2012年1月12日木曜日

ポリーニ 【ショパン:練習曲、作品10&25(1960年盤)】



【収録曲】
ショパン:練習曲、作品10&25


 今回取り上げるCDは、あの有名なDG盤(今回取り上げる物は「旧盤」と呼ぶ事にします)から遡る事12年前の1960年に録音されたものの、本人の意向により発売が見送られていたらしい曰くつき(?)の録音です。

 録音状態ですが、基本的には中域が強くて少しホコリっぽい感じがする所謂「古い時代の音質」ではありますが普通に聴くのには支障の無いレヴェルと言うか、年代のわりに良い状態だと思います(スレテオです)。
特筆すべきは、DG盤より明らかに残響の少ないデッドな録音である事で、それにより細部が聴き取り易くなっています。


 さて、ポリーニファンならずとも最も気になるのがDG盤との相違点だと思いますが、旧盤はDG盤と比較すると全般的な傾向として、以下の特徴が挙げられます。

・ペダル操作に対する意識がより感じられ、より頻繁に踏み替えをしている。
・上記の事に関連して、DG盤で聴かれた過剰な響きが抑制されている(録音も関係してます)
・パートごとの弾き分け(内声の処理)への配慮がある
・DG盤より普通なテンポ感・ルバートの感覚が聴ける
・DG盤の様に鍵盤をブッ叩く事が少ない

つまり、DG盤で聴かれたようなバランスの悪さがかなり緩和されている訳ですが、逆に、以下の様な点はDG盤に分があります。

・楽譜に書かれた音符を引っ掛けたりミスタッチする事無く順番どおりにハッキリと発音させる
・機械的なインテンポ感


では、これから双方の比較を交えながら急速系の曲を中心に少し詳しく見て行きたいと思います。


10-1
明晰な発音と言う点ではDG盤に軍配が上がりますが(打鍵時の雑音がコツコツとうるさいですけど)、旧盤もかなり高レヴェルな仕上がりです。強弱表現は旧盤の方が自然で、例えば中間部の終わりの頻繁な反復進行の部分、DG盤・0:59~、旧盤・0:57【この箇所~】における「cresc.(徐々に強く)」は、旧盤の方がこの少し前の箇所からしっかりとバランスを考慮して演奏して的確に表現できています(少し不器用ではありますが)。
ちなみに、この直後にあるDG盤・1:08で音抜けしていた部分ですが、旧盤ではかなり危なっかしいながらも何とかクリアしています(1:07。先程の音源で言うと1:10)。この様に、上行アルペジオに比べて下降アルペジオが苦手そうなのはどちらの盤でもそう大した差はありません。

10-2
この曲はどちらも一長一短と言う感じです。音価の表現で言うと、序盤【この冒頭~0:33】ではDG盤の方が的確にこなしていますし、中間部【この0:33~1:02】は旧盤が上、終盤【この1:02~】はまたDG盤の方が出来が良いと言う風な具合です。
テンポは旧盤の方が速めで、DG盤とは違ってフレーズの開始時や序盤から中盤へ移行する時のようなセクションの変わり目などに一瞬タメが入ったりしてより自然な感じを受けます。DG盤はあえて遅めのテンポでインテンポの演奏を意図的に行ったと思われ、この不自然なインテンポ感を基準にこの曲を聴かれる方には旧盤に少し違和感を覚えるかもしれません。
あと、右手の1指(親指)と2指(人差し指)による内声の和音は、
DG盤の方が全般的にしっかりと発音されています。しかし、一番目立つ半音階の動きを発音させる時に生じる雑音は旧盤の方が遥かに少なくなっています(これも録音の違いによる影響も少なくないと思われますが)。
最後に、楽譜の音をツツガナク並べると言う点ではDG盤に多少の分があるものの、どちらも非常に良い出来であり、特に旧盤を録音した1960年当時ではこの録音が最も完成度が高かった(発音と言う点のみですが)ものではないでしょうか。

◆10-3
旧盤にはDG盤の様な強奏時の悲惨な音割れ・響きの飽和は見られず非常にスッキリしていますが、逆にルバートと言うかテンポの揺れがかなりあって、丁寧に歌い上げようと言う気持ちは何となく伝わるんですが、いまいち不器用な表現に感じられると言うか、気持ちが見事に空回りしている感があります(これは好みの問題ではあると思いますが)。

10-4
DG盤では響きが弛緩して細部を見え辛いですが、それに比べて旧盤はすっきりと纏まっています。例えば、旧盤・0:17、DG盤・0:18【この箇所~】の箇所では
DG盤は各パートの音量に余り差が無い上に全てが同じ様に変化していく為、非常に喧しい印象を受けるほか、却ってそれぞれの動きが見えづらくなる結果となっています。オーケストラに例えると、全ての楽器が「俺が!俺が!」と言う風に前へ出てきて同じ様な音量で同じ様に変化していくような感じと言えば良いでしょうか。
翻って旧盤は、それぞれのパートを取捨選択する事によって(いい加減に弾くと言う意味ではなく)、強調する部分とそうでない部分とのコントラストが明確になり、結果として全体的に見るとスッキリした響きな上に立体的な感じに仕上がっています。左手の4音一まとまりの速くて細かいフレーズもDG盤より12年も前の録音水準と言うハンデがありながら、かなりハッキリしたアーティキュレーションを聴き取る事が出来ます(これはペダルによる細かな処理も要因と言えそうです)。
実はこの点こそがDG盤と旧盤の決定的な違いと言え、旧盤は基本的に「どのパートにピントを合わせるか」がハッキリした演奏であり、DG盤は全てにピントを合わせてしまった為に、逆に肝心な所が目立たなくなった感じと言えます(意図的にそうしたんでしょうけど)。
ただ、ミスタッチや引っ掛け気味な打鍵の少なさと言う点ではやはりDG盤に分があります。

10-7
歌い回しの素っ気無さと言う点では似ていますが、やはりこの曲でも違いが出ています。DG盤では見え辛かった冒頭からの2声(3声とも解釈できますが)の動きが見え易くなっているほか、
DG盤・0:23~、旧盤・0:22【この箇所~】からの中間部の左手パートでは、DG盤はいつもの様に(?)緩慢なペダル操作(と、残響大目の録音)のせいで締りの無い表現になっていますが、
旧盤では明瞭な表現をしています(ここに限らず全般的にそう言えますが)。
なお、中間部の終わりの左手によるメロディ(先程の音源で0:43~)はどちらの録音もサラッと通り過ぎて行くように演奏しています。

◆10-12
この曲でも冒頭から違いが見られます。具体的には、DG盤、旧盤、共に0:08【この箇所~】から始まる両手・ユニゾンフレーズ
のアーティキュレーションの明確さです。DG盤では曲の開始から0:14【この箇所~】のハ短調「」の和音のアルペジオまでの間、殆ど抑揚のない一本調子な演奏が続き、まるで句読点の存在しない文章のような印象すら受けます(DG盤が基準になってる方は違和感を覚えないかもしれませんけど…)が、旧盤ではよりハッキリとしたアーティキュレーションと強弱表現、それらに伴なううねる様な表現が感じられます。この傾向は冒頭以降も続いて行きます。
ただ、和音の強奏時に「ガツン!ガツン!」と弾いてしまうのは旧盤でも余り変わっていません。

◆25-1
以前、DG盤の回でも指摘した箇所ですが、DG盤・0:31~、旧盤・0:34【この箇所~】からの一番上の声部から内声へリレーのように旋律を受け渡す箇所(下に添付した楽譜には書かれていませんが、パデレフスキ版には重要な内声の音符が四分音符になっています)でハッキリとした違いがあり、
DG盤では見え(聴き)づらかった内声の流れが旧盤では表現自体は少しタドタドしくはあるものの、かなり明瞭に聴き取れます(ただし、録音の古さの影響で全体的な響きはかなり混濁しており、録音の古さが演奏を聴き取るのに影響した曲の一つと言えますが、言い換えると「そんな状況でも内声が聴こえるようなコントロールをしている」という事も可能です)。
実際にはDG盤でも発音自体はなされているんですが、10-7でも指摘しましたように、全ての音(横の流れ)が殆ど同じ様に推移していく為、肝心な箇所が埋もれてしまっています。

◆25-2
この曲では双方のレガート奏法の違いが分りやすく表れています。DG盤は主にペダルの力を主体に(と言うか、ペダルに頼って)レガートしているのに対し、旧盤はあくまで打鍵と離鍵(押えた鍵盤を上げて音を止める)のタイミングをコントロールする事を基本にしている模様で、旧盤の方が所々甘くなる箇所があるもののより明瞭で粒の揃った打鍵を聴く事が出来ます。

◆25-6
25-2でも触れたレガートの処理法の違いがより如実に表れている曲です。
冒頭、DG盤は残響が多めの録音に加えてかなりペダルを踏み込んでいるため霞んだ様な響きになっているのに対し、旧盤は殆どペダルを踏まずに演奏しているようです。ちなみにこの冒頭部分、旧盤の収録に用いたマイクの周波数特性のせいなのか分りませんが、実際にはそれほど強く弾いてなさそうなのに、かなり音が強めと言うか前に出て来ている様に聴こえます。
少し進んで、DG盤・0:25~、旧盤・0:24【この0:27~】の箇所ですが、
ここは右手のフレーズ(拍)とポジション移動のタイミングが微妙にずれているので、ポジション移動時に不必要なアクセントがついてしまったり(先程の動画とか)、あまりアクセントをつけずに演奏していたり(DG盤とか)するんですが、旧盤では明らかに拍を意識して演奏しています。旧盤では添付した楽譜の1小節目では指示通りのタイミングでペダルを上げ、2小節目ではおそらくペダルを踏んでいないか、踏んでいても非常に薄く踏んでいると思われます。これによりフレーズがダラ~っと流れにくくなりますが、少しゴツゴツした印象を受ける方も居るかと思います。
もう少し先、DG盤・0:38~、旧盤・0:37【この箇所~】の箇所でもペダルをガッツリと踏んで演奏する奏者が多いんですが(例えば、添付音源やDG盤とかがそうですね。白鍵ばっかりで弾きにくいらしいです)、旧盤ではペダルを拍に合わせてコントロールしつつ、踏む深さも出来るだけ最小限にとどめて演奏していて、その結果、演奏の確実性や滑らかさが若干犠牲になっている感もあるもののアーティキュレーションや一音一音の明瞭さは向上しています。
つまり、DG盤に比べて旧盤の方が細かい部分への配慮がなされている訳で、ここ以外にも例えば、DG盤・0:53~、旧盤・0:52【この箇所~】からの八声が半音階下降する箇所(減七の半音階的連用とか言う物ですね)でも同じ事が言えます。が、旧盤でも録音の古さなどもあってさすがに明瞭とは言い難いです。

 ただ、この曲でも「ミスなく全ての音を発音させる」と言う観点ではDG盤に軍配が上がります。
例えば、【この箇所~】からの急速な三度重音の順次下降などで音抜けがあったり危なっかしい箇所も見受けられます(ペダルが少なくデッドな録音なので余計にミスが判り易いんです)。

◆25-11
この曲も端的に言えば「やたらとゴージャスな響きの(悪く言えば、喧しい)DG盤」と「比較的スッキリした旧盤」とに分けられます。
で、比較を始める前に、まずこの曲を少し大雑把ですが整理してみたいと思います。左手パートに注目して聴いてみて下さい。

★序奏(この曲の主要なメロディ)=【この箇所~0:19】
☆序奏と同じメロディ=【この箇所~0:27】
●応答・その一=【この箇所~0:35】
☆序奏と同じメロディ=【0:36~0:44】
●応答・その二=【この箇所~0:56】
☆序奏と同じメロディ=【この箇所~1:06】
●応答・その一(少し変形)=【この箇所~1:15】
☆序奏と同じメロディ=【この1:15~1:23】
●応答・その二(少し変形)=【この箇所~1:35】

以上で前半終了です。
この様に(?)、この曲の練習曲としての主な目的は右手の強化である事は明白ですが、音楽的な主体は左手パートであると考えられます。
この事を踏まえてDG盤を聴いてみると、左手パートも一応聴こえては来ますが、右手の鮮やか過ぎる速いパッセージと喧嘩していまいち浮かび上がってきません。
これに対して旧盤はDG盤よりも各々の役割に応じてバランス良く演奏しています(ちょっと不器用な表現ですが)。

◆25-12
まず冒頭6小節の楽譜を添付します。
この曲は保続低音の箇所が多いので、丁寧に任意の音の強調や和声の推移を表現しないとただのアルペジオの羅列になってしまいます。
これまで何度も指摘しましたが、DG盤は全ての音をとりあえず良く鳴らしているものの「強調すべき音」と「そうでない音」の区別が判別しにくい演奏です。せっかくショパンがアクセント記号まで付けてくれるんですからそれを強調しない手は無いと思いますし、ポリーニも実際に強調しようとしてはいるんですが、全ての音がお互いに邪魔しあって中々浮かび上がってきません。そればかりか過剰なペダリング(と、残響多めの録音)によって響きが飽和して和声の推移の表現も弱くなっています(良い様に言えば「ゴージャスな響き」と言えるかもしれませんが)。

で、旧盤はと言うと、「con fuoco(烈しく)」の指示のあるこの曲にしては少し大人しい感じがするのも確かですし、ぎこちない箇所も散見されますがかなり手堅く纏めています。



 さて、駆け足でザッと見てきましたが、冒頭でも述べましたし途中でも何度も何度も言及しましたとおり、次の点は誰がどう聴いてもDG盤の方が優れていると判断すると思います。

・楽譜に書かれた音符を引っ掛けたりミスタッチする事無く順番どおりにハッキリと発音させる
・機械的なインテンポ感

しかし、これも何度も言及してきましたが、パート・声部ごとの弾き分けやそれぞれの音量配分、それに伴なう響きのコントロール、ペダルの丁寧な操作、強弱表現、細かなアーティキュレーション表現などは旧盤が勝っている場合が多く(10-9等の様に双方とも余り変わりのない表現の曲もありますし、25-8の様にペダルを抑制したお陰でゴツゴツしすぎている曲もありますが)、DG盤に比べると全般的にはとてもバランスの良い演奏です。

個人的な意見を述べますと、旧盤が勝っている点はポリーニが72年にDG盤を録音するまでに捨て去った要素であり、それらの要素を捨て去る事によってDG盤の様な一点集中型の極めて特異で珍妙ですらある演奏を成し得たのだと思います。


DG盤を愛聴されている方は是非とも「DG盤至上主義的な聴き方」をせずに聴いて頂きたいですし、
DG盤に違和感を持たれた方にも一度聴いて頂きたい録音です。



なお、旧盤は「DG盤よりミスタッチ等が散見される」と言うだけであり、60年当時に録音されていた物の中ではDG盤至上主義的な視点から見ても最も高い完成度が物だと思いますし(全ての録音を聴いた訳では無いので断言は出来ませんが…)、21世紀になった現在の水準から見ても高水準である事は確かです。

表現は少し不器用な感じがしなくも無いですけど。


【採点】
◆技巧=90.5
◆個性、アクの強さ=78
◆マトモなショパン演奏度(DG盤比)=95