもその特徴が遺憾なく発揮されていてそれぞれのパートが良くコントロールされています。
が、楽譜に記されている「espressivo(表情豊かに)」の指示を忠実に守りすぎて(?)、主題で見せた以上に濃厚な歌い回しと振幅の大きな表現が聴かれます。

練習曲・3
速めのテンポを採用している為か少し不自然なテンポの揺れが見られたりするなど細かく見ると所々で多少改善の余地があると思うものの、全般的に見るとかなりの出来です。

練習曲・5
ほぼ全ての音符にスタッカートの指示が付いていて跳ねたリズムが印象的な曲ですが、殆どの箇所で何故か拍の頭の和音を
全て音価通りに8分音符の長さで弾いています。極めて几帳面に全て8分音符の音価を守っている上に直後の休符の表現も的確に行っており、明らかに意図的な行為である事は確かなんですが、どう言う意図でそうしたのかがもう一つよく分かりません。

練習曲・6
極めて速いテンポを採用してるにも関わらず、ムラの無い和音の掴み方、対旋律的なバスの表現、強弱表現、インテンポ感、どれをとっても極めて高レヴェルな仕上がりで、他の奏者の演奏がどれも緩く感じてしまうほどです。
これの比較対象になり得る演奏は私が聴いてきた中ではポゴレリチ盤くらいで、この曲を聴く為だけに本CDを購入しても損は無いと思います。

 ★練習曲・7
和音を強奏する際に一瞬タメを作ったりするなど、かなり癖のある演奏です。特に0:04~0:06【この辺り】0:13~0:15【この辺り】の箇所では内声の「ファ」を強調しており調子っぱずれな印象を受ける他、内声の動きが見えづらくなっています。

練習曲・9
かなり速いテンポを採用しつつも細部まで素晴らしくコントロールされた演奏です。例えばポリーニ盤の回でも言及した内声の「付点8分音符のド♯」・0:14【10:48辺りの箇所】は、
付点8分の音価(音の長さ)よりも長く伸ばしすぎたり、一瞬しか鳴っていなかったりする場合が多いんですが、グレムザーはキッチリと音価通りの長さにコントロールしていますし、ポゴレリチ盤の回で言及した、「右手の分厚い和音の連打」「左手の移動の幅が広いオクターヴ連打」を高速かつスタッカートで同時に処理する箇所・0:17~0:20【10:51~10:55】では、
残響多目の録音で少しワリを食っている事を差し引いても、抜群のキレ、安定感、練習曲・6でも見られたムラの無い和音の鳴らし方を聴く事ができます。
ただ、上記の箇所の直後、左手による装飾音・0:22&0:26【10:57辺り&11:01辺り】を、
一瞬テンポが緩んでしまうほどにハッキリと演奏していて、非常にクドイ印象を受けます。

練習曲・10
内声の細かい動きがキモとなる練習曲ですが、楽譜に記されている「non legato」を
グレムザーは「non legato=レガートでは無い=スタッカートに弾く」と解釈したらしく、内声の動きをまるで親のカタキのように徹底してスタッカートに演奏しており、その表現は緊張感を通り越してユーモラスにすら感じられるほどです。


 以上、交響的練習曲をざっと見てきましたが、特筆すべきは歌い回しやルバートの濃厚な表現と言えます。



幻想曲

 交響的練習でもそうですが、この幻想曲でも技術的な事をドウコウと言う以前に、歌い回しやルバートのクドイ表現(良い様に言えば”ロマンティックな表現”)や癖のあるアーティキュレーション、つまり、巨匠風と言うか、いかにもヴィルトゥオーゾ的な演奏表現が真っ先に耳に付きます。具体的な箇所を挙げますと、例えば、第1楽章の中間部・7:17~【この6:35辺り~】の箇所や
その少し後にある8:30【この箇所~】の箇所では特に顕著に見られますし、
最終楽章においてもその傾向はハッキリと表れています。

技巧的な箇所に少し触れておきますと、初っ端から休符の表現が甘くなっている演奏が多い第二楽章の例の跳躍・7:12【この辺り~】では、
グレムザーはかなり後の所まで音価を良くコントロールしている他、バスだけでなく内声の和音も明瞭に発音させているなど、全般的には肝心な所はシッカリと押えた演奏になっています。



 以上、駆け足で見てきましたが、総合的に見ると、曲によって出来不出来の差が多少あるものの全体的には高レヴェルな演奏で、この演奏を聴いて「下手だ」と言う人はまず居ないと思います。

しかし、それよりも何より、これまでに何度も言及したように、とにかく歌い回しが濃厚でクドイのが特徴で、その点に関しては注意が必要です。
ただ、歌い回しに関しては「楽譜通りにしっかり音を鳴らせているか」や「音抜きをしていないか」等のように客観的な聴き分けが出来るものとは違って、聴く人によってツボと言うか許容範囲の差が大きいのが難点で、「この演奏で丁度良い」と感じる人や「シューマンの演奏はこうでなくっちゃ!」と思う方もいらっしゃるかも知れません。

大雑把な目安としては、キーシンやルガンスキーの演奏を聴いて「うわぁ~、ちょっとクド過ぎる」と感じる方にはまずお勧めはできません。

Naxos価格なので試しに購入してみても損は無いと思いますが。




【採点】
◆技巧=91~82
◆個性、アクの強さ=98
◆感情移入度=99.5