2011年10月22日土曜日

ユジャ・ワン 【トランスフォーメーション】

今回はユジャ・ワンの「トランスフォーメーション」を取り上げます。


 ユジャ・ワンと言えば、シフラ編の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」や「熊蜂の飛行」などを演奏する姿がYoutubeなどにUPされて話題になった現在DGが売り出し中の奏者です。


収録曲
ストラヴィンスキー:ペトルーシュカからの3楽章
スカルラッティ:ソナタ ホ長調 K.380
ブラームス:パガニーニの主題による変奏曲
スカルラッティ:ソナタ ヘ短調/ハ長調 K.466
ラヴェル:ラ・ヴァルス


 では早速ペトルーシュカから見て行きたいと思いますが、いつもの様にポリーニ盤(以下、P盤)と比較しつつ進めて行きたいと思います。
 第一曲の冒頭の和音連打はテンポこそ颯爽としたものですが、和音のキレや抜けの良さがもう一つで、少しパッとしません(これは打鍵自体にキレが無いって言う理由もありそうですが、音像が遠い上に残響が少し多めでちょっとボヤけ気味の録音の影響も大いにありそう)。次のセクション0:09~(P盤・0:10~)においては、右手で分厚い和音を「ズチャチャチャ!ズチャチャチャ!」と連打する箇所0:14~0:15(P盤・0:15~0:16)で突然フォルテになって違和感を覚えます。これは強弱表現の為と言うよりも、単純に和音を素早くしっかり弾き切る為の措置だと思いますが、彼女の演奏は基本的に弱音主体で行われるのでこれらの行為は非常に目立ちます。
 ついでに言えば、彼女の弱音はキーシンなどのそれとは違って抜けが悪い上に、速いパッセージや技術的難所などでは通常より更に音量を落として弾く傾向があるので、往々にして細部が非常に聴き取りにくいのも特徴です(弾けているか弾けていないかが判らない位にまで音量を落とすんですよね)。
 横道に逸れましたが…、次のオクターブ含みの連打の箇所0:21~(P盤・0:23~)もかなり極端な弱音から開始しますが、そこからの強弱表現はなかなか巧みです。しかし、この部分の左手の和音構成音の一部をかなりの部分で省略しているのが残念です。この部分の左手パートには一度に9度を掴まなければならない和音がありますが、頑張って一度に掴もうとしたりバラしてアルペジオ気味に弾いてしまうと演奏のスムーズさに支障が出ると判断した為に省略したものと思われます(この辺は非常にあざとい)。
 
  続く第二曲でも時折フォルテを交えつつも弱音主体で演奏する基本的な姿勢は変わりませんが、第二曲ではそれほど強音を求められない為にさほど違和感はなく、全体的な出来としてはそれほど悪くは無いです。さて、具体的に見て行きますと、1:49~(P盤・1:52~)の三段譜の箇所ではP盤とは違ってペダルを余り踏まずに演奏して左手パートをややパッカーシブに表現しています(ちなみに、ここでペダルを殆ど踏まないアプローチ自体はワイセンベルク等も行っています)。しかし、ペダルを踏まない事で左手のタッチが不揃いな事がクローズアップされると言う少々皮肉な結果となっています。
 そこから少し先の2:37~(P盤・2:43~)の左手パートの「ズッ!チャッ!チャ~!タララタララ、ラチャッチャッチャ、タララチャン!」と言う箇所(?)ですが、ここで前述の「速いパッセージに差し掛かった時、弾けているかどうか聴きとれないほど音量を落とす」と言う癖が出ていて、最初の「ズッ!チャッ!チャ~!」と最後の「・・・チャン!」だけはハッキリ聞き取れますが、その間は音が小さすぎて何を弾いてるのかいまいちよく判りません(P盤もペダルによる響きの混濁で判別しにくいですが)。

 第三曲の冒頭の右手・重音トリルもまたまた極端な弱音から開始され、その直後に続く三度重音主体のパッセージもタッチが弱い上にペダル過多の影響で細部がかなり聴き取りにくくなっています。 

 少し先の1:18~(P盤・1:21~)から開始する左手の1指(親指)で内声を弾きながら残った2・3・4・5指で三度重音を弾く有名な箇所では、右手パートが下に添付した楽譜のような感じのフレーズを弾くんですが、
ライヴっぽい映像(DVDの映像?)を見ると、ユジャはこの箇所で右手の1指の音を片っ端から抜いており(思いっきり確認できるアングルなのに…)、あらためてCDを聴き直してみると、CDでも同様に右手1指の音を全て抜いているようです。

 かなり先へ飛びますが、4:34~(P盤・4:33~)では内声を少し変更しています(そのせいで楽譜に元々書かれてあるパートを少し省略してるんですが)。具体的には、「」の同音連打が続くところを、
ラ ソ ラ ソ ラ ソ ラ シ|ド シ ド シ  ラ シ ラ ソ|ラ ソ ラ ソ ラ ソ ラ シ|ド シ ド シ  ラ シ ラ ソ」 
と弾いていて、ちょっとしたアクセントになっています。クラシック愛好家の中にはこの手の改編(と言うほどでもないと思いますが)に対して違和感や嫌悪感を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、個人的にはこの手のお遊びは嫌いではありませんし、この曲のもつ性格から見ても許容範囲だと思います。

 次はペトルーシュカの最大の見せ場とも言うべき例の跳躍パート、6:09~(P盤・6:08~)を見て行きます。実を言いますと、Youtubeにある彼女の動画を見て跳躍は得意そうだったのでこのパートの出来にはかなり期待してたんですが、最初に結論から言いますと「想像以上に出来が悪い」です。レヴェルとしては「打鍵の強さなどは揃ってませんが、とりあえず音だけは一生懸命鳴らしてみました」程度で、パートごとの音量配分もヘッタクレも無い演奏です。
この跳躍パートはカノン風に構成されていて、6:17(P盤・6:15)から左手が先行して
ミ~ミ~ミ~ミ~、シレド♯~シ~・・・
と言うメロディを弾き、右手が四拍遅れて6:19(P盤・6:18)から同じメロディを1オクターブ上で開始して追っかけていくと言うものなんですが(大まかに言ってます)、彼女の演奏ではその事が殆ど感じられず、特に左手の先行するメロディは本当に「ただ鳴っているだけ」の状態です(って言うか、こんな弾き方ですら所々で音抜けもあり、鳴ってすらいない音もあるんですが…)。

 更に少し先の7:44~(P盤・7:40~)から始まる右手の速いパッセージの部分ですが、本来であれば途中の7:47(P盤7:42~)あたりから下の声部が「ド→シ♭→ド→シ♭ ~ 」と交互に続いて行くんですが、彼女は「」を連続して弾いてコッソリと難易度を下げています。非常に分りにくい箇所ですが、ポリーニ盤と比較するとよく分かるかもしれません(この曲こそ楽譜が添付出来たら良いんですが、著作権の問題で出来ないのが残念です)。
ちなみに、私の手持ちのCDの中ではワイセンベルクとペーター・レーゼルが同様の改編をしています。楽譜(ブージー&ホークス版)にはこの箇所の右手パートに「ossia」はありませんが(左手パートにはありますけど)、3人も同じ様な演奏をすると言う事はそう言う楽譜があるのかもしれません。

 スカルラッティは飛ばして、ブラームスのパガニーニ変奏曲を見て行きますが、曲の並び方が少し変わっており、主題の後に第1巻の第一変奏から第十二変奏までを順番通りに演奏した後、第2巻の第一、第二、第五~第八、第十~第十三の次に第三変奏を持ってきて、再び第1巻の第十三、第十四変奏へと続く構成となっています。

 主題は飛ばしましてまず第一変奏から見て行きますが、ここでは彼女特有の弱い打鍵が良い方に働いています。大抵の奏者はこの変奏を冒頭からかなりの強音で弾き始めてしまい重音などが曖昧になるんですが、彼女の場合は弱めの打鍵のおかげでスッキリと聴く事ができます(ただ、途中で更に弱く弾いてしまい何を弾いてるのか聴き取りにくくなるのはいつもの事ですが)。
 続く第二変奏は第一変奏以上に響きが濁りやすく細部が聴き取りにくくなりがちな曲ですが、
この曲でも同様に弱いタッチのおかげで細部が聴き取り易く、肝心な重音の処理も小さな傷はありはしますがかなりの出来です。ただ、曲中での強弱の変化が殆ど無いために棒弾きと感じる方もいるかもしれません。
 第三変奏はハッキリ言ってしまうとイマイチな出来です。ここまでも繰り返し指摘してきましたが、目立つ所以外は打鍵が弱すぎて何を弾いてるのかがいまいち聴き取りにくく、最初こそまだマシですが、0:04~【この1:31~】からは更に音量を下げたうえにペダルの使用も相まってちゃんと弾けているのかどうかがよく分かりません。
 少し先へ行って、第七と第八変奏ではようやくフォルテ(強奏)による表現が出てきますがメリハリがあまりなく(特に第八変奏)、キレに乏しい演奏になっています。

 これ以降に関しても、弱音主体の曲ではブツブツとつぶやく様な演奏で、逆にフォルテ表現が前面に出る曲ではいまいち締りの無い演奏になっています。そして、その双方に共通している事はどちらの傾向の曲でも目立つ所以外の細部の明瞭度がいまいち低い点で多声的な曲でも同様です。
ただ、飛び道具的(?)な第2巻の第十四変奏【この変奏】では、極めて速いテンポを採用して所々で打鍵が浅すぎるところもありつつも(このテンポでは致し方ないと言えますけど)安定した演奏を聴かせています。

 前述の様な細部がいまいちハッキリしない傾向が最もよく表れているのが最後に配置されている第1巻の第14変奏【この変奏】で、冒頭から弱音で開始され、ここはそれほど悪くない出来なのですが(と言うか、この部分も打鍵が弱い為に発音がハッキリしないので結果として粗が目立ちにくいと言う理由もあり、よく聴くと左右の手が入れ替わるたびに少しイビツな感じになりますけど、他の奏者でも多かれ少なかれ似たような感じです)、
この直後、上に添付した楽譜の最後の箇所・0:05【この辺り。一瞬ですが】ですが、ここをインテンポで突っ込んで(一瞬タメる人が多いんです)それ以降は比較的強めの打鍵による演奏がしばらく続きますが、ペダルによる混濁のせいで極めて細部が聴き取りにくく、特に下に添付した楽譜の左手パートが殆ど聴こえません。
しかし、再び比較的弱音主体の演奏になる0:12~【この辺り~】は目に見えて(?)精度が戻っています。
 少し先、左右の手が入れ替わりが激しい0:18あたりの箇所【この14:29辺りから数秒間の箇所】ですが、
ここはインテンポを重視して演奏が粗くなるか、シッカリとした打鍵・発音を重視してポジション移動の際に一瞬の間が開くかのドチラかに偏る事が多い箇所で、ユジャは極力インテンポを守ろうとしてはいるものの、速いテンポを採用している事もあって左右の手の入れ替え時に少しつっかえた様な感じになっています(と言っても、ココまでの手の入れ替えの箇所でもつっかえたり不明瞭になっている箇所がかなりありますからソレほど気にならないかもしれません。他の奏者の場合でもこの箇所ではこれ位のイビツさは珍しくないですし)。



 ここまで見てきた彼女の演奏傾向・特徴を箇条書きにしてみますと、

◆基本的に打鍵が弱く、基準となる音量も小さい上に音の抜けが悪い
◆そのため細部が聴き取りにくい
◆逆にフォルテで弾く場合はペダルをガッツリと踏みながら弾く傾向があり(パガニーニ変奏曲の第1巻・第八変奏など)、その影響もあって響きが飽和して細部が聴き取りにくい
◆早い話、どちらにしろ細部が聴き取りにくい

これらを踏まえて穿った見方をすれば、細部を誤魔化す為、もしくは自分が弾き易い様に弾く為に上記の様な極端とも言える表現(ところによって「f」の指示をスルーしたり、そうかと思えばところによって指示以上に強く弾いたりする行為)をしているようにも思えます。
 確かに実力、特に指回りに関しては非凡なものがありハッとさせられる所も少なくありませんが、上記の様なハッタリ的とも言える表現がさまざまな箇所で見受けられ、それが強く印象に残ってしまいます。
  
 あともう一つ気になる点は得手不得手の差が激しい事で、比較的得意(そう)な単音による速いパッセージや重音によるパッセージは全般的によく弾けている傾向にありますが(ただ、強めに弾いた場合はガクッと精度が落ちますけどそれは御愛嬌)、和音、特に分厚い和音を綺麗に鳴らしたり、素早く和音を連打する箇所では苦しそうな箇所が多く見受けられます。

ただ、ペトルーシュカの例の跳躍など、録り直しさえすれば明らかにもっと上手く弾けそうな箇所も修正しないところを見ると(弱小レーベルなら録り直す予算が無い場合もあるかもしれませんけど)、意外と彼女は全体的なバランスや細部の表現より「ノリ」を重視する奏者なのかもしれません。



最後に、「ホロヴィッツの孫弟子」と言うアピールの為に録音した(?)スカルラッティや、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」はあまり馴染みが無い上に、文章が長くなりすぎたの省略致します。



【採点】
◆技巧=86.5~77
◆個性、アクの強さ=93
◆「もっと出来るんじゃネェ?」度=95